トーキング・マイノリティ

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ケマル・パシャ―灰色の狼と呼ばれた男 その②

2006-08-06 20:28:36 | 読書/中東史
その①の続き
 東進したギリシア軍は、約4世紀に亘りトルコに支配された報復するのはこの時とばかり、至る所で非戦闘員の虐殺を行った。全ての住民が殺害された村も少なくなく、その惨状を目撃したロンドン・タイムズの従軍記者も「我が政府が狂犬を飼い続けるのは許されるか?」 という記事を書いたほどだ。トルコ正規軍の待ち伏せなどないと、見下しきっていたギリシア軍はイノニュ高言で反撃され、敗走する。だが、トルコ軍は武器弾 薬の不足からギリシア軍を追撃できる余裕はなかった。それでもこの勝利は、ケマルの率いる「アンカラ政府」の国際的信用を高め、何カ国かはトルコの正当政 府と認めるようになる。

 思い知らされたギリシア軍は軍を再編成し、兵士を約十万名に増大させ、1921年7月半ば再び遠征を開始する。トルコの救国戦争の天王山となった「サカリア川の戦い」 が始まったのは同年8月14日だった。「新ビザンティン帝国」の建設という野望に燃えるギリシア軍は、トルコ軍の諸陣地へ激しい砲撃を加える。その猛撃に 対し、大砲、弾丸、兵士、全てが不足しているトルコ軍はただ敵の砲撃に耐えに耐え、白兵戦に移った時に勇気を示す他なかった。つまり、大戦中のダーダネル ス海峡戦の再開だった。今回も死闘が再現される。奇跡が起きたのは8月29日の早朝だった。

 数日来、ケマルはギリシア軍が自軍の右翼へ攻撃を集中させ、何とか突破させようとしている意図に気付き、その逆を突こうと決断する。すなわち、無理な上にも無理を重ね、ギリシア軍の右翼の方を逆に包囲するかのような作戦を取った。これは日露戦争の奉天会戦で日本軍が取った作戦によく似ていた。あの時、劣勢だった日本軍は、逆に圧倒的な兵力を持っていたロシア軍を包囲するかのような陽動作戦に出て、総司令官のクロパトキンの 判断力をすっかり狂わせ、敵の主要軍団を右往左往させる事により、勝利に導いたのである。ケマルがこの会戦を研究していたかは不明だが、ケマルの晩年にト ルコに赴任した武富大使によると、彼の執務室の書架には莫大な数の日本に関する書物が並んでいたのを目撃している。ケマルの陽動作戦で、ギリシア軍は大混 乱に陥り、総退却を行う。

 サカリア川の戦いに勝利したケマルに、トルコ国民議会は「ガーズィ」の称 号を贈った。これは“信仰擁護者”や“異教徒征服者”の意味で、スルタン(皇帝)やカリフは別にして、イスラム世界の軍人に与えられる最高の地位であり、 旧日本軍の「元帥」のようなものだ。戦いに勝利したアンカラ政府の国際的地位は不動となるが、未だギリシア軍は多数トルコに残っていた。サカリア川の戦い から一年後、準備が完了したトルコはついに総攻撃を開始する。ケマルは約十万名に増加していたトルコ国民軍に対し、命を下す。「前進せよ目標は地中海!」。敵を地中海に叩き落せ、の意味だ。
  ギリシア本国では戦争をよそに政治家たちは政権争いに熱中し、内閣が替わる毎に軍首脳部も入れ替えられ、最大基地のイズミールは汚職軍人の巣と化してい た。既に士気の落ちていたギリシア軍は各地で撃破され、崩壊し、地中海に追い落とされる。最大の敵はギリシアよりイギリスで、もはや介入する余裕などない イギリスは1922年10月11日、トルコと全面停戦条約を結ぶ。ここに事実上、トルコの救国戦争は終了する。

 後にケマルは青少年に向かい度々演説をするが、その代表的例を紹介したい。
我がトルコの青少年諸君!諸君の第一の任務は我国の独立と共和制を永遠に護ることである。諸君の現代及び未来の第一の基盤は、この独立と共和制である。これは諸君の最も貴重な宝物なのだ。
 将来、この諸君の宝物を狙う、内部及び外部の奸物たちが現れるかもしれない。もしも、そうなってトルコの独立や共和制を護るため、立ち上がらなければならなくなった時、諸君は自分が置かれている状況や、そこからの可能性に囚われてはいけない。何故なら独立と共和制の危機は、どんな形でやってくるか分からないからだ。
  我国に野心を抱く敵は、世界無比の強国であるかもしれない。そして武力及び策略によって、我が全軍が粉砕され、神聖な祖国の全土が占領されているかもしれ ない。しかも、もっと大変な事態としては、我国の政権の座にある者が無能であり、裏切りさえしているかもしれない。すなわち、彼らは私欲によって侵略者たちと政治的に結びつくかもしれないのだ。そして国民は貧苦のため疲れきっているかもしれない。
 しかし、トルコの未来の子供たちよ!そんな状況に祖国が置かれた場合でさえ、諸君の任務はトルコの独立と共和制を救うことなのだ!そのために必要な力は、諸君の体内に流れている、我がトルコ民族の血が持っている!

その③に続く

■参考:「ケマル・パシャ伝」新潮選書、大島直政 著

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2 コメント

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英雄 (似非紳士)
2006-08-07 14:52:29
日本にも、ケマルと同じような英雄は居るはずなんですよね。

たぶんトルコの民衆は、ケマルを誇らしげに語ることでしょう。

同じことが日本で出来ないことがなんとなく悲しく、トルコの人たちがうらやましい気分になりました。



大学の時にトルコの出身者と既知を得ることがあったんですが、彼らは驚くほど親日なんですよね。



学ぶべきことは多そうです。



続きを期待していますが、負担にならないように待ってますw
トルコとアラブ (mugi)
2006-08-07 21:38:35
>似非紳士さん

残念ながら日本には、ケマル級の英雄はいませんね。

もちろん国情や時代が違うので、ストレートな比較は出来ませんが、世界史でも稀有な英雄がいるトルコはうらやましい限りです。



トルコ人はオスマン・トルコ帝国を築いただけあり誇り高い民族なのです。十字軍でも先頭に立って戦いましたが、アラブは口ばかりで活動はあまりない。何かといえば、アラブは現代の混乱をトルコが四百年間も支配したのが悪い、とトルコに責任転嫁しますが、日本の隣国そっくりですね w

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