うなぎなう

あなたが笑ってくれると、オレはとても嬉しいです。
じっくり読んで、笑いましょう。

将棋を選んだ理由。

2012年06月20日 | テレビ
将棋を学ぶと、記憶力の強化になる。
将棋は、何手先も読むということが、必要になるゲーム。
将棋には、将来の何手目のために、この手を今するという伏線が多い。
伏線だらけというのは、小説のミステリーにも似ている。

本を読んでも、全然理解できない人というのは、文頭に書かれていたことを、文末まで読み進めると、忘れてしまう人が、多いのではないだろうか。
そういう点を考慮に入れて、将棋を学べば、本読みに必要な記憶力の強化や、伏線の生かし方、物事をイメージ化してとらえる、右脳を鍛えることもできるのだ。

テレビを見ていても、数分前に何を話してたか、宣伝中に思い出せない。
将棋をすることで、サビつき始めた脳力を、回復させる狙いもある。

学生時代に、本当に身につけなければならないのは、勉強の内容ではなく、勉強の仕方であると聞いた。
大人になってくにつれ、勉強しなければならぬ内容は変わっていっても、勉強の仕方は、本質的に、あまり変わるものではないからである。

学問を続けることは、多分、一生、大切なのであろう。

学ぶ姿勢を失った者は、向上心を失った者だ。
「生涯是勉強」と、断言してもはばからない。
学ぶべきことは、年を重ねても、なくならない。
何かを始めると、それに伴い、新しく覚えることも増えてくるはずだ。

将棋が強くなるには、棋譜通りに駒を並べてくのではなく、詰め将棋を、多くこなす方が早いそうだ。

詰め将棋とは、自分の狙い通りに、相手玉を動かし続ける訓練である。

来月からは、講師が変わるらしい。
初段レベルまで、レベルアップできたら、マジ嬉しい。

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映画鑑賞感想文 Vol.3

2012年06月14日 | 映画
一番良いシーンとか、一番視聴者がドキドキするシーン、あるいは興味をかきたてられるようなシーンを、その物語の冒頭にもってくるのは、製作者側の王道(金科玉条)である。

日本代表の渡辺謙が、ひどく年老いたお金持ちとして、アメリカ代表のディカプリオと対峙する場面から始まる、この日米合作作品『インセプション』は、録画してなかったら、多分一度見ただけでは、理解できなかったのではないだろうか。

ディカプリオは、「タイタニック」とは、また違った役柄を演じている。

やたら、雪上での射撃の命中率が良い、主人公コブ(ディカプリオ)が、富豪のせがれの深層心理に取りいるまで、何度も言い含めるシーンは、オレオレ詐欺の生ライブを見ているようだった。

脇役のアーサーは、見かけによらず強く、ちょっと説明しにくいのだが、彼が自分の夢の中で動く様子は、宇宙空間内でケンカすると、ああなるのだろうかと思わせられた。
宇宙で身を守るチャンスがあったら(そんなチャンスなんて、めったにないだろうけど)、是非参考にしよう。

全体としては、前向きな作品だった。

泥のように眠りたいという、睡眠に対する、怠惰な欲望も背景に見え隠れしていた。

堕ちて行った人を、二人助けたことになる主人公は、頼りになる奴なのである。

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読もうよ、本。

2012年06月13日 | 作品
オレは、今まで、長い文章読本を読み続けてきた気がする。

文章読本とは、文章の何がしかを、論ずるだけに留まらない。
テーブルに向かって、夜な夜な本のページをめくるときの心構えだとか、読書に対する姿勢だとかも、含まれる。

より良く生きたいなら、人は本を読むべきである。

たとえ、本を読むことから、遠ざかってしまうような出来事に遭ったとしても、再び、本を読むことを始めるべきだと思う。

若者に何を望むか。

本を読め。
文字を読め。
マンガでも、絵を眺めるのでなく、吹きだしのセリフを読め。
絵を追うだけで読んだ気になるな。

霊長類のトップに君臨する、人間だからこそ、できることがある。

極論「できることなら、動物でさえも本を読むべきだ」

バカになってゆくのは、誰だってできる。
小利口な奴は、嫌われるだけだ。
偉大なる先人の恩恵。
”本”とは、ありがたい、知恵の源泉である。


「相手が女性の場合の、その女(ひと)の気持ち」
何故なの?
孤独を歌っている。
何故、あなたは一人なの?
私も一人。
あなたと一緒にいたい。
あなたがいないと、私もひとりぼっち。
どうか助けて。
私も、あなたと同じなの。
あなたは、私と同じなの。

