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ドイツ文学者宅の実情 その六

2016-06-23 21:40:07 | 世相(日本)

その一その二その三その四その五の続き
 最近はどの大学でも、外国語文学研究は学生に不人気となっているが、とりわけドイツ文学科の凋落ぶりが目立つらしい。時代の変化もあり、「ドイツ文学者の家 16」でシオリさんはこう書いていた。
「だいたいドイツ文学者というものは、時代にでっち上げられた偶像でしかありまぜん。「ドイツ文学者認定協会」に申請して要件を満たして認定されたのがドイツ文学者というわけじゃないし…。
 それを考えると、ドイツ文学者という偶像はなんとも恐ろしいものですね。そして世間からドイツ文学者というブランドが消えつつある事は、私には嬉しいことです」

 ちなみにシオリさんの弟は父と同じく東大に入り、ドイツ文学ではなく心理学を専攻したそうだ。所詮は趣味レベル、役に立ちそうもない外国文学よりも心理学の方が将来的に有望だ。思春期に心身の不調に苦しんだ彼女は学業では父の期待に沿えず、父から何度も「おい劣等生」と呼ばれ、父の言う「くず高校」を卒業する。
ドイツ文学者の家 17」で書かれた文化人言論人の本性は、とても考えさせられた。文化人言論人といえば、とかく一目を置きたがる一般庶民と違い、間近で文学者を見てきた人の意見は重いものがある。

言論の自由というのは、文化人言論人などが自分たちの都合のいい時だけ持ち出すものであって、自分自身に都合悪い言論は平気でえげつなく弾圧するものです。とくに言論人文化人としての自分の名声やステイタスなどを脅かしかねない言論は、徹底的に手段を選ばず、しかも周囲の目に入らないように「隠れて」脅しをかけるなどして口封じするものです。そのやり方、時にはやくざまがいのことも…。
 大学教授といえども自分の『知的指導者』としての立場を守るためには、やくざまがいのやり方で時にはありもしない罪をでっち上げて口封じをしてくるものです

 シオリさんの父は方々では、「ドイツでは家族一人ひとりの意思と感情を尊重するから、日本でもそうあるべきだ」と言っていたという。人間は総じて内面と外面は違っているが、このドイツ文学者は外で言っていることと家でしていることが完全に正反対の人物だった。この類の言論人文化人、日本では案外少なくないのではないか?
 さらにシオリさんの父は娘を仲間のドイツ文学者の息子と結婚させるつもりでいたらしい。さすがに後には考えを改め、娘に好きなように生きてよい、と言うようになるが、日本の文学者の間ではまさか今時、ある種の“政略結婚”が行われていたのか?そしてシオリさんはドイツ文学者宅の実情をこう一括する。

ドイツ文学者の子供というと、世間に出てくるのは医者や心理学者になったという世間体のいい例だけです…自分の息子がヤンキー、娘がギャルだったりしたら、なんとかバレないように事実上の座敷牢に閉じ込め飼い殺しにして、自分の都合の悪いことは外部にもれないようにするなんて、大いに在りうるんじゃないかと思っていますね、怖いですね…。実はとあるドイツ文学者の家でも類似する例を複数聞いているのですが…

 シオリさんは記事やコメントで、常に父親を「ドイツ文学者」と他称で呼んでおり、父とは書かないのが意味深だった。父娘ゆえの愛憎が強く感じられ、父亡き後も複雑な感情は消えないようだ。もちろん私もこんな「ドイツ文学者」の家よりも、小田原の蒲鉾屋の娘に生まれた方が遥かによいと思う。
 しかし、生まれてくる家や国を選べないのが人間。例え父が改心したところで、過去は決して償えない。過去と向き合い、それをどう克服するかは結局は自分自身なのだ。親とは不仲の関係でも、成人後は友人やパートナーに恵まれ幸福になる人もいる一方、理解ある両親や恵まれた環境のもとにあっても、幸薄い人生を送る者もいる。

 改めて学識と人格は全く別物ということが、シオリさんの話から伺える。彼女の父は優れたドイツ文学者だったかもしれないが、家庭人としては完全な落第生だし、「文化人言論人なんて、そんなものですよ」と言うシオリさん。先日辞任した東京都知事も最高学府を卒業、助教授を経て「国際政治学者」という肩書でメディアに華々しく登場する文化人言論人でもあった。

