イスラミック・ブルー

スペイン、エジプト、イラン、トルコ、チュニジアへ、イスラミックな旅へ。
スペイン/地中海レストランガイド

闘牛の街、アグイラール・デ・ラ・フロンテーラ

2005-03-17 00:29:53 | アンダルシア
 ヘミングウェイの『日はまた昇る』は夕日の落ちる時間に合わせて、舟に揺られながら読む。毎日少しづつ読む。ふと見上げると、ナツメヤシの向うに沈む夕日はとても大きい。静かな夕暮れ。真っ赤に燃える空。そしてヘミングウェイ。夕日を見つめすぎ、チカチカした目の向うに見えてくるマタドール。そして歓声。瞬き一つしない牛が、こちらに向かって突進してくる。
 「おい、もう起きろ」帆掛け舟の中でいつしかまどろんでいた。ネグリジェみたいな民族衣装を来た船長に起こされ、私はまた村へと帰っていく。気温が落ちないうちにひよこを家の中に入れなければ。
 闘牛と聞いて、私が思い出すのはアフリカのとある村に居候していた時の事。私はまだ闘牛を見に行ったことが無い。闘牛とフットボールのゲームだけは一人で行ってはいけないと思っている。一人はさびしすぎる。

 前の日に「明日の朝開けてあげるよ」と言われていたので、翌朝起きると直ぐ、カステージョ・ルナへと向かった。オスタルとバルの兼業のほかに博物館を持っている。バルの戸を開けると、主がこちらを見て「ちょっと待って」と言う。スペインのちょっとはあてにならない。「じゃあ、カフェ・コンレチェを」と頼む。主はカウンターの客と話しこんでいる。客は常連のようだ。鍵を開けてからまた話せばいいのに…なんていうことは言っても仕方が無い。店内を見回すと、所狭しと闘牛のポスターがかけてある。それを見ているだけでも楽しい。常連との話しに区切りがついたようだ。と、その男が博物館に案内してくれた。なんだ。この人が博物館の担当者だったのか。カマレロが客に給仕しながら朝食をカウンターで食べ、タバコを吹かしている国だ。さもありなん。
 二匹の可愛い子犬に案内されて、裏庭から小さな闘牛博物館に入った。処狭し…なんてもんじゃない。天井から何からとにかく闘牛と名のつくものは何でもある。小さなお土産からポスター、衣装、牛の耳まで、どこをどう歩いていいのかわからない。担当の男は私がいくら「スペイン語は判らない」といっても、身振り手振りをくわえて丁寧に説明してくれる。判らないなりも興味を示す私を気に入ったのか「ビノは好きかい?」と聞く。「ええ」と答えると、ちょっと待っていてといなくなった。戻ってくると二つのグラスを手にしている。「この土地のビノだ」と渡してくれる。なんとワインを飲みながらの見学。最後は食品庫にまで案内してくれた。天井からはハモンが下がり、大きな冷蔵庫が唸りを上げている。積み上げられた食品のまわり、隙間という隙間に飾りきれない闘牛のポスターや小物が置かれている。
 見学を終えてバルに戻ると、またビノを振舞ってくれた。主と男になんでこの街にやってきたか聞かれる。「カリフの街道をたどっているの」と答えると、非常にうれしそうだ。そして、「あいにくだったね。この街のカステージョは壊れている」と言う。「壊れていても、あった所を見てみたいからこれから行く」と言うと「歩いていくのかい?それならこの男に送ってもらいなさい」と主が言う。丁重に断ったが、「歩いていくのは大変だよ。この男は今日は休みだから大丈夫」と主にすすめられる。男は、学芸員どころか、博物館の担当でもなくやはりただの常連だった。男の車で坂を上がった。オリーブの畑が眼下に広がる場所で車は停まった。遊園地のようなところで、屋外ステージがあり、とても城跡とは思えない。不安そうにしていると、「大丈夫、こっちだよ」と歩き出した。遊園地を通り過ぎると、きのこのような岩がそびえている小高い丘が現れた。男はずんずん上っていく。ついていくと、岩のほかに遺構が少し残っていた。「城は?」と聞くと、男は「これさ」と大きなきのこ岩に手をついた。「銃撃戦があったときに壊されてしまったんだよ」という。「こっちへ来てごらん」と言われついていくと、柱の上部のような石が一つ。横から見るとチューリップのような、二つのくぼみがある。「このくぼみにそれぞれ手を置くんだ。そして首を差し出す。ギロンチン台だよ」というではないか。なんということだ。そして、これこそが、ここに城があったことを証明する遺物だ。
 周りをよく見回してみてはっとする。昨日祈りを捧げた教会の十字架が見える。ここは教会の真裏だ。昨日、祈りを捧げる前に、教会の周りを歩いた。真後ろまで来たとき、門が見えた。教会を一周することは出来ないんだ。民家へと入ってしまうと思った私は、そのまま引き換えしたのだった。あのまま、臆せず門をぬけていたら、この場所に立っていたのだ。しかし、そうするとギロチン台の説明は受けられなかっただろう。アルハムドリッラー。
 宿まで送ってもらい男と別れる。街の中を散策。ファティマの手だけでなく、この街の扉は面白い。東洋的な動物のついた扉が目に付く。ワイン工場の中庭には、古い大きな石臼等が転がっている。イスラーム朝もこの街では香り高い白ワインが、王宮で振舞われたのではと思いをはせる。 