…なんてさぁ、言われてみたかったものですなぁ。(あるときは詩人)

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もう一度学びたし、学び舎。

2012年06月12日 | 作品
大学当時は、もぐってまでも、講義を聞きたいとは、思わなかったけど、いざ卒業して手ブラ(うなぎ語録:手でブラジャーというのではなく、手もちぶさたという意味)になってみると、いろいろとやり残したことがある。

化学系ではなく、生物系の学部に行きたかったくせに…。
何より、作家になりたいなら、文学部という選択肢も考慮に入れるべきだったのに。

東京カルチャーセンターの通信講座で『ジュニア小説講座 楽学ネット』を受講したけど、それは大阪城の外堀から攻めているようなものだった。
大阪城の本丸を攻めるには、再入学して、再大学生とこなければ。

現役のときに、どんな受験活動をしていたのか忘れたことを理由にして、現役高校生でもないくせに、進路相談のために、母校に電話までしてしまった。
そして探して、そりゃー東大京大目指せればいいけど、そこまでは求めずに、切磋琢磨するつもりで辿り着いたのは『東海学園大学』。

オレが再入学するなら、この大学だ。

有名作家が講師として招かれる授業もあるらしく、ここの人文学科「創作文芸コース」は、めっさ(うなぎ語録:”めっちゃ”の進化形)学ぶべきは何であるかを、教えてくれそうなのである。
そーいう授業であれば、学生でなくても、もぐって聴きたいなぁと思わせるのだ。
教養・基礎科目カリキュラムで学べるものは、どれも面白そうで、血が騒ぐ。

ファースト・オピニオンの精神科の先生には、「もう少し遊ぶことも大切です」と、言われたオレだが、暇があれば本のことを考えている。 

再入学して、もう一度学び直したい。

どこまでいっても、ないものねだりか。
「マジっすか?」と聞かれても「マジっすよ!」と答えるしかない。
でも、今のオレでは、お金も時間もない。
実に、実に残念なのだ。

『ジュニア小説講座』を受講して、もっと、こういうことを学びたいと思う若者がいるのなら、『東海学園大学』は、要チェックである。
続け者共。エイエイオー。

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曰く、我、師を仰いで。

2012年06月08日 | 作品
親の他に、身近な大人と言うと、高校ぐらいまでは、学校の先生が一番多く挙げられるのではないか。
学校の先生というのも、ガラパゴス諸島のように、特異な環境で生き残った、個性的な面々が集まりがちである。

「先生と呼べる先生数多く」

手相に、そういう相があるのかどうかは詳しくないので、実際には分からないが、先生運と言うものがあるのなら、オレは、間違いなく、良い方ではなかっただろうか。

あれから20数年を経たが、忘れられない名言がいっぱいある。

「自分が、人より優れたものがあると思ったときは、注意しなさい。そういう時には、必ず、その目の前に、大きな落とし穴があるものですから。その落とし穴に落ちないためにも、あなたたちは、努力することを続けなさい」

当時としては、正確にはその意味すべてを、推し量ることはできなかったけれど、オレは、本を読むのが好きだったから、勉強よりも、本を読むことを続けて良いのだろうかと悩んだ。

放課後、職員室まで出かけて行って、その先生に、直撃インタビューを試みることは、たとえ隠れ新聞部員であったオレでも、できなかった。

その後、勉強することが本文である学生と、時間があれば本に充てたい時間とで、中途半端なまま、大学院中退まで行ってしまった。
それでも、無理して読んだあのころの本たちは、紛れもなく血や肉や骨になって、オレの体を作り上げている。

先生がおっしゃった、落とし穴の回りを、グルグル回るようなことを、オレは知らずにしてきたのだと思う。

どうせなら、人に名言を与えて、心に残る人になりたい。

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