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明治の日本人が見たイラン その②

2007-04-25 21:22:58 | 読書/中東史
その①の続き
 吉田ら使節団の見たイランの教育現場もお粗末だった。イランでは宗教家が教育を行っており、学校といえば「コーラン学校」、コーランを読めるようにするのが教育の第一目的だった。これは同時代のトルコや他のイラスム圏も変わらない。14世紀に詩人ハーフィズを出したシーラーズには上級学校が10校ほどあったが、ここでは宗教諸学を教えるのみで、文字が解せれば学者として通用したという。
  一行はテヘランで、近代化政策としてイランで初めて1851年開校された官立洋学校を見学している。学生たちには学資も与えられ、外国人教師も多くいる が、学生数は少なく向学心もなかった。吉田はこのような好条件ならば、日本では学生数は数十万になっただろうと述べている。

 官立洋学校でのイラン人教師のモラルも問題だった。教師たちは賄賂の多寡により学生に優劣をつけ、また校長は学生に支給される衣服費の三分の一を当然のこととして横領していた。学生数が少なかったのも、この学校で学んだことが本人の将来に直接生かされず、就職は全てコネ次第であったこともよる。明治人らしく吉田は貴賎問わず学を修める風習を広めることが必要と言うが、イランではいかに「ザラング(賢く)」立ち回るか、これが最も重要だった。

  教師でさえ賄賂を取っているのだから、役人はこれが習慣化していた。イランでは役人の俸給は低く、また富者の使用人の中には無報酬の者が多かった。彼らに 取りチップ(バフシェシェ)は重要な収入源だったが、これが吉田らを悩ませる。事ある毎にバフシェシェを取られるのは、日本人にとって実に腹立たしかっ た。イラン人の意識ではバフシェシェは賄賂・腐敗と思ってなかったが、清廉潔白をモットーとして国造りの意欲に燃える当時の日本人からは、腐敗としか映ら なかった。同行の古川は「賄賂ノ公行殆ト支那ニ彷彿タリ」と怒りを隠さない。イランの役人は上は知事から下は末端に至るまで収賄を事とするのも、支那と同じだった。

  イランの不条理な権力も使節団の注目を惹いた。シャーの寵愛を失い、罷免、失脚し、財産没収された宰相を吉田らは目撃している。宰相と家族が邸を出るや、 役人が財産の差押さえのため中に入り、器財を没収、これが終わると邸を取り巻いていた群衆はときの声を上げ邸内になだれ込み、先を争って品を奪い取った。 「波斯之旅」で吉田はこう記す。
一度王の愛を被ふれば氏もなき輩惣ち貴爵の尊称を受け、肥馬従僕意気揚々たるも、一度王の憤りに触れば財を没せられ産を奪われ、路傍に俾佇して顧みる人なし

 専制君主のシャー以上に権力を行使したのは宗教指導者たちだった。19世紀後半となると、反近代の全ての抗争に指導的役割を果たす。近代改革を目指す政治家の失脚に大きな力を振るったのも彼らだった。古川も、「夫レ僧都ノ権常ニ能ク施政ノ方向ヲ左右スル…教徒ハ…実際ノ威力ハ或ハ王ノ右ニ出ル者アリ、固ヨリ大臣ノ能ク及フ所ニ非ズ」と宗教界の影響力の強さを指摘している。
 軍人らしく古川はイランの軍制について詳細に観察しているが、彼の見たイランの軍隊は近代国家のそれとは程遠いものだった。徴兵制はなく、体格検査もなく、兵士は手内職で生計を立てねばならないほど貧しく、士官も無気力、銃も錆びており用をなさぬ有様。

  イランの刑罰もまた江戸時代の日本より残酷な刑が行われていた。鞭打ち刑、耳・鼻・腕・手首切りの刑の他、抉目(眼球を抉り取る)、生き埋め、磔、ノコギ リ引き、股裂き、臼砲の砲口に罪人をくくり付け大砲で吹き飛ばす刑などがあった。さらに罪は父母妻子親族にまで及ぶこともあり、全ての罪人は財産を没収さ れたので、裁判は収賄の一要因となった。
 また、イスラム法らしく賠償金を支払い、血の代償とすることも出来たので、「法律ヲ免レント欲スル者ハ、財産ヲ以テ罪ヲ贖フヲ得ルノ弊アリ」と古川はこの制度を非難している。同時代の清も同じようなものだったが。

