つくばあそび 呟き部屋

取るに足りない瑣末事を面白おかしく楽しみたいと思います!

デジカメに見る疲労感的収斂。

2006年09月10日 00時55分24秒 | 日々徒然

 

 ここ一週間、多忙でした。

 そのためか今日は体が「休め」と言ので、釣りにも行かず、買い物にも行かず一日ゆっくりまったりと過ごしました。 無理をせず、体の言うことを聞くのは大事だと思います。

 

 ・・・爺むさい?

 

 しかしこのように体から与えられるシグナルというのは、なんと言うか、自分であって自分でないような不思議な感じです。 自らの意識コントロール下にないものですしね。

 また別の見方をすると、非常に合目的的であると言えそうです。 物事の役割を知るためにはそれを無くせばわかりやすいのですが、、、つまりこの「疲労感」というものが無かったら、我々の体はすぐにオーバーワークで参ってしまうと思われます。 とっても大切な体の機能であり、当たり前に存在するのではなく必要に応じて進化してきた形質であると思われます。

 

 相変わらず思考が飛びますが、、、

 

 デジカメの電池残量計(というのか?)や自動パワーセーブ機能はこの「疲労感」という形質と類似した機能なのかもしれませんね。 「疲労感」とそれへの応答としての「休憩」は正常な機能を長く保つためのひとつの答えなのかもしれません。

 別々に進化した生物グループの性質が同じ生態位置にいるため似てくることを収斂進化と言いますが(鳥の羽と昆虫の羽根、魚の鰭とイルカの鰭、など)、それと同じことが商品開発にも起こっていると言えるように思います。

 なんだかデジカメに話が移りますが、自動パワーセーブ機能のみならず、最近のデジカメの光学システムは自動的にピント、絞りを調節し、さらには手ぶれを補正して投射される画像情報をクオリティーを確保したりします。 よくできていますよねー。 生物の目・脳と同じシステムです。 そのうち、動く被写体を自動的に追いかけたり、対象をパターン認識する機能もついたりするのでしょうか。

 生物機能であろうが、機械の機能であろうが、目的が同じであれば同じ原理原則が根底に流れているのではないかと思われます。 言い換えるならば、我々生物の体も炭素や水素、酸素などで作られた機械であって、それを金属で作り変えても原理原則が変わる訳がない、と言えるのかもしれません。

 

 ・・・いかん 話がまとまる気配が無いので今日は終了。。

 なんか、内容がいっちゃってますねぇ。 もうちょっと休憩して頭のネジを締めなおさないと。。

 

 


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