まちづくりサークル

日々の出来事

T-式仕事法全編(3)

2016年10月19日 | うんちく・小ネタ

       T-式仕事法全編(3)
第11章      問題解決の方法論
 
 出来ない、出来ないと言う、言い訳論を考えるのでなく、それがどうしたら出来るか、それを考えよ。この会社で仕事をしてきて、筆者の部下から、筆者の指示した事に対し、また筆者の上司から、筆者が提案や進言した事に対し、どれくらい[それは出来ない]と言う返答が返ってきたことか。そしてその出来ない理由の説明を滔々と述べるのを聞いたことか。そして筆者もまた筆者の抱える問題に対し、何回それが出来ないと弁明したことか。この章で述べたい事は、出来ない、出来ないと、その出来ない事の説明よりも、それがどうしたら出来るかの方法論についてである。
 頭から、出来ない理由の説明を否定して、どうしたら出来るか考えよと言っても、出来ないと言うからには、それなりの理由があって問題はそんなに簡単でない。一般に会社の仕事はみな非常に複雑である。この様に複雑な問題を解く一つの方法として、筆者は[T式ー5つの質問]をもって会社の多くの人達に説明して来た。この方法は、マネージメントにも、事務の問題にも、技術に問題にも応用することが出来るであろう。

 
 
 質問1 図のように、どんな計測具も自由に持ち運び出来、地上にあるどんな障害物も取り除くことが出来る芝生の平原が、鰐などが住んで、どんな方法にても渡ることの出来ない大きな川を隔て、その向こうに危険な動物のいる高い山が聳えている。その山の頂上に一本の大きな標識となる木が立っている。
自由な平原の手前の一つの地点から山頂の標識までの距離を測るにはどうするか。
 
 
 質問2 大きな箱の中に沢山の数の蟻がいて、いろいろの方向に忙しく動いている。箱の外にいて、この箱の蟻の数を数えるにはどうするか。ただし蟻を殺したり、箱の外に取り出してはならない。
 
 
 質問3 砂や岩石の混じった山がある。個々の岩石は手で一個一個毎に持ち運ぶことが出来る。ただしそれぞれの石や砂の形状や比重は異なるものとする。この山の近辺に重量秤が一個ある。他に、バケツのような入れ物はない。この場合この山の全体の重さを量るにはどうするか。
 
 
 質問4 図のような地図がある。地点Aから地点Bに行くに当たって、最も経済的な方法を選択するにはどうするか。交通手段は、徒歩を含めて、どの方法を組み合わせても良い。

 
 質問5 縛れに縺れた、長い糸の束がある。通常の手段ではこれをほどくことができない。糸の太さ、単位長さ当たりの糸の重さは異なる。この場合、糸の長さの全長を計測するにどうするか。
 
 
 質問自体は、簡潔明瞭であるが、それぞれの質問のおかれた状態は非常に複雑である。このような複雑な問題を、解決する方法を見出だすにはどうするか。
 この例では、先ほど述べたように直には「出来ない」とは答えないと思う、しかし色々考えているうちに、色々とややこしい条件が出てきて、結局のところは早く正解を教えよと言うことになり、正解を聞けばそんなことは最初から判っていると言う具合で、ものを解決することに関して深く考えようとしない。

 正解は後のページに譲るとして、これらの問題に共通して流れる根本的な考え方を述べよう。
ここに解決すべき、複雑な難しい問題Aがあるとする。このAは色々の条件が絡み合い簡単に解けない。すなわち前章で述べたように、担当者。管理者の仕事に関する、各々の概念の認識の相違や、職務上の立場による利害や権利義務の対立、更にはそれぞれの保持する情報量の違い、それに加えて問題を解決しようとするものの、知識、技量、経験と言ったものによる能力の程度などがあり、簡単に解くことは出来ない。恰も多元、高次連立方程式を解くようなものである。
 問題Aを解決しようとして、その全体を一挙に解こうとすれば、それだけそれに対するリアクションが強くその能力で解決できない。そこで全体Aの中の一部分Bに、精力を傾注し、残余の部分は暫く置いておいて、まずBを解決する。Bが解決すれば、残余の部分AーBは先の全体Aより幾らかは解決しやすくなっている筈である。そこでAーBの中の一部分Cについてその解決を計る。この操作を続けて行けば、最後にどうしても解決できないXと言う問題は残るかも知れないが、Aと言う難題は大部分解決されることになる。この方法で、上記の5つの質問を解くことが出来るであろう。

 このことを要約すると、
1、大きな複雑な問題は、出来ない出来ないと言わずにまず出来る部分から取り掛かる。そうすると問題は次第に解決し易くなって行き、最後には全体を解決することができる。
2、大きな複雑な問題は、その全体を一度に解決しようとするのでなく、まず全体を自分の能力で解ける大きさの区画に分割せよ。そしてその区画ごとに一つ一つ解決を図れ。