坂の街、アグイラール・デ・ラ・フロンテーラ

2005-03-09 22:58:53 | アンダルシア
 「さあ、降りた!降りた!ここがアグイラール・デ・ラ・フロンテーラだよ」バスの運転手が振り返って叫んだ。バルの前でバスは停まった。バス停とは思わずのんびりしていた。飛び上がるようにして降り、バスの下からバックを引きずり出す。木漏れ日がバルのガラス窓に写りキラキラと輝く。まぶしい。さて、ここはこの街のどのあたりなのだろうか?静かな並木を歩き、大型スーパーを覗き込みながら、まずはインフォメーションの矢印を追って町の中心へと向かう。
 日本にいる時、この街に来るとは思っていなかった。旅の流れで降りたったために、詳しい資料が何も無い。どうやらインフォメーションは休みのようだ。この街も、聖週間や団体が来るときしかインフォメーションを開けないのかもしれない。オスタルの看板が見えたので、矢印に従ってどんどん街の中に入っていく。適当に道を曲がりながらしばらく行くと、国旗のかかった建物が目に入った。ビンゴ!
 閑散とした暗いバルの奥からおじさんが出てきた。「空き部屋はありますか?」と聞くと「シー」と答えが返ってきた。空き部屋は…はスペイン語で聞いたが、宿代を紙に書き込んで見せてきた。「いいか?」と聞くので今度はこちらが「シー」と答える。
 「勝手に上がりな」と言われ、指差されたドアをあけると、家族のリビングがあった。階段を上がり狭い廊下を右往左往し、部屋にたどり着く。長居をしたい宿では無い。
 とりあえずスーパーへと向かい、食料を仕入れる。街の中をブラブラと歩き、大きな公園に出る。薔薇の花が咲き、オレンジが実り、イスラームの庭園だ。細長いサボテンがにょきにょきと生えている。スーパーで買ったアプリコットを食べていると、通りすがりの人たちが微笑みかけてくれる。
 この街は坂が多い。路地を覗き込むと、日本であれば「富士見坂」と名前のつきそうな急な坂も少なく無い。看板にそって歩いていくと、少し開けた場所に出た。子ども達がフットボールをしている。ここでもインフォメーションが閉っている。悔しいことに、ガラスケースの向うにはパンフレットや地図が山積みになっているのが見える。ふと見ると隣りの建物が開いている。小さな噴水が入り口にあり、子どものための図書館か塾か。子ども達は本に囲まれた小さな部屋への珍入者に驚きいっせいに顔を上げた。誰かが先生を呼びに言った。出てきた人に聞いてみると、インフォメーションがいつ開くのかは判らないと言う。それでもしつこく「私は地図が欲しい」と訴えかけると、一部もって来てくれた。大きくて立派な地図だ。裏にはスペイン語と英語で町の説明が書いてある。
 地図を貰った建物の突き当たりに教会があるので行ってみた。イグレシア・デ・ソテラーノ。祈りを捧げる親子連れが何組もいる。十字架を背負った大きなキリストの御足に接吻する人たち。子どもを抱え揚げ、接吻させる母親。そして、その御足を白いハンカチでそのたびに拭く。傷まないようにという配慮であろう。暗いイグレシアの中で、赤いロウソクの炎がゆらゆらと揺らめく。大都会のカテドラルとは違い静かであるが、かといって静か過ぎるわけでもない。安心感のあるざわめき。祈りに集中できる丁度良い空気がそこにはあった。
 沢山ある像の中で、私は一体のマリア像の前で動けなくなった。ロウソクを上げ、腰掛けて祈った。深く、深く。私がかつて、気がつかずに傷つけた人の心が癒されるように。いつまでも私は目を瞑り、手を合わせていた。遠くにベビーカーの音と、子どもの声が聞こえる。
 また雨だ。標高が高いせいだろうか。天気が変わりやすい。さっきまでの青空がうそのような土砂降り。傘は宿で寝ている。これは祈りを捧げなさいと言う、神のお導き。私はまた深く頭をたれた。
 どの神もすばらしいと思う。神は等しく我らを守り、導いてくれると思っている。だから今日は、ここで祈りを捧げる。


