トーキング・マイノリティ

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村上海賊の娘 その②

2016-08-24 21:40:10 | 読書/小説

その①の続き
 第一次木津川口の戦い村上海賊が、焙烙玉なる兵器を使っていたことをこの小説で初めて知った。現代の手榴弾の先駆け的な兵器で、敵方の船舶に投げ込むと爆発する。着弾して直ちに爆発するのではないが、木造船には絶大な効果があったのは想像に難くない。当然この焙烙玉を投げ込まれ、泉州海賊たちはパニックに陥る。
 面白いことに焙烙玉を使用していたのは村上海賊だけで、乱世の先進地であり堺の豪商と接していたはずの泉州海賊は、その種の兵器を知らず、開発もしていなかったようだ。

 これに対し泉州海賊を率いる眞鍋七五三兵衛(※総大将ではない)は、投げ込まれた焙烙玉を敵船に投げ返す。村上海賊自ら放った玉が自軍の船で爆破するに至っては、マンガさながら。七五三兵衛の豪胆ぶりに恐慌状態に陥っていた泉州海賊は再び士気を取り戻す。
 一方の村上海賊も鉤付きの焙烙玉を作り、これを戦で使う。鉤付きだと着弾しても簡単には外せないからだ。一見単純にもみえる戦略だが、戦略としてはその方が優れていると作者は書いている。

 小説に描かれている戦国時代の風習も興味深い。当時の日本の独身女性は実に性に大らかであり、男性との交際に積極的だった。来日したイエズス会宣教師ルイス・フロイスは『日欧文化比較論』に次の記録を遺しており、当時の女たちの貞操観念が知れよう。
日本の女性は処女の純潔を少しも重んじない。それを欠いても名誉も失わなければ、結婚もできる

 また、『日欧文化比較論』にはこんな記録もあったという。
ヨーロッパでは普通女性が食事を作る。日本では男性がそれを作る。そして貴人たちは料理を作るために厨房に行くことを立派なことだと思っている
 貴人どころか一国の主が包丁を握る例もあり、一般に正室ガラシャの方が知られている細川忠興などは好んで料理を作ったそうだ。豪放磊落な眞鍋七五三兵衛も魚をさばき、刺身にしては泉州侍たちに手ずから配るシーンがある。「男子厨房に入るべからず」など、いったい誰が言いだしたのか試に検索したら、YAHOO知恵袋には孟子が言った「君子遠庖厨」が元になっているとあった。

 気の荒い乱世にも拘らず、戦国の親は子供を躾けるのに手をあげなかったことが書かれていたのは驚いた。七五三兵衛も手の付けられぬ悪ガキ息子には手をあげない。ルイス・フロイスはこう記録している。
子供を育てるに対って決して懲罰を加えず、言葉を以って戒め、6、7歳の小児に対しても70歳の人に対するように、真面目に話してけん責する
 躾と称し、死に至る虐待まで行う親が蔓延る現代、これは考えさせられた。

 最終頁で作者は、木津川口の戦いの後をこう描いている。
――自家の存続。木津川合戦に係った者のほぼ全てが望んでやまなかったこの主題は、結局のところ、誰も果たせなかったと言っても過言ではない。海賊衆としての能島村上家は滅び、雑賀党は解体され、大阪本願寺は灰燼に帰した。毛利家でさえ、中国十カ国の主の座から引きずり下ろされ、泉州侍たちも、その殆どが住み慣れた泉州の所領を離れていく。眞鍋家も海賊衆ではなくなってしまう。
 ただ、こうして個々人のその後を俯瞰すると、その多様さに唖然とする。ある者は失意のうちに時代の渦に呑み込まれ、ある者は上手に立ち回り、ある者は父の息吹を受け継ぎ、ある者は時代の流れに身を任せた。それでも、いずれの人物たちも、遁(のが)れ難い自らの性根を受け入れ、誰はばかることなく生きたように思えてならない。そして結果は様々あれど、思う様に生きて、死んだのだ。

『萩藩譜録』によると、景は黒田五右衛門元康という人物に嫁いだそうだ。この人物についてはまるで伝わるところがなく、景のその後も分らないとか。
 この小説の主要登場人物は結果は様々でも、思う様に生きて死んだ。しかし運も才覚もなく、思うように生きられず死んでいった人物の方が多かったはず。乱世に限らず平和時でも思うように生きられぬ人が多数であり、だからこそ読者は景や七五三兵衛のように思うがまま生きた海賊たちに魅了されるのだ。

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