明智光秀

明智光秀というとまず思い出されるのは本能寺の変
でしょう。
光秀=本能寺、それゆえ光秀が信長を襲わなかったら
天下統一できていたのではとか、いろいろマイナス
イメージで語られます。

少し前になりますが、6月14日は光秀の命日で、
大津にある明智家の菩提寺である西教寺で法要が営
まれました。ファンもかなりいるようで、200人集ま
ったそうです。

光秀が信長に仕えたのは40歳のときです。昔として
はかなり年配になってからの出仕です。それからの
働きは見事で、織田家中で最も早く城持ち大名にな
ったり、京都の町奉行として行政を担当したり、あ
っちの戦の手助け、こっちの交渉といたるところに
名前が出てきます。

光秀が謀反を起こした原因は諸説ありますが、それ
だけのことをするには当然理由は一つということは
ないでしょう。もともと下克上の時代、15年信長に
仕え、大大名にまで出世し、次は天下と考えてもお
かしくありませんし、信長が朝廷を上回りそれまで
の公家の世界を完全に葬ろうとしたことに恐怖を覚
えたのかもしれませんし、秀吉との序列で差をつけ
られつつあり焦ったのかもしれませんし、そういう
ことを考えていると時間はすぐにたってしまいます。

功名が辻を何回か見て、明智光秀を主人公にしても
半年は番組を作れるなと感じています。彼も波乱万
丈です。
歴史は後世に作られた本当のような話が多く、史実
と作られた話が混同しますが、光秀ももう少し史実
に基づいたイメージで捉えられるようになってほし
いなと思います。
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