雨のモンテマヨール

2005-03-06 23:38:28 | アンダルシア
 モンテマヨールで、私はとうとう青空を見なかった。厚くたれこめた雨雲に覆われ、傘を手放すことが出来なかった。屋根つきのベンチが一つ置かれただけのバス停で、バスの下からバックを引きずり出すと、バスは直ぐに走り去った。さて、どうしたものか。車窓から標識を追っかけていたので、だいたいの方向感覚はつかめている。とにかく広い国道に出なければならない。宿は国道に並んでいるはずだからだ。車窓から見る限り、ガイドブックに掲載されていない宿はこの街には無いようだ。
 バス停から国道までは一本道。国道に出ると直ぐ、大きなドライブイン…っと。黄色いレストラン兼オスタルがならんでいた。レストランに入っていき、カウンターの中で忙しく立ち回るカマレロ(ウエイター)に一泊できるか聞いてみると、キーをカウンターの上にさーっと滑らせた。部屋はダブルベットとクローゼットでいっぱい。大きなスーツケースなら広げる場所が無い。バストイレがついてこじんまりとしているが、居心地は悪く無い。下からレストランの食器と人々の声が多少のぼってくるが、それもさほど気にならない。

 丁度シエスタの時間についてしまったので、村は静まり返っている。店も閉り、傘にあたる雨粒の音だけがする。小高い丘の上にたつカステージョを目指して歩く。下から見上げると林に囲まれた城のようである。しかし、それはほんの一部であることが登りきって見ると判る。見晴らしのよい丘の上からは街が見渡せる。天気のよい日なら、真っ青な空に、白壁の家が太陽の光を受けて輝いていることだろう。
 城は大きくしっかりとしていて見ごたえがありそうだ。城壁に沿って歩き、教会を見上げ、唯一開いていた花屋で薔薇や菊を眺める。
 シエスタも終わり、そろそろ車や人通りが激しくなってもよさそうだと思いつつ、私は郵便局の前に立った。開く気配は無い。隣りの観光案内所の扉が細く開いたので、入ってみる。
 観光客がめったに来ない村や街では、城や博物館を閉めているところが多い。そんな時は、観光案内所や委託を受けているバルなどにいって開けてもらわねばならない。ここでもそんなことであろうとたかをくくって聞いてみた。「カステージョに行きたいのですが」と尋ねると、そこにいた男の人はカレンダーを指差しながら首を振った。「諸聖人の日が来るから連休ですよ。街じゅう観光できるところは、一週間全て休みです」と言う。なんということだ。シエスタの時間に路地と言う路地は歩いてしまった。大きな公園も無く、珍しい建物も少ない。そして、宿の部屋は居心地はいいものの一週間もいるには窮屈だ。
 目の前にこんなに立派なカステージョがあるというのに入れないとは。考古学博物館は、中が丸見えである。鉄門があるだけで薄暗い部屋に石臼などがごろごろ転がり、ガラスケースにやじりや小さなものが沢山並んでいる。鉄門を握り締め、目を凝らして中の展示物を見る。
 小奇麗な広場にはなぜかアルハンブラのライオンの噴水が置かれているが、これもお休みである。仕方なく、教会の外観めぐりを始める。手を合わせるマリア像や十字架を背負うキリストのタイルなど、素朴で、伝統的なスタイルのものが多い。たまたまかもしれないが、門前のクロスが鉄製でレース模様のところがいくつかあり、可愛らしい。

