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アラビアンナイトにおけるゾロアスター教徒

2006-08-19 20:44:49 | 読書/中東史
 千一夜物語にはよくペルシア(イラン)人が敵役として登場するが、この物語での悪党や魔法使いの大半がペルシア人なのだ。アラブ世界には「ペルシア人と握手したら、すぐ自分の指を確かめよ」 という諺もあり、ペルシア人を悪賢く油断ならない連中だと見ていたようだ。そのためか、千一夜物語には邪悪な魔法使いや食人を好むゾロアスター(拝火)教 徒が出てくる。ムスリムと異なり、ゾロアスター教徒には飲食物のタブーはほとんどないが、飢饉で食べ物にこと欠かない限り人食いはまずしないだろう。飢餓 ともなれば、日本人やムスリムでさえも人肉を口にしたのだ。

 20世紀になっても「人肉宴会」(喫人)をしていた国は論外だが、アラブも かつては敵の肝臓を食べたことがある。ムハンマドの叔父ハムザも敵に殺害され、その肝臓を食べられているし、サーサーン朝ペルシアに侵攻したムスリム・ア ラブも戦死したペルシア兵のそれを食べている。食人ゾロアスター教徒はムスリム側の悪質な誹謗ではないだろうか?現代の中共や南北朝鮮が旧日本兵が現地民 間人を殺害して、肉饅頭にして食べた、と喧伝しているように。

 特に興味深いと感じたのは千一夜物語の中の「ハサン・アル・バスリの物語」。この物語はネットでも読めるので、関心のある方はこちらを参照願いたい。この話には悪党の拝火教徒が登場するが、紹介にはこうある。「実際はたいそう邪悪な魔法使いでございまして、その名を拝火教徒バーラムと申します
  バーラムは美しいが貧しく純真なムスリムの若者ハサンを言葉巧みに騙して拉致、棄教を迫るのだが、彼は毎年姿の良いムスリムの若者をかどわかして、邪教に よる悪事を教え込んでいたとある。だが、若者がペルシア人でもない限り、これはまずありえない。現代でもゾロアスター教は異教徒からの改宗を認めず、純血 を尊ぶくらいなので、異民族、ましてアラブの若者に彼らの宗教を強要するのは考えられない。イスラムに改宗したペルシアの若者なら棄教を迫るのは大いに あっただろうし、改宗して世俗的に恵まれる背教者を「アネール(非イラン人)」とさえ呼んでいたのだ。日本の戦時中の「非国民」以上に重い言葉である。

  拉致されたハサンの素性を見ると、早く父を亡くし金銀細工で母を養っている設定だ。イスラム以前からペルシアの金銀工芸の質の高さは評判で、ペルシア人は 優れた職人としてアラブにも知られていた。実は建築技術や様式、医学や化学、絨毯の製作に至るまでペルシア文明の影響を受けなかったイスラム文化は皆無に 近く、歴史に名を残したイスラム社会の文化人の大半がペルシア人だった。アラブは武力で勝っても文化的には支配しかえされたかたちであり、ペルシア人への 不信には文化的コンプレックスもあるとされる。

 私は「ハサン・アル・バスリの物語」にあるのとは逆に、むしろムスリムの悪党がゾロアス ター教徒の若者をかどわかしていたのではないかと思う。単に労働力が必要なら醜男の奴隷でも構わないし、美しく手先の器用な若者なら、これほど重宝される 存在もない。千一夜物語には山海の珍味を並べ、「これで美少年でもいれば…」と願う男の話があるが、男女隔離の厳しいイスラム社会では酌婦のような職業は ない。そこで美少年のお酌係が登場するわけだが、果たして美少年はお酌をしていただけなのだろうか?
 騙されたハサンは薬を盛られ船で運ばれるが、これは明らかに奴隷売買のやり方だ。大規模な奴隷売買ではイスラム圏はキリスト教の欧州に先駆けており、千一夜にもよく奴隷が登場する。異教徒は奴隷にしても全く問題はなかった時代だった。

