森田正馬著書「対人恐怖の治し方」P365
対人恐怖の種類
赤面恐怖 正視恐怖 己表惜恐怖、その他、自分の顔がおかしい(奇形恐怖)や歩く姿が変だとか、自分に体臭があると悩む体臭恐怖や、多人数の前に出るのが嫌なもの、個人的対談に際して、話すべき話題のないことが苦になるもの・・種々さまざまである。
対人恐怖は誰にでもある
誰でも、時と場合によって経験することで、何も病的なことでもなく、特別なことでもないので、人情の自然であるといっても差支えない。
捉われるか捉われぬかの連い
捉われる人は、人と面接するごとに、強く対人恐怖を意識して苦しみ、毎日対人恐怖の地獄になる、そのためなるべく人に逢うことを避けるようにし、生活は消極的に引っ込み思案になり、自分の能力を発揮し得なくなるので、そのためにひどい劣等感を起こしたりする。
なぜ捉われるか
普通人の誰にも起こる対人恐怖を自分だけに特別なものと心得て、それが自分の生活にとって非常に不利なものと思い込んで、この当然あるべき自然の人情を、否定しようとしたり、それから逃れようとしたりすることにあるのである。
これは不可能を可能にしようとする葛藤になる。かなわぬ戦争をするようなもので、いよいよ苦しむばかりである、れを絶対に起こさぬように念ずれば、いよいよ対人恐怖を強く意識するようになり、それがこびりついて頭から離れないのである。
あるがままに任せる
蛇は気味悪いものだ、と素直にその感じを受け入れて、何ともしないから、蛇恐怖にとりつかれたり、毎日それを苦にしたりすることもない。つまり往生しているのである。どうにもならぬことは、仕方がないとして、そのままでやれるだけのことをやってゆくのである。
あるのが常態と心得て、素直に、対人恐怖でも何でも感じながら、びくびくはらはらのままやってゆくだけである。平気になろうとも何ともしないから、葛藤もなく、ちょっと対人恐怖を感じても、いつの間にかすっと消えてしまう。
生活全体の外向化をはかれ
対人恐怖に限らず、神経質症状を治すには一つ一つの症状を治そうとせず、生活全体を積極的に推進さして、毎日することが多くて、忙しくて一日が短い、というような生活をするようにするのがよい。
生活の外向化はどしどし仕事をするに限るのである。気のついたことは直ちに手を下してやる、という生活態度が身につけば、すなわち自己に即せず、外界の事物に即していく生活が実現すれば、神経質症状はおのずから消散するのである。