むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

月山富田城(島根県)

2018年01月19日 |  百名城
月山富田城がっさんとだじょう
別名月山城・富田城
構造山城
築城者不明
築城年代1156年~1159年(保元年間)
指定史跡国指定史跡
場所安来市広瀬町富田2188 地図
スタンプ設置場所安来市立歴史資料館
御城印安来市立歴史資料館
城郭検定出題あり

土の城から石の城へ

戦国期には尼子氏の居城となり、毛利元成の侵攻によって尼子氏滅亡。
その後吉川広家が入城し、関ヶ原の戦いの後は堀尾忠氏が父の吉晴とともに入城。
1611年(慶長16年)に松江城を築城し、移転したため月山富田城は廃城となりました。


歴史資料館

駐車場はこちらをお借りして登城します。
※歴史資料館は施設改修工事のため平成30年3月31日まで休館しています。
他にも山中御殿下にも駐車場が設置されています。
道の駅 広瀬富田城に寄ったところ、現在千畳平、太鼓壇が工事中で立ち入り禁止になっているので
お店の方がわざわざ店の外まで地図を持って来て登城口を教えてくれました。(感謝)


スタンプ設置場所

道の駅と歴史資料館の間の渡り廊下に日本百名城のスタンプが設置されています。


立体模型

道の駅 月山富田城にある立体模型。
ここで全体を把握していざ、登城です!


山中鹿助像

太鼓壇曲輪で三笠山に向って祈る山中鹿助像。
「我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈ったという。



花の壇下から山中御殿を見ています。
七曲りが見やすく木々が伐採されています。
見た目には「これ登るの~疲れそう」って感じがしますが
登ってみると道が整備されて眺めが良いせいか案外登れてしまいます。


山中御殿

3000平方メートル余りの平地で山中御殿と呼ばれる建物が建っていた場所です。


菅谷口門

菅谷口から繋がる虎口で、枡形の櫓台をともなった堅固な造りになっています。


雑用井戸

山中御殿平内で水の手です。


軍用道

七曲りへと続く険しい道です。
ここから山頂の本丸を目指します。


親子観音

伝承では堀尾家お家騒動の首謀者とされ、処罰されたとされる堀尾河内守とその子掃部両名の墓とされますが
近年の調査では京都で没した堀尾勘解由の墓である可能性が高まっています。


山吹井戸

年中枯れることはないこの井戸は、山の中から吹き出す井戸ということからこの名前が付いたそうです。



井戸には現在も豊富な水が湧き出ています。


七曲り

山中御殿から本丸へと向う急な登城道は幾度も曲がりながらジグザグに
曲がりながら登って行くことから「七曲り」と呼ばれています。
足元はとても歩きやすくきれいに整備されています。


三の丸の石垣

七曲りを登りきると立派な石垣が見えて来ます。
敵を待ち構えるために段状になっています。


三の丸

ここから麓の様子が良く見えます。
これだけスペースがあると武者も溜まれそうです。


鳥居

この先本丸には勝日高守神社が祀られているのでここより先は参道にもなります。


二の丸

ここでは建物や柵、塀の柱穴が見つかっていてそのうちの1棟から備前焼のカメが発見されました。
このことから戦時に飲み水や食物を貯めておくための建物がここにあったと考えられています。


大堀切

二の丸と本丸の間には大きな堀切が構築されています。


二の丸石垣

本丸側から見た二の丸の石垣です。
最後の砦として守りを固めている様子が覗えます。
石垣の角が算木積みではないので古い時代のものと思われます。


本丸

細長く延びる本丸は京羅木山や島根半島、鳥取の弓浜半島まで望むことが出来ます。
そして奥には勝日高守神社が城の守り神として鎮座しています。


山中鹿介幸盛記念碑

この記念碑の裏からの眺めは絶景です。


本丸からの眺望

晴れていたらなあ。。。。
それでも良い眺めに変わりは無い。


勝日高守神社

勝日高守神社の創建は570年(欽明天皇31年)に大国主命の分霊を勧請されたのが始まりとされます。
藤原景清が月山富田城を築くと城の鎮守社として崇敬庇護されていました。
その後城主になった尼子氏も篤く信仰したと伝えられています。



また、藤原景清が富田城を築いた際に元々鎮座していた勝日高守神社の境内を汚すのを嫌い
月山の麓にある富田八幡宮へ社殿を造営し里宮としたと伝えられています。


鉢屋ヶ成へ

本丸の奥は鉢屋ヶ成へと曲輪は続きますが本丸までで道は終了しているので
ここで引き返すことにしました。



七曲りを下りながら山中御殿を見下しています。
お椀の中を覗き込むような気分です。(まる見え)



山中御殿まで下って来ました。


塩谷口門

塩谷虎口は埋門で、通路は狭く正面が壁になっていて曲輪内が見えないようになっています。
曲輪側からも塩谷口門は見えません。
行ってみると、なかなかおもしろい場所です。


堀切

花ノ壇から菅谷口側に抜ける道の間にある堀切。
花ノ壇に民家が1軒あったりもするのでご近所の方々の通路(近道)としても
使われているのかなと感じる堀切です。


千畳平

只今工事中につき立ち入り禁止になっているので見に行くことが出来ません
今年の山城サミットはこちらで開催が決まっているので整備が進んでいるようです。


尼子興久の墓

千畳平下にある尼子興久の墓。
父にそむいたため追放され、妻の実家備後甲山城に身を寄せていましたが
そこで切腹しました。


赤門

巌倉寺の門で、ここからも登城することができます。



飯梨川を渡り、三日月公園側から見た月山富田城です。


前日は備中松山城と鬼ノ城に登ったので、この日最初に月山を見上げた時は
「これ、登るのかあ」と一瞬ためらいが込み上げました。
でも以前からずっと訪れたかった城でもあるので気合を入れていざ登城してみると
どんどんテンション上がっちゃって、結局戦国期の城っていいなあってなことに
なってどんどん登って行ってしまいました。
鬼ノ城は横にどんどん歩いて、景色も良かったけど時代が私の気持ちとマッチしなかったので
めちゃめちゃ疲れた感があったのですが、月山富田城の方がずっと体力消耗しそうなのに
このワクワク感が疲れを吹き飛ばしてしまいました。
やっぱり戦国期の山城はいろいろ妄想できて楽しいです!来て良かった



平成30年1月5日登城



日本100名城公式ガイドブック (歴史群像シリーズ)
日本城郭協会,福代徹
学研プラス

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
かなり整備されましたね (ヤマシロ)
2018-01-19 18:16:57
今晩は
4年ぐらい前に行きましたが、かなり整備され散策しやすくなりましたね。
七曲りは、以前は立木で暗かったですからね!!
Unknown (むぎ)
2018-01-19 20:09:12
とても歩きやすかったですよ。でも整備される前の画像見ると、私的にはそっちの方がいいなって思っちゃいました。軍用道のはじめだけは面影が残ってましたがちょっとキレイすぎるかも…ですね。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。