うなぎなう

あなたが笑ってくれると、オレはとても嬉しいです。
じっくり読んで、笑いましょう。

平和主義者たちの無法地帯。

2017年11月20日 | テレビ
秋は行楽シーズンで、家族揃って紅葉狩り(もみじがり)に出る人も多いだろう。

しかしながら、テレビのニュースを見ていると、全国各地で交通事故の枚挙に遑(いとま)がない(=いちいち数え切れない)。
一体どうして、赤信号を車両であれほど高速で突っ切るのか。
(ニュースで見たのだけど、)事故った後に、ケガした足を引きずって尚、パトカーからの逃走を全力で試みる様には、開いた口がふさがらない。
オレも、信号無視は何回かあるが、法定速度を超えたスピードで交差点の信号を突っ切ったことは、まだない(こういう公言をするところが図々しいと言うのかもしれない…)。
休日ドライバーのオレの運転は、まだまだ未熟者です。

「あいつが悪い、こいつがやった」という交通事故の、被害者側と加害者側は、話し合って、わかり合えるものなのだろうか? 
同じ日本という国に生まれ、同じ人としての教育を受けたとはいえ、そのたくましさと言うか、その厚顔無恥(こうがんむち)さ加減には恐れ入る。
人と人との揉め事(もめごと)は、「話せばわかる」こともあるけれど、「わかり合えない」ことだってある。
特に、大人のお金が絡む(からむ)問題の解決は難しい。
交通事故には当然、賠償金の問題が浮上してくるからだ。

最初から、話すだけで仲直りが出来るなら、北朝鮮だって、「核爆弾」なんて用意しないだろう。
平和主義を謳う(うたう)日本人でも、自国以外の戦争まで口を出す人は少ない。

とかく、人が織りなす人の世は難しい。
人に、自分に、もう少し愛着があるのなら、我々は、社会のルールを、個人レベルから大切にするべきだと、オレは思う。

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バカ騒ぎも経験しておく。

2017年11月19日 | 
長年、人付き合いを無精している。
同居している親とも、あまり無駄口は叩かない。
親も内心、心配しているのか煩わしいのか、病院が用意している「デイケア」にでも、参加したらどうだと口うるさい。

いっそ、誰の人目も気にせず、大きな声で笑えたらいいのに、と思う。

図書館の本で、キャッチィなブログの話題を探していたら、ある本(参考文献「12歳からの人生論」多湖輝 新講社)の部分的なフレーズを見て、こんなことを思った。

それは、人はみな違う。「自分とどこが違うか」、その相違点を探せば、日常会話で話題に困らない、と。

こういうのは、真逆も真理である。
「自分とどこが違うか」の真逆とは、「自分とどこが同じか」。
すなわち、共通点を見つけよう、ということになる。
共通点と相違点。
分かりにくい文脈で申し訳ない。

「他人の、どこが自分と同じで、どこが自分と違うか」。

それを頼りに話題にすると、日常会話のネタ探しに、余計に疲労しなくて済むし、自分とは何者であるかも分かってくる。
「最初に話題を見つけるとき、まずは、相手と自分の共通点を探すといい」。
オレの主治医のいる病院の信頼できる女性スタッフ(看護婦ではない)も、それと同じようなことを言っていた。

大人になればなるほど、人は経験を積んで利口になるものだが、それと同時に、感性の方は鈍くなっていくものである。
大人は、それぞれが歩んできた人生の中で、あまりにも多くの人と出会ってきたために、他人の人格を区別しにくくなっている。
AさんもBさんもCさんも、似たり寄ったり、個性の度重なる重ね録りが、認知機能を司るあちこちで起きている。
大人は、「みんな人間同じだよ」って言う。
でも、10代20代のキミたちなら言えるはずだ。
人はみんな同じじゃない。
同じ人間なんて、一人も居やしない。
だから、自分とどこが違うか(あるいは、どこが同じか)、その違和感(あるいは共感)を探して友達とたくさん話そう。
そして騒ごう。

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