トーキング・マイノリティ

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クルド問題-複雑化の背景 その②

2007-11-28 21:23:45 | 読書/中東史
その①の続き
 イギリスが態度を変えたのは、クルディスタン南部に位置するモスル州のキルクークに大量の石油が埋蔵されていることが判明したからである。イギリスはこの地域を独立したクルド人国 家に委ねず、自らの直接的な支配下にあるイラクへと併合するためだった。かくして1926年6月5日、モスル州は正式にイラクに併合される。パレスチナ同 様クルド問題もまた、イギリス帝国主義により種が撒かれていたのだ。21世紀でも世界はイギリスの無責任外交のツケを払わせられる羽目になっており、紛争 の火種はくすぶり続けている。

 モスル州が併合されても、既にイギリスによりクルディスタンに植え付けられていた民族主義は逆に大きく燃 え上がり、トルコ、イラク、イランに分割されたクルディスタンのあちこちで有力なアガ(首長)たちが反乱を起こす。だが、近隣部族との間で協調関係を結ぶ ことは少なく、むしろ対立関係にある方が多いというクルド社会の特徴が仇になり、これらの反乱は各国の支配勢力により次々と各個鎮圧されていく。

 イギリスがクルドを全く見捨てた訳ではなく、特にトルコのクルド人に対しては密かに肩入れをしていた。モスル州を完全支配するためもあるが、憎いケマル・パシャを 叩き潰す目的もあったと思える。モスル併合前の1925年2月、トルコ東部でクルド人は大反乱を起こすが、反乱指導者たちは至る所に「共和国を倒せ!スル タン・カリフ制を復活させよう!」とのビラを貼る。さらにクルド人の持っていた最新式の武器の大半は英国製だった。これだけでもイギリスが背後にいたのが 知れ、トルコ政府は抗議するものの、鉄面皮のイギリスは関与を否定する。

 トルコ東部の反乱はケマルにより、完全に鎮圧されるが、イギリ スのマスコミはここぞとばかりケマルに少数民族の虐殺者の名称を奉る。その一方、イギリス政府はトルコとの交渉の結果、併合したキルクーク油田の収益の 10%を25年間に亘りトルコに与えた。石油がほしいのはイギリスもトルコも同じであり、トルコは認められなかったものの、モスル州はオスマン帝国以来の領土と主張していた。歴史にイフは禁句だが、もしクルディスタンに油田がなかったのなら、その後この地はどうなっていたのだろう。

  第二次大戦後、イギリスと入れ替わるように米ソが中東に介入してくる。現代もイラク北部のモスルやキルクークの名は外電でも時々見かける程。「テロとの戦 い」を掲げるアメリカが武装組織クルド労働者党(PKK)の取締りに後ろ向きなのも、クルド人を優遇するのも、民族自決を尊重した訳ではない。油田地帯は 絶対手放せないのだ。石油が必要な限り、クルド問題もまた複雑化する。

 10月末に放送した「NHKスペシャル 新シルクロード-“希望”の門 トルコとクルド・2つの思い」に対し、トルコ大使からNHKに抗議があった。クルド労働者党(PKK)の取り上げ方が「一方的で、テロ組織の活動を正当化するもの」と言うのだ。セルメット・アタジャンル大使が10月30日付で橋本会長にあてた文書に、「20年間でトルコの国民3万人以上の尊命を奪ったPKKは、国際社会ではテロリストと正式に認知されている」としたうえで、番組が「その支持者や同調者の協力のもとで作成されたことが明白だ」とある。トルコ大使は再放送の中止も求めていたが、NHKは予定通り再放送する。

 トルコの抗議に対し、NHK広報部は「番組はトルコの現状を客観的に伝えたもので、取材も誠実に対応した」と回答。ネットで犬HKと誹られる程中韓に卑屈な好意的報道をするNHKにしては、かなり異例の姿勢である。トルコ軍がクルド人村を焼き払い、強権を発したのは事実だし、トルコ化を推し進めたのも真実。しかし、トルコ大使の主張どおり、「クルド人の多くがPKKを支援しているかのように取り上げられているが、事実ではなく、バランスが取られていない」。もしNHKがウイグルやチベットは無理にせよ、イラクで米軍に掃討された村を映せばまだ説得力もあっただろう。

  欧米の知識人は未だに民族自決を第三世界に求める傾向があり、日本の知識人の中にも「民族自決」の言葉に酔う者が少なくない。欧州はトルコの人権問題を俎 上に挙げ、特にクルド問題を糾弾する。だが、トルコの不安定化でもっとも影響を受けるのは、他ならぬ欧州なのだ。いい気になってトルコを叩けば、どうなる のか分った上でやっているのか?クルド人はトルコ人より保守的で、政教分離に賛同しない者が少なくないのだ。民族自決とは聞こえがよくとも、欧米列強の分 割統治の手段に使われたのは、遠い昔ではない。

 西欧で現地に適応しないトルコ系移民が問題になっているが、実はトルコからの移民にクルド人も珍しくもない。西欧人はクルド人とトルコ人をゴッチャにしているようだが、所詮異教徒は全て同じに見えるのだろう。
 日本とトルコの関係で、1890(明治23年)のエルトゥールル号遭難事件は知る人ぞ知る出来事だが、昭和60(1985)年、イラン・イラク戦争下 のイラン在留日本人が日本政府の救援を得られず、危機的状況にあった際、トルコ政府から派遣されたトルコ航空機により、無事日本に生還できた事件もまた案 外知られていない。こんな恩返し的行動をする民族はまずいないことを私は指摘したい。少なくともクルド人ならやらないだろう。
■参考:
『アラブの怨念』布施広著、新潮文庫
『中東世界』岡崎正孝編、世界思想社
『中東紛争史』山崎雅弘著、学研文庫
『ケマル・パシャ伝』大島直政著、新潮選書
『遠くて近い国トルコ』大島直政著、中公新書
◆関連記事:「少女ヘジャル」「亀も空を飛ぶ

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