むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

真田邸~新御殿~(長野県)

2016年07月15日 | その他
真田邸さなだてい
別名新御殿
構造城外御殿
建築者真田幸教
建築年代1864年(元治元年)
指定史跡国指定史跡
場所 地図


9代藩主の義母の住まいとして1864年に建てられた外御殿

参勤交代制度が緩和され、藩主の妻子が国元へ帰ることが許され真田幸教の義母「貞松院」のために御殿を建てたのですが、
翌年再び参勤交代制度が復して江戸に戻ることになり、その後は藩主の座を退いた幸教の隠居所として使われました。


100名城「松代城」のスタンプはこちらに設置されています。




配置図

御殿には35の部屋があり、外部の人間が出入りするの部分と、生活の為の私的なの部分とに分かれています。




表座敷

「お祝いの間」と呼ばれていました。
訪問客との対面が行われた部屋と考えられています。



中庭

こちらはシンプルですが趣があって落ち着きます。



杉戸

来客用の表の空間と生活のための奥の空間を分けるための杉戸があります。




御寝所

主人の寝室にあたります。
床は寒さをふせぐため二重に造られています。




紙の天井

忍びが天井裏に登れないよう対策された天井だそうです。
鎗で突くのも板と違って容易です。
唐紙は当時のままです。




廊下には鎗を掛けていた場所もあります。




部屋の中を歩いて奥に進みます




御化粧の間

藩主の家族の女性のための私的な部屋です。




御湯殿

土間の部分には湯船が置かれ、右側は湯を流せるように傾斜が付けられています。




西雪隠

主人用のトイレです。



手洗いの間

トイレの隣には手を洗う場所があります。




縁側

ここで一休み。
ここから庭を眺めると落ち着きますねえ。ホッ。




庭園

「水心秋月亭」と名付けられています。




硝子が入った障子はここだけ。
部屋の中から庭を眺められるよう付けられたそうで、当時は硝子を造る技術がまだ未熟だっため、
近くでよく見ると歪んでいたり、空気を注入した小さな穴が残っているそうです。




御居間

主人の私的な部屋で、とにかく庭園を堪能できる部屋です。



最後に…
こちらにもボランティアガイドさんがいらっしゃるので是非ご利用を。
パンフレットや案内看板だけでは知り得ない話がいっぱい聞けますよ。


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