盤上の悪魔

囲碁、哲学(人間原理、相対主義、プラグマティズムとか)、ラノベなんかを中心にしてます。

国債のデフォルトの合理性と、先送りの合理性

2017年03月06日 21時44分53秒 | 投資
現在の日本では、国債はすべて円建てであるため、デフォルトを回避する事は理屈の上では常に可能ではある。

極端な話、輪転機で札束をすって返済してしまえばいい。

しかし、これはデフォルトが選択されないということを意味するわけではない。


純粋に国全体の利益を考える合理的な政策決定者を考えた場合、デフォルトした場合の悪影響とデフォルトを先送りした場合の悪影響を比較し、デフォルトを先送りした場合の悪影響が上回った段階でデフォルトを選択するはずである。

この場合、デフォルトを回避する手段がある事は、デフォルトを先送りできる期間が長くなる、という形でしか影響を与えない。

財政破たんする国の一部は、特に貸し手が外資である場合、にっちもさっちも行かなくなる前にある程度戦略的にデフォルトしてくることがある。


増え続ける国債や、日銀のリスクの高い金融緩和によって、時間がたてばたつほど財政破たん時の悪影響が大きくなる状況では、政策決定者が国全体の利益を増やすべく合理的に判断を行うと仮定するならば、常にデフォルトの可能性に備えなければならない。

しかし、実際にデフォルトを行った政策担当者は、非常に厳しい立場に立たされるだろう。

日本国債は、リスクに対する利回りの低さのため、海外から見ると非常に魅力に乏しく、ほとんどが国内、それも銀行預金の運用先として保有されてる。


この状況でデフォルトを意図的に行えば、国内の銀行や預金者は甚大な被害を受ける。

放置すれば、さらに深刻な結果がもたらされると言ったところで、実際に損失を被る人々が納得することはあり得ないだろう。


政策担当者個人の利益から見れば、問題を先送りし、自分の任期中に破たんが起きないことを祈るのが最も合理的な選択といえる。

しかしながら、戦略的デフォルトが理屈の上ではあり得ることは、頭の片隅においておいた方がいいかもしれない。
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