トーキング・マイノリティ

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モバレケ村―ゾロアスター教徒の村

2006-11-17 21:13:49 | 音楽、TV、観劇
 図書館にNHKビデオ「シルクロード」があったので、借りて見た。'80年代のNHK特集で、見逃していた「炎熱・イラン南道」を見ることが出来たので、とてもうれしい。この巻を借りたのはペルセポリスと共にゾロアスター教徒の村が映っていたからだ。

 イランの中心部にヤズトという町がある。古くから栄えた町だが、ゾロアスター教徒の聖地として知る人ぞ知るところであり、現にゾ教徒が今でも住んでいる。もっともこの地でもゾロアスター教徒はごく少数にすぎず、NHK取材班が訪れたヤズト町外れにある全員が同教徒のモバレケも、約百人程度の村人しかいないのだ。村の辻々の祠にはロウソクが飾られ、火を絶やすことがないというのは、さすが拝火教と呼ばれるだけある。

 NHK 特集「シルクロード」は本も出ており、本を読むとより詳しい取材裏話も載っている。取材班がモバレケ村に入った時、近くにいたゾロアスター教徒の女性に挨 拶したが、異教徒の男を避けるムスリマ(イスラム女性)と違い、日本人ににこやかな挨拶を返したというのはとても微笑ましい。だが、彼らの宗教のことを聞 いた途端、警戒の色を浮かべたそうだ。17世紀にイランを訪れたフランス商人タヴェルニエの記録どおり「この世にガウル(不信仰者、ゾロアスター教徒はこの蔑称で呼ばれていた)たちほど、自分たちの宗教の秘密を発言するのに小心翼翼たる者はいない」の状態が未だに変化ないのは痛ましい限りだ。これがインドの同教徒であるパールシーなら、積極的に発言するものなのに。

  警戒心が解けるや、モバレケ村の人々はこれまた17世紀と同じく友好的な態度に変わり、取材班を親切にもてなす。ちょうどこの村に住むロスタム・コーマさ んの母の一周忌に当たっており、コーマさんは集まった親族縁者の接待に立ち回っていた。彼は客に食べ物を出し、料理も作り、赤ん坊まであやすという働き者 だったと本にある。取材班の一人が「こんなによく働くイランの男の姿を、日本の女房に見せたくない」とぼやいたほどなので、映像にはパンをこねているコーマさんの様子だけが映っていた。しかも、笑顔を浮かべながらの作業。他の地域も似たようなものだろうが、日本の東北の男ならここまでやらず、男同士で酒を飲んでいるだろう。

 母親の一周忌なので、両親の写真の前にザクロやその他の季節の果物が並べられているのは、日本の仏壇を思わせた。ゾロアスター教の僧侶が呼ばれ、アヴェスタ(ゾ教の聖典)の読経をしているのも、日本の法要のようだ。
  だが、日本の法要と決定的に異なるのは、集まった人々が笑顔を浮かべ、陽気に振舞っていることだ。女性たちは楽器を奏で歌を歌い、それに合わせて少女たち が踊っていた。体が自然と音楽に合わせられるものなのか、リズム感のある動きは日本の盆踊りとはやはり違う。NHK取材班に同行していたイラン人通訳もこ れを見て驚いたそうだ。'80年代初め当時はイスラム革命真っ最中であり、結婚式で歌うことさえも禁じていたほどである。うっかり歌いムショに送られた者 もいるとか。

 ゾロアスター教徒の女性たちの服装を見ると、あの神秘的というより陰鬱で重苦しい気分にさせられる黒いチャドルをまとって いる者が一人もいなかった。西欧風の服を着た女性は皆無だが、松本清張の本にある通り、明るい色に地模様の入ったチャドルをつけ、丈も短めなのは、とても 華やかでオシャレな印象を与えた。ムスリマと何故ここまで違うのだろう。男たちは対照的に地味な服装だったが、かつて手織りのウールか木綿以外の衣服は許 されず、しかも服を染めるのを禁止されていたことの名残もあるのか?