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6 コメント

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むかしの外国文学者 (madi)
2016-07-04 10:39:40
辞書と資料をにらみながら書斎にひきこもる外国文学者はどうも似たようなものだったようです。週刊朝日2016年5月20日だと園子温(そのしおん)監督と大島新監督対談がありましたが園監督の父上も英文学者でかなり家族を支配するタイプだったようです。
Re:むかしの外国文学者 (mugi)
2016-07-04 21:41:21
>madi さん、

 園子温、大島新両氏ともに初耳ですが、後者が名前からあの大島渚監督の息子なのは想像がつきました。検索したら大島新監督は、兄と共作本を出したそうですね。
http://president.jp/articles/-/14192

 やはりドイツ文学者だけでなく、英文学者も家族を支配する独裁者タイプがいたのですね。この類に限り外では、「○○では家族一人ひとりの意思と感情を尊重するから、日本でもそうあるべきだ」等と言うのでしょう。書斎にひきこもるのは勝手ですが、家庭人としては最低な父親では家族は堪りませんね。
お久しぶりです(^-^)v (シオリ)
2016-10-09 10:11:07
Mugiさんこんにちは。9月は天気悪くて雨ばかりでしたねー。

貴blogの「ドイツ文学者宅の実情」読みました。
madiさんのおっしゃる通り「辞書と資料を睨みながら書斎に引きこもり」「本を読まない奴は相手にしなくとも」食っていけるわけだから、いわば密室ですね。カルト教団みたいな(^_^;)


蒲鉾屋や観光案内所なんかは多少肌にあわないお客さんとも世間とうまく円滑に付き合うのは大原則ですが、ドイツ文学者宅は
「本を読まない奴とは付き合うな」
でしたからね(^_^;)しかも出版関係者もそれを後押ししていたし(>_<)

仙台にお住みなのですね。青葉城恋歌(懐メロ!)の…
阿佐ヶ谷も夏に七夕しています。
Re:お久しぶりです(^-^)v (mugi)
2016-10-10 15:41:06
>シオリ さん、こんにちは。

 およそ5カ月ぶりですが、お変わりありませんか?本当に今年の9月は「秋の長雨」でウンザリでした。10月になっても曇天続き、早く秋晴れになってほしいものです。

 外国文学に限らず今でも文学者達は、辞書と資料を睨みながら書斎に引きこもる人物が多いと思います。尤も現代は、「本を読まない奴は相手にしなくとも」食っていける時代ではありません。学士が増えた今では希少価値も薄れ、役立たずインテリとなっていることも。

 蒲鉾屋や観光案内所に限らず大半の勤め人ならば、気質のまるで違う相手や世間と円滑に付き合うのは大原則。しかし、学究の徒は違うようです。貴女のお父様と違い教授になれず著書を一冊も出せない研究者が、ネットで憂さ晴らしするケースも。
 何度も同僚への陰口をブログで書いていた研究者(しかも実名ブロガー)もいたし、やっていることはLINEで同級生の悪口を書き殴る女子高生レベル。社会性という点では庶民の素人以下ですね。
Unknown (シオリ)
2016-10-12 19:20:00
こんばんわ。

Mugiさんこんばんわ。

とくにかわりないですが、ドイツ文学者との学生時代の仲間が他界し、香典を一万円払ってきてお茶を貰って世間話してきました。

毎日この「ドイツ文学者宅の実情」見ています。
いろいろ思い出しますねー。ドイツ文学者という霊長類に支配されていた黒歴史。
ついにテンション上がってブログ再会してしまいました。
http://asagayanosensei.blog.fc2.com/


シオリさんへ (mugi)
2016-10-13 22:11:23
こんばんは。

 お父様の学友が他界されたのですか。両親の学友や知人が故人になっていくのは寂しいですよね。半年ほど前、私の父の友人も他界しました。

 この駄記事を毎日読まれていたとは光栄です。実は貴女のコメントを見て、これはいいブログネタになる、と思って記事にしました(汗)。一般庶民には「あなたの知らない世界」だし、知的上層階級の家庭というのは興味津々でした。

 その三では池内紀氏の愛読者からコメントを頂きましたが、「半分笑いかけた頬が凍る、そんな印象」とか。ブログを再開されたそうですね。記事が楽しみです。