 日本人使節団は、20世紀初頭来日したイラン人の高い評価とは対照的にイランに終始厳しい目を向けている。明治の日本人が見たイランは近代とは程遠い世界に過ぎなかった。イランを訪れたことはない福沢諭吉もイランと支那との類似性を指摘する。
 イランに日本から使節団が派遣されてから、一世紀と四半世紀が過ぎた。当時に比べ日本も大きく変化したが、今でもイランは宗教勢力が強いのは変わらない。

■参考:「中東世界」世界思想社

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5 コメント

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ある意味…… (のらくろ)
2007-04-26 00:27:01
日本は諸外国よりも相対的に「教育」が普及している分厳しい側面があります。

>文字が解せれば学者として通用したという。

日本ではこんなことはありえないどころか、アフリカ系外国人が驚愕したことのひとつには「日本では文字を読めるホームレスがいる(=文字が読めるにもかかわらずホームレスになってしまう)」ということもある、というのが、翻って私たちの「驚愕」でもあります。

確かにその割合は増加しているのですが、ホームレスという言葉がなく、浮浪者と言われていた数十年前からこの「状態」に変わりはありません。日本では「読み書き算盤」だけでは仕事にありつけない、これは明治どころか江戸時代から延々と続く、ある種の「伝統」となっています。

ところで、近隣諸国についてみると、某A国は日本統治時代に全国的な普及をみたハングルなる表音文字を、「日帝の遺物」として漢字交じりにならないようにし、表記をハングルのみに統一してしまってから、「暗記」勉強が大幅に増えてしまったそうです。例えばハングル読みで「スソ」なる言葉があるそうですが、これは何を意味するかというと「水素」なのです。ところが、日本語表記なら「漢字」が使えるので
「スイソ」は「水の素」すなわち水を構成する要素であると一目瞭然に理解できますが、某A国ではその定義づけを覚えるいちいち必要が生じます。これは某A国の勉強で「暗記」すべき事項をやたら増やしていることになります。

また、某B国では、漢字の発明国でありながら、某革命家が「簡体字」を導入、旧字体を追放したことにより、現在の50歳代以下の層では、遥か昔の孔子、孟子、老子等の「師」の思想が全く理解できないという事態が生じているようです。このような某革命家のやり方は、「情報公開」の効果を著しくそぎ落とすことに成功し、古典に共産主義思想を糾す文言があったにしても、それを人民は読み取ることができない状態に陥らせ、人民を「情報租界」に囲い込んでいる、といった、日本では考えられない事情が発生しています。

こういう事情を考えると、日本の戦前における「思想統制、思想弾圧」なんてものは、全く取るに足りないものと思えてくるから不思議なものです。
簡体字 (motton)
2007-04-26 12:42:41
文字は言語(特に発音)に従属するという西洋の思考が漢字圏に悪影響を及ぼした結果で、朝鮮についてはその通りです。まぁ勝手に滅べという感じではありますが。
でも、中国人が古典すなわち「漢文」が読めないのは簡体字が原因でありません。
漢文が話し言葉(言語)ではない純粋の書き言葉(符丁)であるためです。岡田英弘などは文法がない http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E7%94%B0%E8%8B%B1%E5%BC%98 とすら言っています。
そのため、四書五経を暗記して文法・語彙を補完しながらでないとそのままでは読めず、科挙はその認定試験のようなものです。現代の法律用語と司法試験の関係みたいなものだと思います。
日本人は漢文を注釈付きで訓み下してしまった(すなわち日本語訳した)ので、中国人も簡体字ですらなくピンインでいいので現代中国語に訳せばいいのですがね。
コメント、ありがとうございます (mugi)
2007-04-26 21:58:19
>のらくろさん
十年以上前、地元の河北新報にアラブの知識人カーン・ユスフザイさんのエッセイが連載されてましたが、彼が留学のため来日して、最初に驚いたのは、電車で新聞を読んでいる老女を見たことだと書いてました。彼の祖国なら80ちかくで字が読める女性など、まずいないとか。もしかすると読めるフリをしているだけなのかと疑い、女性を観察したら、ちゃんと読み終わって新聞をしまったので、これは大変な国に来たと思ったそうです。日本人の私も、彼のエッセイを見て驚きましたが。