  人は己を基準にして物事を見るものだが、ムスリム側が純真な若者を誘拐する拝火教徒の物語を書いたのは、他ならぬ自分たちがやっていたことなのではないだ ろうか。ムスリムがゾロアスター教を邪教と罵り、棄教を迫ったのはしばしばだった。命や自由ほしさ、勝者の側につきたい世俗的理由から改宗した者も少なく ないが、後悔して元の宗教に戻った者は容赦なく処刑された。
 イスラムは異教徒にはよく「コーランか、剣か」の姿勢で臨んだとされる。だが、実際 には「コーランか、貢税か、剣か」が正しく、特にユダヤ、キリスト教徒にはこの原則を貫いた。「コーランか、剣か」はキリスト教徒側のデマであり、彼らは 他の一神教、多神教徒問わず「バイブルか、剣か」の姿勢で一貫していた。キリスト教徒には貢税で異教を認める考えなどなかったのだから。

  千一夜のゾロアスター教徒はよく魔法使いとして登場する。彼らがマジックに長けていたのは確かだし、イスラムに追われ唐時代の中国に亡命した同教徒は、魔 術の大道芸を行っていたのは中国の記録にもある。中国の民衆は彼らの奇術を喜んで見ていただろうが、信仰深いムスリム・アラブ人は怪しげな妖術師と見なし ても不思議はない。だが、本当に彼らが魔法を使えたなら、アラブに征服されることはなかっただろう。千一夜の邪悪なゾロアスター教徒の姿は、彼らを何とし ても貶めたいムスリム側のプロパガンダもあったと私は思う。敵を誹謗中傷する謀略に長けているのは、ムスリムばかりではなく、日本の隣国の民族も変わりな い。

◆関連記事:「イスラムの寛容

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8 コメント

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70年越しの疑問が解けて (変人キャズ)
2006-08-20 07:11:24
子供の頃、夢中になって読み耽った世界文学全集の中で、最も面白くて繰返し読んだのが、千一夜物語でした。

その時に、ゾロアスター教の名前は頻繁に出るものの、内容的にはどういうものか全く分らずに過ごしたのを、この年齢になって教えて頂いて嬉しく思いました。
ペルシャ人の魔法使い (スポンジ頭)
2006-08-20 20:28:23
はじめまして。



こちらのサイトはロムらせて頂いていますが、今回初めて書き込みます。



アラビアンナイトは岩波書店版で持っていますが、ペルシャ人は魔法使いばかりでなく医者としても出ていて、高等技術を持つ得体の知れない民族として描かれていますね。アラブ人より文明が高く、しかも宗教が異なるのでこういう描写になっているのだろうと思っていました。



邪悪なペルシャ人の話はアラブ側のプロパガンダが含まれていると言う話、私も賛成です。大体隣の異民族とは仲が悪いのが当たり前、とかく相手の言うことを鵜呑みにしてはいけないと思います。
コメント、ありがとうございます (mugi)
2006-08-20 20:56:26
>変人キャズ様

私も子供の頃と、大人になってから千一夜物語を読みましたが、子供向けの話はきれいに修正されているのを知りました。私が見たのはバートン版ですが、かなりエロがどぎつい。そこが魅力でもありますが。



ゾロアスター教に関して以前にも記事にしてますので、関心があればご覧下さい。

http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/55106ded1e029842f9aeab9f8bab8751
互いに (mugi)
2006-08-20 21:01:23
はじめまして、スポンジ頭さん。

拙ブログにロムされていたとは、ありがとうございます。



上記の敵役のバーラムも錬金術を心得ているようなので、かなり学もあるのは確かでしょう。

素朴なアラブ人からは尚更得体が知れず、警戒の目で見られたと思いますね。ペルシア人の方も未開民族とアラブを見下しており、「ペルシアでは愚人でも、アラブに行けば賢人になれる」との諺さえあるそうです。



アラブ人を騙すペルシア人ゾロアスター教徒がいたのは間違いないでしょうが、アラブもペルシアも「互いに支配しあい、征服しあった」(『タリバン』の著者アハメド・ラシッド氏)関係なので、陸続きの隣国ゆえ、当然の成り行きですね。
神秘主義ですね (alamal)
2006-08-21 12:35:15
ご紹介のはなしをざっと読みましたが、これは神秘主義がかかってますね。

純朴な青年がいろいろな誘惑を乗り越えてバラの蕾=真の信仰をつかむまでのストーリーのようです。

ここで見られるペルシャの拝火教徒は異教の象徴として読むのが適切かと思いました。

イスラームでは占いなどを禁じていますから、禁忌の象徴としても取れるでしょう。



アリフ・ライラ・ワ・ライラはこの地方の民話を集めたもので、ペルシャの民話がかなり入っているらしいですが、アラジンの話などは中国の話ですし、一概にムスリムがどう、とは言いにくいですが、ある編集が入った可能性はありますね。オリエンタリズムの代表ですから、フランスあたりではすでに研究があるのでしょうけども。n
異教 (mugi)
2006-08-21 21:24:07
>alamalさん

