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破壊され続ける歴史遺産 その一

2016-02-06 20:40:05 | 歴史諸随想

 タイトルからISIL(イスラム国)によるシリアの歴史遺産への破壊を連想された方が多いだろう。しかしISILに限らず、ムスリムにとって異教の偶像は原則的には破壊対象であり、ISILメンバーだけが特別に過激な破壊行為を重ねているのではない。イスラム圏に関心を持つ人にとって、2001年3月、タリバーンバーミヤーン遺跡の2体の大仏を破壊したことは忘れ難い出来事だろう。
 上記のようなことを書くと、生まれながら又は改宗ムスリムはさて置き、欧米諸国や日本のリベラル派などが必ずと言ってよいほど反論する決まり文句がある。「一部の過激派」「偏見」「イスラム世界への理解が足りない」「ムスリムにもリベラル派はいる」……

 多少でもイスラム世界の歴史に目を通したならば、世界で最も古く文明が起きた中東世界がイスラム化して以降、どれだけの規模の歴史遺産が消滅したのか、知らないとは言わせない。ISILメンバーではないエジプトのイスラム主義者の中にも、スフィンクスへの破壊を宣言した者さえいる。このような“過激派”はエジプトの中でもごく一部と願いたいが、生活の苦しい庶民にとって、過去の異教の遺跡にどれだけ価値があろうか。

 ムスリムにもリベラル派はいる等の意見は、私に言わせれば皮相的かつ拙劣な擁護としか見えない。この種の意見の持ち主は欧米在住のムスリムを例に挙げることが多いが、ムスリムも欧米に住む以上、異郷の習慣に従わざるを得ないケースもあるのが想像もできないのか?その種の“リベラル派ムスリム”が、もし自分の子女が異教に改宗したいと言ったら、容認するとは到底思えない(イスラムで棄教者は身内でも原則は処刑対象)。
 但し日本のリベラル派の場合、イスラエルや米国の軍事行動は非難しても、ウイグルチェチェンには言及しないので、リベラルを装った特定アジアの手下が殆どだろう。日本に限らず欧米でもイスラム主義と左派思想家は共闘的関係にあり、日本赤軍最高幹部・重信房子パレスチナに暫く住んでいたことがあった。さらにwikiにある逮捕されるまでの重信の軌跡から、背後にいたのが何処なのか知れよう。
関西国際空港から計16回にわたって、中華人民共和国などに出入国を繰り返したことが確認されている…

 十字軍でイスラム世界は完全な被害者だったが、同じ頃のインドでは冷酷な加害者でもあった。北インドに侵攻したイスラム軍は各地でヒンドゥー寺院を破壊し回り、その後のインド侵略でも破壊行為が繰り返された。対象になったのはヒンドゥー寺院はもちろんジャイナ教、仏教寺院も標的となり、夥しい寺院や教典が灰燼となる。
 あの玄奘三蔵が学んだという仏教の総合大学ナーランダも、12世紀のイスラム勢力の征服で完全に破壊された。既にインドで衰退傾向のあった仏教は、これで滅亡時期を速めた。中央アジアの非イスラム宗教施設も同じ憂き目にあったのは書くまでもない。そのため北インドでは歴史の長い割に古代の遺跡が思いの外少ないという。対照的に南インドでヒンドゥー文化が色濃いのは、中世のイスラム侵攻により北からヒンドゥーの知識人や職人が南に逃れてきたことを指摘する研究者もいる。

 インドのヒンドゥー教徒には中世イスラムの蛮行を未だに恨んでいる者も珍しくないし、それがヒンドゥー対ムスリムという宗教暴動に発展する原因にもなっている。アヨーディヤーバーブリー・マスジド破壊事件(1992年12月)がいい例だが、ヒンドゥー原理主義者が破壊したイスラム寺院はこれだけではない。対立する宗教組織の寺院を放火・破壊するのがインドの宗教暴動では恒例になっている。
 それでもまだヒンドゥー教徒は、歴史遺産への理解があるほうだと思う。聖地ヴァーラーナシーにはモスクが幾つも立ち並び、それらが破壊されないだけで十分な証拠となろう。イスラムやキリスト教の聖地に、異教の寺院が建立されることは考えられないはず。

 日本もムスリムの破壊行為と無縁でなかったのは、2014年06月11日付のニュースサイトで知った方もいただろう。サウジアラビア人の慶応大院生、モハマド・アブドゥラ・サード容疑者(当時31)が浅草寺の仏像を破壊、逮捕されたことが載っている。彼は「ほかの寺でも仏像を壊した」とも供述していたが、逮捕を恥とは微塵も思っていない確信犯だろう。忌まわしい邪教の偶像を破壊するのは、ムスリムの義務でもあるから。
 例によってリベラルを気取る日本の新聞の多くは、この事件を「報道しない自由」扱いにしており、近頃日本各地で相次ぐ神社の放火も河北新報は殆ど報じない。

 但し、ムスリムは同じ「啓典の民」であるキリスト教・ユダヤ教の宗教施設には、それほどには破壊行為をしていない。もちろん破壊がなかった訳ではないが、多神教の宗教施設に比べれば寛大だったのだ。尤もオスマン帝国時代でも、キリスト・ユダヤ教寺院には様々な制限があり、拡張や改築、修繕が認められないことが多かった。
 以上、ムスリムによる歴史遺産の破壊を書いてきたが、キリスト教徒もその類の破壊行為では負けない。続けて欧州のクリスチャンによる行為を書いてみたい。
その二に続く

◆関連記事:「イスラムの寛容
 「加害者としてのイスラム
 「仏教徒とムスリムの対話
 「イスラム世界はなぜ没落したか?

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