3、大きな複雑な問題は、その解決策は唯一つでない、多数の解がある。多数の解すべてが必要なのではない。その中の最も現実的なのが判ればそれで良い。部分的にどうしても解決出来ないものは、不定解として残して置け。

4、大きな複雑な問題は、100%正確な解答を得ようとすれば、非常に大きな労力を必要とする、残余の小さな部分を残し、実用的な近似解で充分である。
 会社で仕事をしていて、日常色々の問題に直面する。その解決に当たって、出来もしないのに蛮勇を奮って、がやがや混ぜ繰り返し、結果的には問題を複雑にしただけで、何の解決策も得られないような例はないであろうか。またその問題の難しさに最初から恐れてしまい、問題を解くよりそれが解けない理由を考えることに精力を傾注しているのでないだろうか。
 ここで述べる問題解決の方法論は、なにも筆者が考え出した特別な詭弁でない。複雑高度化する現代社会の中で、そこに発生するマネージメントの問題を解く最も新しい方法として、先進の会社ではすでに多く行われている方法である。問題はこの会社の中で、これらのことがその本質に於いて、ちゃんと理解できているかどうかと言う事である。物事をやるに於いて、その原理原則を理解しているか、してないかで、同じやるにしてもその成功率が異なる。具体的には、大きな問題を処理する時の、コンピュータのプログラムはリニアーダイナミックプログラミングメソッドで解かれるし、複雑な構造の強度計算は有限要素法で解かれ、管理の問題ではかって自律小集団活動や、プロジェクト、タスクフォース編成などが用いられてきた。また現場では、ブロック建造法や、区画別艤装法、WBSなどはこの良い例である。此の現実的な問題解決の方法論をこの会社に定着させ、それぞれが問題から決して逃げるのでなく、また無茶苦茶な突撃でなく、科学的な合理的な方法により解決に当たることが、今この会社を未来に覚醒させるための絶対的条件である。



第12章       アイデアが君を救い、会社を救う
 
 改善提案や、奇抜な新製品の開発を行って、現状を打破すると言うのなら次元が低い。勿論それらを否定するものでは決してないが、そんなものは一時的で、恒久の対策にはならない。競争社会の激しい現実を前にして、すなわち他の会社が、必死になって、その改善やら改革を行って、或いはコスト・ダウン、製品の差別化をおこなっている時に、この会社が70%~80%の能力発揮では、競争に勝てるわけがない。勝つか負けるかの戦は、相方がもてる総てを出し切って戦うのである。スポーツが良い例である。力加減をして競争に勝てるなら、それは遊びであってスポーツでない。会社も競争相手以上の力を発揮したときに勝てるのであって、幾らこの会社が、伝統や技術的遺産があると言ったって、商売の世界では何も通じない。総ては100%以上の力を出して戦うかどうかで決まる。そこで能力以上の力を出すにはどうするかである。

        W=C(M X I)

   W・・・出力、製品
   M・・・設備、機械、労力
   I・・・情報、アイデア
   C・・・係数

  一般に出力は、上の式で表される。すなわち機械が10台あれば、それにある係数Cを掛けた出力が出て製品が出来る。しかし上の式でこの機械に与える情報またはアイデア Ⅰ が0であった場合は出力は0である。Ⅰが1の場合 M が10台分の W を発生する。すなわち Ⅰ はこの機機の能率を決める。生産の現場に於いて、情報。アイデアがいかに重要であるかはこの式からよく判る。この事は唯現場の機械の例をあげただけであって、むしろ言いたいことはマネージメントである。
 野球の試合をしているとしよう。優秀な選手が、一生懸命プレーをしていてもそれを指揮する監督が、相手の監督より以上の作戦(アイデア)を立てないと試合には勝てない。選手のレベルを同等と評価した場合、監督の選手へ与える、情報量、アイデアで勝負が決るのである。会社の仕事も同じである。限られた数の部下をもつ管理者が相手の会社に勝つには、部下のやっているそれぞれの仕事に対し、どれだけ多くの情報やアイデアを与えるかで決る。その意味で管理者はいつも、部下の後からアイデアを与えながら相手に勝つ作戦をたてていなければならない。アイデアとは単なる知識でない、目的を達成するための、相手より優れた、相手に勝つための、情報のことである。したがって、作戦や戦いの参謀と言うものは、常に相手と情報、アイデアの戦いをやっていると自覚しなければならない。
 何の指示もせず、何のアイデアも与えず、唯担当者を出張せしめ、その朗報を待っているような管理者は、もうこの会社には必要ないのである。少なくとも、会社で部下を持つ職にあるものは、何の問題でも何の仕事でも常に頭を働かして、自分の部下がそれに成功するように、いつも考えていなければならない。
 それが為には、アイデアを出すために、そのことについて何時も、ああでもない、こうでもない、と思考の過程を休める事なく、自分をコントロールしなければならないのである。唯自分の部下を管理監督して、部下の持ってくる情報のみに、批判を加えたり、決裁をするばかりで、一切自分の意見とか、アイデアを持たない管理者は、もはや前時代の遺物である。
 特に営業とか、調達を行う部署の長は、競争に勝つためのアイデアを作戦の指揮者として部下に与えなければ、相手との競争には勝てない。
 それではどの様にして、アイデアを出すか、よく自分はアイデアを出すのが下手で、なかなか良い知恵が浮かばないと言う。確かに、アイデアについては個性的なものがあり一概にこうだと言い切れるものはないが、普段から、自分の頭を創造的に訓練して置くかどうかが、その決め所となろう。アイデアを出すことは管理者の仕事である。自分はアイデアを出すのは嫌いだから、部下に任せているのだなどと言う。好き嫌いの問題ではなかろう。
 アイデアはその事にまず自分の関心を向けることだ。筆者はゴルフの特殊なパターを発明した。これを見せたときの反応で、その人の大体の、ものの考え方が判る。このパターを見たとき、
    (1)まずルール的な疑問を示すもの、
    (2)全く関心を示さないもの、
    (3)そんなのは駄目だと、手にとって見ないうちから否定するもの、
    (4)色々触って関心を示すもの、
    (5)自分も何か真似て新しいものを考えようとするもの、
色々である。そんな中で確実に言える事は、自分が始めて見たようなことでさえ、関心を持たないようなタイプのものは、アイデアを出す事については不得意である。アイデアを出すためには、少なくとも、普段から全てのことに関心を持ち、常に頭を働かして置くことである。
 アイデアと言うものは、単に特許を取ったり、改善提案をして表彰されることでない。人間が生活や仕事をやって行く上での知恵である。人間が人間であるための知恵である。人間から知恵を取り除いたら、なにが残るのであろうか。 アイデアは君を救い、会社を救う。



