むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

小川城(群馬県)

2018年01月08日 | 百名城以外の城
小川城おがわじょう
別名
構造崖端城
築城者沼田景久
築城年代1492年(明応元年)
指定史跡町指定史跡
場所利根郡みなかみ町月夜野1140 地図


沼田景久が沼田城の西の構えとして築城しました。
その後二男が城主を継ぐことになるが素行優れぬ城主のため
度重なる狼藉に城を追われることとなります。
その後は兵火や城が焼かれたりしたことで子が焼死、家を継ぐ子が絶えてしまいます。
客分として城に留まっていた上方の浪人、赤松裕正はその才を認められ信頼を得て
小川可遊斎と改名、名跡となりました。
可遊斎は北条との戦で名声を残す大戦果をあげます。大敗した北条氏邦は数倍の兵力を持って反撃。
小川城は激戦苦闘の末城は焼かれ多数の死者を出し、可遊斎は越後路へ敗走しました。
後に真田昌幸の配下となった小川城は真田伊賀守信澄が五代沼田城主を継ぐことになると小川城は廃城となりました。


古城沢

城の東側、ささ郭下を流れる川に架かる橋には
古城沢と云う文字が。
下から見るとそれほど険しいようには見えません。


登城口

国道291号線側にやって来ました。
自動販売機が置いてある小屋横に堀を下る道があります。
堀の中に本丸へと続く道があります。



本丸の堀(左側)



本丸の堀(右側)
結構深い堀です。



本丸堀に付けられた道を登って本丸へ。



本丸に出ました。
城址碑や案内看板、あずまやがあるのが見えます。


あずまやと案内板

案内板には「小川城由来」が細かく記されています。


あずまや

ここで持参した「紅茶のタルト」と「抹茶のタルト」を食べて休憩。
普段から登城をする時はおにぎりやお菓子を持って登城しています。
だから山城行っても痩せられません^^;


石垣

あずまやの裏には土塁があり、低い石垣も積まれているのが確認出来ます。


土塁

案内板裏のに土塁が残っています。



この柵沿いに真直ぐ進むと城址碑の前に出ます。


城址碑

とても立派な城址碑があります。


ささ郭

城址碑奥の一段下がった所がささ郭です。



ここからの眺めが良いです。
眼下には大きなヤマキの麺つゆ工場が見えます。



ささ郭は現在はあじさいの木が植えられていて、花が咲いているときに訪れたら
奇麗なんだろうなと想像できます。


石垣

崩れかけていますが本丸とささ曲輪の間の土塁に石垣が少し残っています。



この斜面には土塁とともに石垣もあったのでしょう。


断崖

ささ郭は三方は崖になっています。
下から登って来るのは困難です。



名胡桃城に似た形状です。



えぐれているのではないかと思われる断崖です。
下を覗き込むのが怖い(>_<)


本丸址

本丸址の看板があり、土塁の上に祠があります。


二の丸址

国道291号線を挟んで二の丸址があります。
本丸と二の丸は道路で分断されています。


二の丸濠址



真田伊賀守陣屋址

民家の隣の畑の中にこの看板があります。
1638年(寛永15年)より18年間五代沼田城主を継ぐまで三の丸の陣屋に居住しました。


国道291号線は今までに何度か通っているのですが、このような城址があったとは
まったく気付かづに通過していました。
というか意識していなかったので気付かなかったのでしょう。
しかし、私が城址散策をしている間に数人訪れたので、わりと注目度は高いようです。
大河ドラマの真田丸の影響だったり、駅からも近いという好条件があるから
でしょうね。


平成29年12月16日登城

沼田城ペーパークラフト<日本名城シリーズ1/300>
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