 散歩だけで終わってしまったモンテマヨール。もし、青空が広がり、路地路地で、パンのいい香りが漂っていたら私はもう何日かいたかもしれない。翌朝、私は次の村へ向かった。
 カスージョから見下ろす屋並。そして目と同じ高さの空。今度来るときは平日の晴れた日に…。

風まかせ、気ままにアンダルシア

2005-03-02 23:45:24 | 旅の仕方
 グラナダとコルドバの間を移動するのはバスが便利だ。直通で約3時間。車窓からずっと景色を見ていると、いくつかのカステージョ(城)を見ることができる。そして、カリフの街道の看板も多く出ている。
バス停は大きなものもあるが、大抵はバルの前か、ベンチがあるだけでバス停とは思えないところもある。
 コルドバで手に入れた、スペイン語のRuta del Califatoの本を抱えて私はバスに乗った。ある程度のルートと予定は決めていたが、宿も日程もきちんと決めずに旅をするのは初めてだった。それには訳があった。アンダルシアの村のホテルリストは本に載っていたものの、メールアドレスやホームページの存在は無かった。ネットで予約しても、信じられるのかどうか判らなかった。アラブの旅が長く、旅行代理店を通さない予約を疑う癖がついていたこと。そして、なによりもスペイン語が判らない。相手の送ってくれる返答が怖かったと言うのが、本音である。宿が無ければ、次の村に行けばよい。気に入れば長くいればよい。旅とは本来そういうものではないだろうか。かくて、私は本当に気ままな旅を始めた。
 まずは大きなバス停のある村。そして宿が二軒以上存在している村に行くことにした。ありがたいことにどの村も、宿がニ三件しかないところが多い。お陰で、荷物を持ってうろうろしていると、宿へ引っ張っていってくれる地元の人が多い。アンダルシアの村の人々は総じて親切だ。本当に小さな小さな村だと、すれ違った村人全員と挨拶を交わすことになる。
 宿屋は祭りの時期を除いてがらがらである。フロントに人がいないことも多く、チェックアウトのときに主を探し回ったこともある。鍵をポストに入れて外出。戻って主を探し、鍵を頼むと「もって歩いてよ」と言われる。
 タクシーのある村も少ない。まず無い。みな自家用車である。あの山頂にあるカステージョにどうやっていくの?と聞くと、大抵大手を振って、足踏みする。「歩いていくんだよ!」というジェスチャー。
 観光案内所もいつやっていて、やっていないかわからない。公式にはやっていることになっている。しかし閉っている。ガラス越しに見える、村の地図やパンフレットを恨めしく眺めることも多々あった。
 博物館も、開館スタート時間には一応あける。しかし、誰もこないと判断するや否や、シエスタに突入する。
 村を旅するのに、かっちりとした予定を立ててこなくて良かったと思ったものだ。私は今でも、というか、ますます予定を立てずに村へと入っていく。気に入った村には何日もいる。用が無いと思えば、次のバスで移動する。
 最初の頃、バスがいつ来るか判らず、誰もいないバス停で何時間もバスを待っていたことがあった。青い空を眺め。雲を数えて、スーツケースに座っていた。今はバスの時刻を簡単に調べられる。バス停から一番近いバルに行って聞けば言いのだ。たったそれだけのことだが、最初はわからなかった。赤毛のアンの気分に浸り、次の村に行かれなければ、そのバスの終点に行けばいいと、いつも自分に言い聞かせていた。たいていはグラナダかコルドバ。そしてマラガ。しかし、私はちゃんと何処かの村に行くことが出来た。
 アンダルシアはオリーブとヴィノ、ケソ(チーズ)が美味しい。美しい景色と食べ物は不安をかき消す。ドキドキしなから、パン屋のにおいにつられ、私の旅は続く。