うなぎなう

あなたが笑ってくれると、オレはとても嬉しいです。
じっくり読んで、笑いましょう。

正しい年末年始の過ごし方。

2012年12月28日 | 日記
突然だが、年末年始にオレが見る(予定の)テレビ番組を、先に言っておく。
年始からこけるのを防ぐため、ここ「うなぎなう」で宣言しておいて、少しでも「竜頭蛇尾」になるのを避ける狙いもあるのです。

12/28 「ニュースハイライト2012」「ニュースウォッチ9」「学べるニュース」。

12/29 「土曜プレミアム 人志松本のすべらない話」「特集 双方向解説そこが知りたい!」。

12/30 「日本レコード大賞」。

12/31 「NHK紅白歌合戦」「今年も生だよ!やりすぎ笑いっぱなし伝説」。

1/1  「レッドカーペット」「爆笑ヒットパレード2013」「笑点!お正月だよ!大喜利祭り」「NHKスペシャル2013世界とどう向き合うか」「仲間由紀恵の蒼い地球Ⅶ」「着信御礼!ケータイ大喜利 お正月スペシャル」。

1/2  「新春お好み将棋対局」「新春!オールよしもと 初笑いスペシャル漫才12連発&開運!お年玉コメディ」「新春大売出し!さんまのまんま」「スーパープレゼンテーション 新春スペシャル」。

1/3  「初笑い東西寄席」「池上彰の2013年を見に行く」「和風総本家 お正月スペシャル」「新春TV放談2013」「サイエンスファンタジー カガクる!」。

今年の年末年始は、冬型の気圧配置で、年越し寒波だそうだ。
特に元日は、注意らしい。
名古屋だと、-1℃まで冷え込むようだ。
ちょうどそのころ、岐阜県内のオレはと言うと、徹夜明けのおつむに、お笑いの雨あられと、NHKのヘービーユーザー並みの重量上げを、浴びつつこなしている頃だ。

新年早々の、脳内革命を期待しよう。
それがオレの、生きる道と、心得て。
努力の上塗(うわぬり)するしか、オレは満たされないところまで、来てしまった。

あたふたと、いつの間にやら背水の陣とは。
来年の、厄除けかなんかのつもり。

月並みですが、みなさん、良いお年を。
誰もが、平和で、豊かな暮らしができる、そーいう世の中になりますように。

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あの時のオレ(=お礼)

2012年12月27日 | 作品
オレが、退学届けを大学に提出しようか迷っていた時、ゼミの担当の教官に、相談しに行ったことがあった。
そのゼミの教官(=先生)は、教授の中ではまだ若くて、その当時発表した論文が、企業から注目されてたらしく、しょっちゅう、企業の重役たちが、視察に来ていたので、体がふたつあっても、足りないくらいの、繁忙さをきわめていた。

そんな中で我がゼミは(オレ以外)、恵まれた機材と環境を使い、さらなるスキルアップを目指して、日夜研究に没頭していた。

そこで、オレはと言うと、化学の基礎研究も、いろはも知らないくせに、化学色まる出しのゼミに配属され、あたふたしていた毎日。

与えられた自由と、時間の中で、完成度の高い、明るい人材と高度な研究を、自分から作っていくことを、暗黙のうちに定められていた。
向上心のある人を、企業は重要視していたようだった。
オレは、新しいテーマなど、思いつくはずもなく、優れた模倣実験さえ、できないでいた。
オレは、大学いち自信のないオレよりも、夢に向かって突き進んでいくオレになりたくて、仕方がなかった。
あの時オレは、「大学やめて作家になりたい。書きたいテーマは、オレの宗教だ」と、先生に言った。

それを聞いた先生は、「宗教なら教官の自分にもある。自分の生き方みたいなもののことだろう。宗教と言っても、仏教や、キリスト教だけやない。むしろ、心の宗教みたいなもんが、果たしてキミにあるのかどうかっていうことだろうなぁ。魅力的なもの、湧き出るものが、あるのかないのかっていう」と、おっしゃった。

成績の芳(かんば)しくなかったオレに、寝る間も惜しんで学校へ泊り込んで出席していた先生が、わざわざオレのために時間を割いてくれたことが、とてもオレは嬉しかったし、当時、自分に自信を失っていたオレにとっては、オレを特別扱いしてくれたことで、ほんの少し、自尊心がくすぐられた。

現在、宗教≠哲学という軽いぶれはあるにせよ、どうにかこうにかやって来れたと、振り返る。

先生。
オレの魂は、社会の十字架にかけられても、自分の信念を曲げませんでした。
あの時、先生と宗教の話をしたおかげで、かなりオレは励まされましたし、今でも、あの時のことを、昨日のように思い出せます。

―――先生、退官おめでとうございます。―――
先生の生徒の中で、一番の稼ぎがしらになるべく、日々努力しております。
もう少し腕を上げたら、あのころの大学を舞台にした小説を書くかもしれません。
どうか、お元気で。
そして、ありがとうございました。

追伸:年の瀬の、回顧録。
   先生の退官が近いことを告げる一枚のはがきが、この記事を書かせました。
   実は、オレは出来の悪い生徒で、教官泣かせだったのです。

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本読みの、人生。

2012年12月22日 | 作品
オレは、とにかく脱皮したかった。
ストレスとフラストレーションの煙に包まれて、いっそのこと、全くの別人になりたかった。
そのために、オレは、「本読み」の道を選んだ。