某A国でハングルが公布されたのは、やっと1446年の李氏朝鮮4代世宗の時代になってであり、彼らが宗主国以上に蛮族と見下したモンゴルでさえも既に文字を作ってます。せっかくハングルを作ったところで、宗主国への無礼と遠慮した士大夫が多く、日本統治時代まで普及しなかった始末。

「日帝の遺物」排除に心血を注ぎ、漢字排除を行った某A国が、愚にもつかぬ暗記に時間を割いているようでは、到底想像力も養われませんね。だからいつまでも新技術開発もやれず、ノーベル賞も取れず、結果パクリに走る。

焚書坑儒という人類史上初の思想弾圧を行ったのが某B国ですからね。中世の欧州も異端の書や輩は焼かれる対象でしたが、それ以降はナチスまでありませんでした。同じ一神教でもイスラム圏は異端審問に欧州ほど熱心でなかったのは面白い現象です。
某B国の隣国であり、同じ四大文明発祥の国である某C国など、異端、思想弾圧などあまりない上、独立後は軍事クーデターもなく民主主義体制とは、何と対照的でしょう。ちなみに日本に次いでノーベル賞受賞者が多いのが、某C国です。


>mottonさん
昔は中国の知識人なら四書五経など簡単に読めると思い込んでいましたが、岡田英弘氏の結論「漢文は中国語(話されている言葉)とは無関係である、だから古語などではない」は見事。インドの知識人にはサンスクリットで、「マハーバーラタ」を読む者もいるのに。
何故中国人が漢文を現代中国語に訳さないのか不可解ですが、やはり共産主義体制の思想統制の一環もあるのでしょう。

司馬遼太郎は中国の知識人から、何故モンゴルなどに関心を持っているのか、と不思議がられたそうです。そうなると、専攻が満州、モンゴル史の岡田氏も同じ目で見られるかも。
非知識人の戯言 (Mars)
2007-04-29 19:59:11
こんばんは、mugiさん。

百年余りで価値観も態度も変わったとされる現在の日本人ですが、変わり身の早さも、日本人本来が持つものかもしれません(明治維新の前と後では、日本人の価値観も態度も変わったのではないでしょうか?)。
ただ、それでも、現在の日本人も、江戸時代以前より、脈々と受け継いできた価値観もあるのでは、と思います。

反対に、百年以上も価値観も態度も変わっていない者の方が、奇異に思えます。特に、時代が変わってもそれを受け入れられず、頑なまでに主義を曲げないのはまだよしとしても、それを他人にまで強制するのはいかがなものか、と思います。
(時代が変わってもそれを受け入れられないものは、日本・イランに限らず、聖職者、教育者、マスコミ等の、自称知識階級の方が多いでしょう。)

支那人、半島人も、百年以上も、価値観も態度も変わっていないでしょうけど。特に後者は万年属国から解放されても(自己の努力なし)、全く変わらないのも、興味深いですね。

(日本を批評する者も、日本の立場も、百年余りで変わりますので、その評価も違ってくるでしょうけど。それも差し引いても、日本人は変わり過ぎたのでしょう。)
歴史オタの世迷言 (mugi)
2007-04-29 21:23:09
こんばんは、Marsさん。

良くも悪くも日本人の特徴は変わり身の早いところですね。
日本の場合は心身ともに拘束する絶対的なドクマがないため、よく言えば柔軟、悪くすれば変わり身が早いとなります。
ただ、民族の本質は早々変化しないし、異民族、異教徒による支配を受けなかった島国ゆえ伝統が保たれているのが日本です。

世界的に見れば、むしろ百年以上も価値観も態度も変わっていない国の方が多数です。自分たちの価値観を曲げず、異教徒、異民族に押し付けるの点で欧州も十字軍時代と本質的に変わらないと思いますね。そして、特に時代の変化を受け容れられないのが知識人階級。彼らの誇る知識や価値観が根底から否定されるから。

支那を支配した北方民族がモンゴルを除き全て同化していったのに、支配されながらも半島人は同化もせず、内心は憎悪しながらも徹底して服従したというのが、興味深いと思いませんか?ということは、どの国に移住しても同化しない厄介者の性質を有しているとなります。支那の犯罪者の流刑地でもありました。

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