むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

高遠城(長野県)

2016年01月04日 |  百名城
高遠城たかとおじょう
別名兜城
構造平山城
築城者不明
築城年代不明
指定史跡国指定史跡
場所伊那市高遠町東高遠 地図
スタンプ設置場所伊那市立高遠町歴史博物館
御城印高遠町歴史博物館・高遠なつかし館
城郭検定出題あり

武田信玄の五男仁科五郎盛信が織田信長の長男信忠と戦い、落城した高遠城は、
1871年(明治4年)の廃藩置県で、城が取り壊され1875年(明治8年)に公園となりました。
130年生以上の古木20本、50年生以上のもの500本と、若木を加えた約1500本のタカトオコヒガンザクラが
植えられています。



高遠城大手門

高遠高等学校があった頃には正門として使われていました。
城内には大手、搦手、二の丸、本丸の四つの櫓門があったが
明治五年新政府から城郭の取り壊しを命じられ建造物はすべて競売にかけられ
取り払われてしまいました。
この大手門も寄贈により移築されたものですが当時のままの形ではなく、切り詰められてるようです。


北ゲート入口




スタンプは開館中は館内受付にあり、閉舘寺には正面玄関外に出してありますのでいつでもご利用できます。


高遠史跡めぐりご案内




見上げる空が見えないほどの桜。
そして、秋には紅葉することなく落葉するのが特徴です。


桜雲橋

シンボル的な橋です。


問屋門

この門は高遠城下の本町の問屋役所にあった問屋門を移築したものです。
問屋役所取り壊しの際、他に売却されたのですが歴史ある高遠の門が失われるのを惜しみ
町の有志が買い戻し、募金を集めてこの地に移築したそうです。


太鼓櫓

江戸時代には時を報じるのに太鼓が使われていました。
廃城の際有志によって白山に移され時を告げていましたが、
その後現在の地に移され時を告げるようになりました。
戦後太鼓は高遠高等学校の授業の開始と終了を知らせる役割を果たし、
現在は高遠町歴史博物館に展示されています。


南曲輪

名君保科正之公が幼少期に母であるお静の方と住んでいたとされています。
かつてここは荒れ地で、整備したために平地に削り広げられています。



城内には空堀や土塁が張り巡らせてあります。
堀内にも道がある。





顕彰碑



昭和の頃は桜雲橋は赤い橋でシンボル的な橋でした。
個人的な意見ですが、やはり赤い橋が良かったなあと行くたびに思ってしまいます。



平成18年4月20日 登城
平成28年1月4日 再登城



日本100名城公式ガイドブック (歴史群像シリーズ)
日本城郭協会,福代徹
学研プラス

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。