むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

三春城(福島県)

2018年04月25日 | 続百名城
三春城みはるじょう
別名舞鶴城
構造平山城
築城者田村氏
築城年代1504年
指定史跡町指定史跡
場所田村郡三春町大町 地図
スタンプ設置場所本丸(ボックス設置)
三春町歴史民俗資料館

田村氏居城の三春城は豊臣秀吉による奥州仕置で秋田氏の居城となり、明治維新まで続きました。
1785年(天明5年)の大火で城はほぼ全焼し、その後本丸には代々の将軍から頂いた朱印状を納めるための
三階櫓以外は再建されませんでした。
田村氏の一人娘の愛姫は伊達政宗の正室としてこの三春城から嫁いでいます。



城郭想定図

麓から城坂を登り番所の置かれていたあたりにこの看板があります。


二之門跡

ここまで車で城坂を来ましたが、大手道は三春小学校側を通るルートで大手門跡から、ここ二之門跡に出て来ます。
ここに駐車場があるのでここから歩いて三之門跡を通り、表門跡から本丸へ行くことが出来ます。



搦手門手前にもうひとつ駐車場があるのでそちらへ行ってみたいと思います。
それにはここをくの字に曲がります。(普通車以上は切り返しが必要です)


駐車場

本丸からは一番近い駐車場です。
切り返しが必要な道だからなのか、車は一台もありませんでした。
広いんですけどねえ。



駐車場からこの階段を登ると途中で搦手道に合流、裏門跡から本丸へ。


矢倉跡

矢倉跡まで登ってきました。
根元が腐ってしまったのか標柱が倒れています。


城址碑と案内看板

ここが搦手からの本丸への入口となります。
裏門があった場所でもあります。


二之丸跡(秋田氏時代)

田村氏時代はここが二之丸で、秋田氏時代では本丸(下段)とされました。


スタンプ設置箱

続・百名城のスタンプが入っているボックスです。
時間制限が無いので助かります。



中にはパンフレットも置いてあります。
ありがたや~。


あずまや

雨も日差しもこのあずまやで凌げます。
猪苗代では雨に降られたのですが、三春に着いた頃には幸いにも雨が降っていなかったので
あずまやの御厄介にはならずに済みました。


大門跡

下の二之門から登ると、三之門を抜け表門であるこの場所へ辿り着きます。
ここには表門の礎石が残ります。


大手道

歩きやすく整備もされていて、桜も満開で時間があれば下から順番に登って来たかった。
そしてまた搦め手からの登城となりました…意としてなかったんだがなあ。。。


三階櫓跡

天守に相当する三階櫓が築かれていました。
ここには代々の将軍から頂いた朱印状を納められていました。


眺望

三階櫓があった場所からの眺めです。
電線がちょっと邪魔なのですが、三春の町が見渡せます。
眼下には屋敷の跡地にある三春小学校が見えます。


長屋跡

長屋あったということで置かれている石でしょうか。


大広間跡

桜が満開で花見に調度良い場所でした。
日差しが無いので人もまばらで賑やかさはないものの、見ごろでラッキー


奥跡

本丸(上段)は石垣で一段高く造られていました。


秋田家祖先尊霊碑

天守台のような石垣の上には秋田家祖先尊霊の石碑が置かれています。


明治戊辰役三春藩烈士之碑

大山巳三郎・大関兵庫・不破関蔵・渡辺喜右衛門の慰霊碑です。
この藩士4名は列藩同盟に出向し、三春藩は奥羽越列藩同盟を脱退したことが露見し殺害された四人です。


石垣

本丸(上段)の石垣は蒲生時代と伝わるもので裏門から左側を見上げると確認できます。
更に奥の方へ行くと角にも石垣が残っているようですがそこまで行かずに、本丸から見下して探してみたのですが
上からでは見ることはできませんでした。不精してはダメですね^^;
ちなみに、このあたりにあった石垣は明治7年に土地や建物、敷石や石垣の石まで売却されたそうです。


搦手門跡

搦手門跡を見て駐車場へ戻りました。
ざっくり急ぎ足で二之丸、本丸を散策してこの日は帰路につきました。



予定外に欲を出して猪苗代から三春まで足を延し、時間が無いので「スタンプだけね」と言われていたのに
ちゃっかり本丸まで行って来てしまいました。
かなり急ぎ足で巡ったので城主の生活の場は散策出来なかったので今度訪れた時は
麓の歴史民俗博物館といっしょに下から攻め上げたいと思います。


平成30年4月7日登城




 おぼえておこう!



続日本100名城公式ガイドブック (歴史群像シリーズ特別編集)
公益財団法人 日本城郭協会
学研プラス


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