土子 Blog

独り言

勉強会

2004年10月12日 | つぶやき・エッセイ

先日、洋画の勉強会に出席した。18人が絵を持ち寄り、先生方にご指導いただいた。私は3年ぶりの出席だ。3年間で絵の流行は大幅に変わっていた。
そういえば、「茨城県芸術祭」の作品も厚塗りから薄塗りの、しかも写実的な絵が多くなっている。私が描く画風とは全然違う。同展で私のような古い画風が通用するか疑問であるが今年も応募してみようと思う。16回入選し、今更辞めるのも惜しい。絵を描くには母の手助けが必要だ。両親が元気な内は描き続けたい。施設で描けることが一番良いのだが無理な要望らしい。
勉強会の話に戻るが、やはり写実的な絵ばかりだった。ひとつひとつのものが良く描けている。
絵には、主役と脇役が必要だ。私は油絵を描くときは、主役、脇役を区別して制作するように心がけている。そうすることにより焦点が合い、何を描きたいのかがはっきりする。後は色の響きだ
師事している先生に、良く言われたものだ。
「絵は音楽のようなものだ。ひとつの楽器が狂った音を出すと、その音楽はだめになる」と。
要は色の響き合いが大切なのだと思う。
今回の勉強会でも、何人かの先生が、そういう意味のことをおっしゃっておられた。改めて、色の響き主役と脇役の大切さを感じた。
良い勉強会になった。


投稿 土子雅明

ラジオ

2004年10月08日 | つぶやき・エッセイ
子供の頃9年間施設で暮らした。変形した足を治すため手術を何度もした。ベッドに寝ている日々を送った。
窓から見える雲を見ながら家の人は今頃何をしているのかな、と想像した。雲が母の顔になった。
そういう時、両親がラジオを買ってくれた。その当時は、ラジカセなどはなく、ラジオのみ聞けるものだ。そのラジオは、私の友になった。音楽やニュース、リスナーからの頼りが聞けた。
音楽は、当時はやった、天地真理、麻丘めぐみ、等々の歌だ。それは、たいくつな私にとり慰めとなった。
私もラジオ局にリクエストをしたものだ。自分の名前がラジオで呼ばれるという喜びを覚えた。
ラジオは、聞く側と放送する側と対話(一体化)になれるからおもしろい。葉書の内容を放送する側が読み、それに対してコメントしてくれる。こんな楽しいものは無いと思う。リスナー同士でも会話もできる時代でもあった。私は、何度もラジオ局に葉書を出した。 私が出した葉書に対し他のリスナーからコメントが流れる事もあった。
「ああ、聞いていてくれたんだ」と、暖かいものを感じた。この人はどういう人なのだろう、何をしている人なのだろう。想像力も付くというものだ。
狭い施設にいても「ラジオ」を通して友達が出来る。嬉しいものだ。
ラジオは何かをしながら聞けるので良い。絵を描きながら、勉強しながら、文章を書きながら。私は、「ながら族」になった。
そして30余年経った今、やはり施設でラジオを聞いている。