本を読み終えるたび、その作品の中で、作者は、何を言いたかったのか。
要点を頭の中で整理し、ある程度暗記し、そらで言えるようにした。

このシーンの次はこのシーンで、大体、こういうことが展開されていく、というようなことまで粗方覚えていた。
映画でもマンガでもドラマでも。

周りの人は、立ち止まって、ブツブツ何度も、何やら暗唱しているオレを、不思議そうに、遠巻きに見ていたのかもしれない。

とにかく、誰でもかんでもオレは、影響を受けたかったから、オレはオレなりに、たくさん話を聞いたり見たり読んだりしてきた。
その場に、第三者がいたら、「それはお前、受け売りじゃないか」と言われそうなものも多い。

ギリセーフ。

別に、それで良かった。
でも、それでは、ダメなのである。
オレは、作家になりたいのだ。
作家になりたいオレが独り立ちするには、自分の言葉で、咀嚼して表現できなければ。

オレの不徳の致すところで、読み終わった本から得られる、読後の感想が、今と昔では個人的に、大きく違うと感じる。
カリスマブロガーと呼ばれるようになって(幾分、仮想現実の入り口にいる)、人にモノを薦めるにあたり、「大体」では責任がなさすぎるし、また、歯切れも悪くなると思うのだ。

オレは、人生における何度目かの「もう一度」、ここに、言葉を練り直してみる必要があるかもしれない。
昔読んだあの本を「もう一度」。

それは、内容もさておき、オレの場合は『セリフや描写のリズム、スピード、テンポはどうであったか(2012.6.12に既出の「ジュニア小説講座」にて参考のこと)』

全体にかもし出す雰囲気でも、文章は変わってくる。
技を習得するには、圧倒的に時間が足りない。

走り出せオレ。
舟をこいでる場合ではない。
急ぐのだ。

「やぁ、懲りもせず、また、話を聞きに来ましたよ」

そう言って、また再び、読書に戻る。

それが今。
なけなしの、今。

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意志の上にも三年。

2012年12月21日 | 
「作家」と言うと、小説家を思い浮かべる人が多いと思うが、ときの日本国語大辞典を紐解けば、作家とは、「芸術作品の製作者」を意味するのだそうだ。

別の表現を使えば、作家とは、「何がどうだかよく分からんが、口ひげでも生やして腕組みをしながら論評する先人の、そのご啓示をありがたく拝聴し、それを生かしつつ作品活動をしてく人のことだ」(…?)と言い換えれるが、詩歌、小説、絵画、音楽、陶芸、これらすべての美術活動のどれか、あるいはどれもこれもを行う人のことを言うようなのだ。

作家とは、小説家のことを示すと短絡的に思っていたオレだが、小説は文章で表現することから、詩歌や音楽(作詞)と似ているとは、比較的、類推しやすい。

そこでオレは、昔の話になるが、2009年の2月から3月まで、NHKの趣味悠々という番組で、秋元康の『にっぽん作詞紀行』(注:同じタイトルでテキストあり)を勉強したことがある。
これを学んで、オレは、目から鼻へ抜ける思いがした。
いきなり、レベルアップの階段を、駆け上ったような。

志(こころざし)を同じくして、でもどうやったら良いのか分からなくて、道に惑うこれからの若者たちが、やっとこさこの記事に辿りついたのなら、是非、このテキストを入手して読んでみてほしいのだ。

オレは、要点と思われるところだけを、自分でピックアップして、別紙にまとめてみた。
そういう手間は、惜しんではいけない。

AKB48のプロデューサーでもある秋元康氏の、作詞テクニックを、キミはどれだけ理解できるか。
小さくまとまってしまうよりも早く、一刻も早く手に職を付けて、多くの賞賛を得たいものだ。

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テレビの欠点。

2012年12月19日 | 作品
この「うなぎなう」に来ても、あいつは二言目には「本を読め。本を読め。読めったら読め」と、うるさいからなぁ。耳にオクトパスができちゃうよ、と新人のうなぎファンは言いそうだ。

でも、何も文筆業は、作家だけではない。
特ダネもガセネタも、しゃかりきって取材する、新聞記者だって、言われもない文筆業の、代表格である。

テレビは、あの手この手で、視聴者を飽きさせない。

一度スイッチを入れてしまうと、ダラダラと何時間も見てしまうのは、テレビに責任はないとは言え、テレビの明らかなる欠点と言って良い。
これは、何時間も(テレビを)見たのに、頭の中に残るのは、ほとんど何もないという、すさまじく恐ろしい欠点なのだ。

一方、紙面に載せる文字媒体は、後から読み直したり、あるいは、自分のペースで、理解しながら読むことができる。

テレビでニュースを見ようが、あるいは、新聞を読んで知ろうが、それはどちらでも良い(個人的には、若者こそ新聞を読むべきだが)。
オレは、そんなことを言いたいのではない。
大切なのは、『そのニュースを見て、自分は何を考えるか、そして、そう思う理由はなぜか』を、常に意識してフォローアップしていくことだ。

自分の自由時間のうち、ほんのわずかな時間を割くだけでもいい、我々は、何かを誰よりも深く考えることで、上流社会に食い込んで繁殖していく、雑草魂(ざっそうだましい)をはぐくまねばならない。

桃太郎の黍団子(きびだんご)のように、キミの仕込んだネタが、特ダネとして、コミュニケーションに生きることを切に願う。

自分のネタを、家族ないし友人などに披露(ひろう)することによって、キミのネタは他者の意見と化学変化(スパーク)し、より良いものへと、そのつど進化していくことだろう。

フリートークの能力は、どんな仕事でも、あると便利、必要な能力だと思う。
それを精進することは、決して間違った生き方では、ないはずである。

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