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世界史の中のアラビアンナイト その五

2014-10-18 21:39:02 | 読書/欧米史

その一その二その三その四の続き
 ガラン版『千一夜』の出版が契機となり、欧州で東洋趣味が流行する。ガラン版愛読者だったヴォルテールアラビアンナイトを模して東方風のロマンス『ザディグ』を書き、ユーゴーは『東方詩集』を出している。『東方詩集』序文には次の一節があった。
今日ほど東方が世人の関心の的となった時代はない。東方研究がこれほど推進された時代はなかった。ルイ14世の世紀にはギリシャの賛美者が輩出したが、今は東洋学者の時代である……東方的な色彩は、まるで意志のあるもののようにやって来て、私のあらゆる観念や夢想にその刻印を残していった。

 リチャード・バートンはアラビアンナイト序文で、アラビア語研究の説き、その理由を次のように述べている。
最強の異教徒集団であるムスリムに上手く対処するには、この研究こそが必要なのだ。イギリスは、今や世界最大のムスリム帝国になったことを失念している。
 これだけ見れば、冷徹な大英帝国主義者という印象を受けるが、巻末論文からはバートンが東方に対して抱いていた屈折した憧憬が痛いほど感じられる、と西尾哲夫氏は書いている。そして西尾氏は、バートンにとってアラビアンナイトの世界とは、偽善と欺瞞に満ちたヴィクトリア朝的倫理の対極に位置する、一種の桃源郷だったのではないだろうか…という。バートンはベドウィンのテントを模した墓に葬られているのだ。

 アラビアンナイトを通し、欧州社会では得られない夢やファンタジーをオリエントに求めた人々は多かったのだ。また、欧州的な規範への反発から東方を目指した者、情熱の放出先を東方に求めた人々も少なくなかったという。19世紀後半、特にフランスで流行したジャポニスムもその流れを汲んでいるのかもしれない。西尾氏はその現象をこう結論付けており、日本人の中東観にもそのまま当てはまろう。
ヨーロッパにとってのアラビアンナイトとは、魔法が横溢(おういつ)する中東風の異世界幻想であり、栄華と宿命観、官能と残虐が渾然となったオリエントイメージの増幅器だったといえるだろう。

 たとえ“原典”にはなかったエジプトやシリアの伝承の寄せ集めが含まれるにせよ、アラビアンナイトには魅力的な物語が多いのは確かだし、それ故に世界文学になったのだ。アラビアンナイトはNHKの『100分 de 名著』でも昨年取り上げられ、番組サイトもある。もちろん講師は西尾氏。
 西尾氏はアラビアンナイトには最初期のSFやミステリの作品もあるという。若い女の死体をめぐる「三つの林檎の物語」はミステリに含まれる。有名なアリババの「開け、ゴマ!」も、超自然の存在に関わる呪文ではなく、現代での音声認識に当たるという西尾氏の指摘は目からウロコだった。

黒檀の馬」はタイトル通り黒檀でできた木馬で、それが簡単な操作で思いのまま空を飛ぶ。木馬の飛行も魔法やジンをはじめとする超自然の存在は全く関わっていない。さらに物語の冒頭には、黄金の孔雀を模したオートマタ(機械人形)が出てくる。このオートマタは1時間毎に翼を振るわせながら鳴き声をあげる仕組みになっており、当時の大都市ではこのようなからくりはそれほど珍しくはなかったようだ。
 アリババの音声認識自動扉やネジをひねって飛ぶ木馬、オートマタの孔雀といい、SFを思わせる設定だが、ある程度まではイスラム黄金期の先端技術を反映していると思われる、と西尾氏は書いている。

 中世のイスラム世界では、オートマタと呼ばれる自動人形が盛んに制作され、中でもアル=ジャザリー(1136-1206)は不世出の技術者として名を残した。彼が作ったオートマタの中には、ロボット楽団や孔雀をかたどった自動洗面器などがあり、大掛かりな仕掛けを用いた「城時計」には、定刻毎に羽を広げて口ばしから玉を落とす鷹が付属していたという。
 アル=ジャザリーの作った人間型オートマタには「飲み物を給仕するウェイトレス」まであり、原理は日本の茶運び人形と同じだが、既に中世イスラム世界で「茶運び人形」が作られていたとは…
 アル=ジャザリーはオートマタを作っていただけではなく数学者、天文学者でもあり偉大な発明家だった。また美術家としても評価されており、自身の発明を細密画で描写している。まさに万能の天才でアラブのレオナルド・ダ・ヴィンチといった人物だが、アル=ジャザリーの方が先。ダ・ヴィンチはアル=ジャザリーのオートマタに影響を受けたとされている。

 アラビアンナイトからも、改めてイスラム黄金期の先端技術のスゴさが伺える。これほどまでに高度な最先端技術を有していたイスラム圏が、なぜ現代のようになったのか。イラクやシリアで活動を活発化させているイスラム主義者は、この地生まれのアル=ジャザリーのオートマタをどう見るのだろう。

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