 映像を見ると、村人たちはインドのパールシーに比べ小柄な印象だっ た。長身の遺伝子を持つアーリア系のパールシーは、生活も豊かゆえ、上背ばかりか体もふくよかな者もいるが、同じアーリア系なのにインドの同教徒より小柄 なのは、何世紀にも亘る貧困が影を落としていると思われ、痛ましかった。
 ゾロアスター教といえば死体を鳥に食べさせる鳥葬が 有名だが、イランではこの葬儀が禁止されてしまったそうだ。日本で自殺したイラン人を火葬にした際、駐日イラン大使館は不注意を叱責したが(イスラムで火 葬は厳禁)、ムスリムは異教徒の伝統的葬儀を止めさせることに痛痒は皆無らしい。インドのパールシーは未だに鳥葬を続けられているが、つくづく発祥の国と インドの寛容の違いを思い知らされる。

 「シルクロード」収録から四半世紀、モバレケ村の人々は今どうしているのだろう。

◆関連記事:「イランのゾロアスター教徒

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4 コメント

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秋風、○塚 (Mars)
2006-11-18 08:37:42
こんにちは、mugiさん。

私事で申し訳ないですが、今週はほとんど留守にしています。明日には、ようやく帰宅しますが、、、。

先日、身内の葬儀に出席したのですが、男性が動いてはいけないのは、四国・関西も同様のようです。通夜の席で、食器やゴミを片付けていると、「男は座って、酒を飲んでいろ」と、伯母に怒られました(汗)。

葬儀も色々で、特に宗教色が出るように思えます。その葬儀では、某会長の名から名誉職もいただきましたし、身内以外の参列者の読経などは、プ○かと思いました。下司の勘繰りかもしれませんが、死者の身内を監視しに来たのかと思いました。
(まぁ、亡き身内はその教徒ですので、望んでいたこととは思いますが、、、。)

日本人の多くの感情では、恐らく鳥葬は受け入れられないでしょうし、日本国内で、実際に行うのは難しいようです(死体損壊罪になるようです)。日本人も宗教に非寛容なのでしょうか??
(※http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E8%91%AC
お悔やみ申し上げます (mugi)
2006-11-18 20:51:58
こんばんは、Marsさん。

身内の方が亡くなられたのですか!謹んでお悔やみ申し上げます。

地方でも家庭により状況は異なってくるようです。昨年私の従姉妹の通夜や葬儀で一番働いたのが彼女の義弟、妹の旦那でした。妹の方が座ってましたが、年上妻に仕込まれたのか、元からなのかは不明です。

イランのゾロアスター教徒は常に迫害対象だった少数民族なので、結束力が非常に強いと思います。インドの同教徒となると生活水準がよく召使までいる家庭もあるほどなので、男性信者はそれほど家事は行わないとか。

私の父の亡き後、近所に母にやたら声をかけていたその教徒の女性がいました。

古代の日本では風葬という葬儀もあり、天皇家でも風葬で葬られた者もいました。
http://www2.odn.ne.jp/kaienji/syuuzoku/bunko.1/souhou.html

仏教伝来と共に火葬が入ってきましたが、全国ほとんどが火葬になったのは戦後になってです。衛生的との理由で。
大半の日本人に鳥葬が受け入れられないのは、かつては処刑された重罪人の死体を晒していたこともあるのでは。

私の職場の上司は昔TVでチベットの鳥葬を見たそうです。鳥が食べやすいように死体を切り刻んでいたと話してました。
2006年になって中共が、鳥葬の撮影や報道を禁ずる条例を公布して、伝統文化を保護すると称しているのは実に意味深ですね。インドに向かった脱出者に容赦なく機銃掃射を浴びせる映像を最近ネットで見ました。
懐かしい (セリ摘み王キモト)
2006-11-20 21:54:55
『NHKシルクロード』とはまた懐かしいですね。



久しぶりに蔵書を引っ張り出してみました。



歌い踊るシーンがありましたが文章ではこれを見た現地で雇った助手の青年が「連中、歌い始めたよ」と言って驚いたとあります。



革命イランでは歌や踊りは厳しく制限されていて結婚披露宴で歌い踊ったら新郎新婦とその両親が軍隊に逮捕されたとあります。





ホメイニの政権ではそうでも現在ではどう何でしょうか?



ご法度 (mugi)
2006-11-20 22:15:20
>キモトさん
私も『NHKシルクロード』を楽しんで見ていました。
本も買われてましたか。当時はホメイニ全盛時代だったといえ、結婚披露宴での歌や踊りまで逮捕対象とは惨い。
現代は不明ですが、ホメイニの死後、サーサーン朝に起源があるとされる辻に火を焚き、その火を飛び越える伝統的な火祭りが復活したそうなので(ホメイニ時代は異教的と禁止)、歌や踊りも緩和されたと思います。

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