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日本人は隠れヒンドゥー教徒? その一

2013-10-22 21:10:12 | 読書/インド史

バガヴァッド・ギーターの世界』(上村勝彦著、ちくま学芸文庫)を、先日再読した。この本の副題は「ヒンドゥー教の救済」であり、上村氏はギーターを引用しながらヒンドゥー教の思想を解説している。聖書やコーランに比べ日本ではかなりマイナーなギーターだが、序章の題名は「日本に入ったヒンドゥーの神々」。日本人はヒンドゥー教の最も良質の部分を、仏教を通じて受け入れたと著者は考えており、「日本人は隠れヒンドゥー教徒であると言っても、過言ではありません」とまで言い切っている。そのことを示すことが、この書の目的のひとつでもあると言う。

 仏教やキリスト教、イスラム教に対し、日本ではヒンドゥー教は極めてなじみが薄く専門家も至って少ない。ヒンドゥー教とは「インドの宗教」を意味し、広い意味では仏教も含めインドの宗教は全てヒンドゥー教となる。例えばインド生まれ、インド育ちでインドに住み続けていてもイスラムを信仰していればムスリムと呼ばれるし、キリスト教ならクリスチャン、ゾロアスター教を信仰する少数民族はパールシー(ペルシアから来た人の意)と呼称される。千年以上前からインドに住み続けていても、彼らは依然として異教徒扱いなのだ。
 ヒンドゥー至上主義者でさえ、インド生まれのインド育ち、インドの宗教の信仰者をインド人と定義しており、シク教徒も当然インド人と認めている。ただし、この定義に従えば亡命してきたチベット人仏教徒も“インド人”になろう。

 一般にインドの土着民族宗教と見なされるヒンドゥー教。インドの8割強の住民はこの宗教信者なのだ。さらに2011年の各国の人口順リストによれば、インドの総人口は12億人を超えている。この比率で計算すれば、インド全体で少なくとも9億6千万人以上のヒンドゥー教徒がいるのだ!総人口数自体が多いにせよ、大変な信徒数なのが分かるだろう。
 それに対し仏教徒は、全世界でも3億数千万人程度と見られており、ヒンドゥー教徒の半数にも及ばない。信徒数からすればヒンドゥー教は単なる南アジアの民族宗教というよりも、明らかな世界的大宗教なのだ。

 バガヴァッドとは崇高なる神や偉人を指す言葉であり、ギーターは「歌」という意味である。そのため著者は「世尊(釈迦の尊称)の歌」と訳すことも可能と言っている。ヒンドゥー教にも多くの流派があるが、その殆どの流派でギーターは常用教典として尊重されてきた。ちょうど日本仏教の諸宗派における『般若心経』や『観音経(※法華経の中の「観世音菩薩普門品第二十五」という一章のこと)』にあたるそうだ。
 ギーターはシャンカララーマーヌジャなど昔のインドの偉大な宗教家や思想家に重視され、また近代や現代の有力な宗教家や文化人たちも、ギーターを大きなよりどころにしている。ほぼ2千年に亘り、ギーターはインド知識人に計り知れない影響を与えてきており、あのガンディーの座右の書もギーターだったという。

 ギーターはまた、インド国外でも高く評価されてきた。中世イスラム世界を代表する知識人アル・ビールーニーは、著書の中にギーターの一節を引用したという。また17世紀にはペルシア語訳もいくつか作られている。1785年には早くも英訳され、サンスクリットで書かれた文献のうちで、最初に欧州の言葉に訳された。

 さらにギーターはロマン派の文学者にも注目され、中でもシュレーゲル兄弟などが有名。プロイセンの政治家でもあったフンボルトは、ギーターを絶賛したという。アメリカの詩人エマソンも、ギーターから着想を得たそうだ。フランスの作家アルベール・カミュは18歳の時、リセの教員ジャン・グルニエの影響のもとにギーターを読んでいる。『孤島』の著者であるグルニエがインド通だったことは、よく知られていた。また思想家シモーヌ・ヴェイユはギーターを愛読、自ら抄訳し、その日記でもギーターに言及していた。

 以上のようなギーターを高く評価した欧米知識人のケースは他にも沢山おり、英語、仏語、独語などで書かれたギーターの翻訳、研究書、紹介書は夥しい数に上るそうだ。その主なリストを挙げただけでも分厚い書物となり、実際そのような目録も出版されているという。そのようなギーターに関する出版物を読んで深い感銘を受けた人々は、無数にいることだろうと著書は推測している。
その二に続く

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
日本人はどこにでも神を見つける (根保孝栄・石塚邦男)
2015-01-27 19:24:54
そうです。
日本人は一神教ではなく、多神教崇拝ですから、葬式は仏式、結婚式はキリスト教で、正月には神社にお賽銭を上げます。

土地土地の神様の前では拝みますし、地蔵さんがあればお供えものします。
Re:日本人はどこにでも神を見つける (mugi)
2015-01-27 22:46:31
>根保孝栄・石塚邦男氏、

 先日は1日に3度も拙ブログに連投、今日は1年3か月前の記事にコメントとは貴方も物好きですね。

「日本人はどこにでも神を見つける」と断言する貴方ですが、この観念もまたヒンドゥー教から来ているのかも。ヒンドゥー教徒も土地土地の神も拝むし、御利益があるということで、インド大反乱(かつてはセポイの反乱)で戦死した英国兵の墓も拝む。

 一神教徒やマルキストからみれば実に節操がないにせよ、私的には好感が持てる。たぶん貴方はどこにでも神を見つける日本人を蔑んでいるのでしょうが、サウジさえ2004年に禁止のファトワーを出すまで、バレンタインデーが行われていたことをご存知でしたか?