むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡る旅と日本城郭検定1級合格を目指してます。近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

羽黒城(愛知県)

2017年05月15日 05時49分45秒 | 100名城以外の城
羽黒城(はぐろじょう)
別名 梶原館
構造 平城
築城者 梶原景親
築城年代 1201年(建仁元年)
指定史跡 
場所 犬山市羽黒
【 地図 】


織田信長に仕えていた梶原景親の城で本能寺の変で信長に殉じて梶原家は絶えた。
豊臣秀吉期には山内一豊の母親が梶原家の出身ということで小牧山合戦の際この城を守った
とされるが羽黒城は焼けた後廃城となりました。


入口

宅地の中に入口があります。


土塁跡

興禅寺の敷地内にある土塁で道路からも案内看板とともに見えます。



アパート脇の路地を入っていきます。
ちなみに車は侵入できません。


竹林公園

アパート裏は竹林一帯が公園になっていて案内看板があります。



この先の竹林が城跡になります。
城は実態はよくわかっていないのですが公家屋敷のような寝殿造に準じた居住重視の
屋敷のような館であったと考えられています。



土塁と石があります。


堀跡

竹林の中には堀のような跡もありますが遺構の実態は明らかになっていません。


羽黒城古墳

もともと古墳であった場所に羽黒城はあります。


羽黒城祉碑

大正6年に地権者の石田市五郎氏が愛知県に働きかけ、建立されたものです。


案内看板

大河ドラマ「功名が辻」の放映時期に立てられたであろう案内看板もあります。


興禅寺

1174年に梶原景時によって真言宗光善寺を創建されたのがはじまりで、1476年に梶原景綱によって
臨済宗妙林寺派興禅寺として生まれ変わりました。
小牧長久手の戦いの前哨戦羽黒合戦による戦火で焼けてしまい廃寺寸前だったところを
犬山城主小笠原氏によって梶原屋敷であった現在の場所に再興されました。


山門

本堂とともに国登録文化財に指定されいます。(昭和14年築)
早朝に訪れたため興禅寺の中まではお邪魔しませんでした。






興禅寺と竹林公園(古墳)一帯が梶原屋敷だったようで地域の方々の協力によって
遺構は残されているようです。
明確になるような発掘調査はされていないようで判明していることが少ないようですが
平成24年に発掘調査が行なわれ、その時には中世の茶碗や瓦が出土されたようです。



平成29年5月4日登城
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