仰るとおりこの話は純朴な青年の冒険+成長譚でもありますが、明らかに拝火教徒バーラムは異教ばかりでなく、誘惑、抑圧、似非信仰を代表する存在となってます。そのわりにあっさりした最後でしたが…

当然ながら、「邪悪なムスリム」が拝火教徒を誘拐、棄教を迫った話は載ってませんが、ハサン青年のようにムスリム奴隷商人によって騙され誘拐された非ムスリムは多かったでしょう。一神教が拝火教含め異教を認められるはずがありませんので。



アリフ・ライラ・ワ・ライラはアラブだけでなく、インドや中国の話もあり、特に隣国ペルシアの民話なら相当含まれています。有名な船乗りシンドバットもインドの話なので、当時のイスラム社会の国際性が偲ばれます。
微妙なラインです (alamal)
2006-08-28 00:39:06
ゾロアスター教については微妙なラインですね。

有名なものとしては、「彼らを経典の民と同様に扱うように」と預言者ムハンマドが言ったというハディースがあるそうです。また、有力な法学者が彼らについて「彼らは経典の民である。からして、(彼らがさばいた肉などについては)彼らを経典の民と同様の方式で扱うべし」と著作に書いてあるそうです。

ヒンドゥや仏教についても経典の民とする学者もいるそうですが、これはさすがにやりすぎだろう、と言われています。



ちょっとやっかいなのが、「彼ら(ゾロアスター教徒)の女を娶るな。彼らの肉を喰らうな」というのが、「真正でない」ハディースにあって、こちらが広まった可能性もあると思います。



イスラームは学派によって見解がかなり異なりますから、いろいろな説を比較しないとわからないところがありますね。ただコーランにもハディースにも根拠のない土着の俗説はとても多くて、イスラームの大きな悩みのようです。



学者が彼らの食物がハラームにしなかったということは、商業上のつながり、雇用関係、そして日々の家庭間の饗応などのつながりを確保しておいたという可能性もあるのでは、とちょっと興味を持っています。12イマーム学派の見解も調べてみたいものです。
ガブル-不信仰者 (mugi)
2006-08-28 21:48:28
>alamalさん

ハディースなるものがやっかいですね。イスラムも一枚岩とは程遠く、宗派によりハディースも異なり、解釈も違うという有様。

法学者の解釈も分かれるので、ある法学者がゾロアスター教徒をユダヤ、キリスト教徒同様「啓典の民」として認めたとしても、別な神学者はそうでなかったりもします。

昨年の11月27日の記事にも書きましたが、異教徒に寛容な為、「不信心者の司令官」とあだ名されたカリフ、アル・マームーン(在位813-33年)でさえも、実際には異教徒を国境を越えて襲撃するよう命じた事もありました。十世紀までにゾロアスター教徒の家の一員がムスリムになった場合、その者は兄弟を排除して全ての財産を相続できるという法も立法化されます。

http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/45d01d06b0d3361bc6d1f97d2d16f987



17世紀にイランを訪れた西欧人も、興味深い記録を残しています。

http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/fa70661bbc406dcb387b79533a29dbb7



カジャール朝イランで、ゾロアスター教徒たちの窮状は凄まじいものでしたね。市場で彼らが食物に触れる事を禁じた法もあり、教徒の男たちは一目で「ガブル」(不信仰者)と分かるように、ターバンを巻くのも禁じられたりしました。彼らには法的な権利などなく、ムスリムが彼らを殺害しても処罰さえ受けませんでした。欧州のユダヤ人の方が遥かに法的地位は上です。



「彼ら(ゾロアスター教徒)の女を娶るな。彼らの肉を喰らうな」はハディースと関係なく当然ではないでしょうか。

-「あなたがた信仰する者よ,多神教徒は本当に不浄である」コーラン9章28節

異教徒の触れたものを不浄視するのは、何もイスラムに限らず他宗教も同じですが。



ゾロアスター教とイスラムの関係については、前者と後者の贔屓の方では見解が異なるでしょうね。

日印欧問わず前者に好意的な方はどうしてもイスラムに厳しい目を向けがちだし、イスラムに親近感を持つ人は違います。

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