トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

トルコのもう一つの顔 その①

2017-11-09 21:10:19 | 読書/ノンフィクション

 遅ればせながら、『トルコのもう一つの顔』(小島剛一著、中公新書1009)を先日読了した。この本の初版は1991年2月だが、私が読んだのは2012年3月の11版のもの。総じて中東に関心の薄い日本の出版界や読者が主流にも関わらず、異例のロングセラーとなっている新書なのだ。アマゾンでも高評価レビューが多く、四半世紀も前に執筆されていながら全く古さを感じさせない良書だった。
 タイトルこそ『トルコのもう一つの顔』となっているが、顔はもう一つのどころか、いくつもの複雑な顔を持つ国トルコ。政府のスローガンとは裏腹に多民族、多宗教国家の実態が、この本だけでも伺える。

 トルコに関心があるにも拘らず、これまで私がこの本を敬遠していたのは、トルコの少数民族のことを書き、事実上の国外追放処分を受けた学者だったためである。少数民族の人権を言い立て、反トルコ色の濃い内容ではないか……というイメージがあったが、想像したようなガチガチの左翼ではなかった。強圧かつ強権的なトルコ官憲への批難もそれほど激しいものではなかったし、親切な警官も登場している。
 本ではトルコの少数民族の実態や社会的地位を淡々と記しており、そこからは人権状況も伺え、ある意味糾弾にも受け取れる。私的には暴行を加える警官よりも、「トルコは単一民族国家」と全く疑いもしない知識人の姿勢の方が恐ろしかった。

 本は7章で構成されている。第1章「トルコ人ほど親切な人たちも珍しい」では、作者個人の体験を踏まえ、親切なトルコの人々が数多く登場している。小島氏が初めてトルコに行ったのは1970年の秋だったそうだが、第1章では1977年のトルコ行きの出来事の話だった。フランス在住の小島氏はフランスからトルコに向かったという。
 だが、トルコの地方の町Pで盗難に遭ってしまう。それを知った町の人たちは、「バスにも乗れなくて自転車で旅をする貧乏学生のなけなしの金を盗むなんてトルコの恥だ。放っておいちゃいけない」、と氏に食事を振舞い、ホテルにも泊めてくれたそうだ。食事も宿代もタダ、しかも食事の量はたっぷり。現地の人々の厚意には驚かされる。
 
 当時のトルコの義務教育は7歳入学の5年制の小学校だけで、世界地図の1枚もない学校もあったそうだ。識字率は60%くらいだったが、「自分の名前を書けること」が「識字者であること」の基準になっていたことを、小島氏は何年も知らないでいたとか。日本は島国だと言ったら、黒海の島か、地中海の島か、と訊かれたこともあったそうだ。
 21世紀の現代では識字率はもっと向上しているだろうが、海といえばトルコ人は今でも黒海か地中海を真っ先に思い浮かべるのかもしれない。日本人にとっては黒海や地中海がなじみが薄いように。

 続く第2章名はズバリ「トルコのもう一つの顔」、2章以降が本書のテーマなのだ。尤も冒頭の次の一文には驚いた読者も多かったのではないか?
むかしむかし、あるところに、オスマン・トルコ帝国という、広い大きな国がありました。不思議なことに、公用語というものがありませんでした……
 公用語の無い国家など、おとぎ話の世界にしか有り得ないと誰もが思うだろうが、その例外がオスマン帝国だったのだ。初めの頃、帝国には公用語は全くなかったという。特定の言語を被支配民族に強制する意図が、帝国崩壊に至るまでなかったというから驚く。

 帝国のムスリムにとっての宗教語はアラブ語だったが、キリスト教徒はギリシア語、アルメニア語など民族ごとの母国語を教育用語に使っていたそうだ。一方、文化教育言語としてはペルシア語が幅を利かせ、商業用語としてはギリシア語を用いるのが普通だった。帝国の宮廷で使われたオスマンル語はずっと後に成立した言語で、宮廷の公文書をこれで記すのが普通となり、一応オスマンル語が公用語扱いとなる。
 しかし、オスマン語が公用語とされても、これを宮廷外で一般民衆に強制的に習わようとする動きはなかった。民衆はルーマニア人ならルーマニア語で、ブルガリア人はブルガリア語を話し、読み書きするのは当然だったという。少なくとも言語に関する限り、オスマン帝国に「帝国主義」はなかったのだ。それが一変するのは共和国成立以降である。
その②に続く

◆関連記事:「トルコを知るための53章

よろしかったら、クリックお願いします
人気ブログランキングへ   にほんブログ村 歴史ブログへ

『中東』 ジャンルのランキング
コメント (2)   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 山下清 展 | トップ | トルコのもう一つの顔 その② »
最近の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
公用語 (motton)
2017-11-10 11:36:04
その2で書かれると思いますが、公用語(国語)は近代国民国家の産物ですからね。
中国でも例えば清なら、支配民族は満州語ですが、朝廷では官話(マンダリン)で公用の文語として漢文があって、民衆はその土地の言葉です。
日本の江戸時代も、候文が公用の文語としてあるだけで、あとは方言です。

要するに近代以前では支配階層だけで意思疎通が出来ればいいんですね。
近代国民国家の国語の目的の第一は徴兵制度の国民軍だと思います。「撃て~!」だけじゃあ、近代軍は運用できませんから。
もちろん国語により同胞意識を高めて「民族」を創出する意味もあります。
Re:公用語 (mugi)
2017-11-10 22:14:25
>motton さん、

>>公用語(国語)は近代国民国家の産物ですからね。

 まさにその通りですね!江戸時代で方言というか、地方の土地の言葉も流暢に話せたのは隠密くらいだったかもしれません。
 近代国民国家の国語の目的の第一は徴兵制度の国民軍、という見方も興味深いですね。私は「民族」創出が第一と思っていましたが、近代国民国家に近代軍は不可欠です。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

読書/ノンフィクション」カテゴリの最新記事