第13章      心に残る教訓
 この会社の一人一人が、覚醒するためには何が必要か、人間は何かのきっかけで、現状の慢性的な眠りから覚めるものである。唯問題はそのきっかけである。それぞれは計り知れない潜在的な能力を持っているのである。またそれは個性的であり、一概にどんなきっかけが人間を覚醒させるかは、なかなか難しくて限定できない。しかしそれは思ったより簡単で単純なものである。元来人間は、おおらかであり自然的であるので、そんなに難しく考える必要はない。
 世の中には沢山の格言集や諺がある。それを頼りに日常の行動規範を行っているのであるが、何かの拍子で自分の心に相響くものがあって、いわゆる、自己の覚醒が行われるのである。ここに順序も体裁もなく、今までに先輩から聞いた、筆者の心に残る仕事上の教訓を挙げてみよう。

 (1)言うべき立場のものは勇気を持って言い、聞くべき立場のものは誠実に聞け。
 (2)相手が誠実に、真剣にものを言っているときには、自分の全てを持ってそれを聞け。
 (3)人を騙すな、また人に騙されるな。
 (4)出来ない理由を探すより、それがどうしたら出来るかを考えよ。
 (5)出来るか出来ないかは、それをやってみないと判らない。(議論より実行)
 (6)人は立場でものを言う、立場変われば言うことが違う。
 (7)人に喜ばれる仕事を、仕事は人のために。
 (8)自分だけ良い子になるな、皆が見ている。                   
 (9)泣くな、怒るな、怠るな。
 (10)NATO・・NO ACTION TALK ONLY
 (11)経験のないことは真に理解できない、経験は共有できない。
 (12)同じ事を、人に三回以上頼むな
 (13)暇の過ごし方で、その人が判る。
 (14)ものの軽重と拙速の判らぬ人は救いがたし。
 (15)会社では、やってよいことと、やってはならないことを区別せよ。
 (16)問題を恐れるより、まずその中に飛び込め、さすれば、なんとか解決の道がある。
 心に残る教訓は、時として仕事に対する志気を鼓舞し、成功へのきっかけを作る。日常の、ともすれば成り行き任せの安易な生き方に対し、それがなんとかならないかと、苦しみもがく一連の動作の中に、解決の手掛かりを与えてくれるのである。それぞれの人が、その経験の中から、心に残る教訓を蓄積して行くことは、仕事を進めていく上で、是非必要なことである。

 

第14章     ものを売ると言う事
 
 だれが何と言おうと、会社と言うものは、ものを売ると言う事が最終の目的である。ものを売って、利益を稼ぐことが、会社の活動であり存在価値である。製造会社は、その製品を売り、サービスを業とする会社は、サービスと言う、ものを売るのである。銀行のような業種も、金と言う商品を売るのである。生命保険会社も、保険契約と言う商品を売って、営業しているのである。従って、会社と言うところはものを売るところであると定義する事が出来る。この非常に簡単なことが理解できてない社員を時どき見掛けるのである。ものを売るのは営業の仕事で、自分はものを作っていればよいと言う考えの人が、この会社にはまだ多い。会社の幹部でも、良い製品を作っておれば、必ずそれが売れると信じているものがいる。売れない製品や、売る目的でないものを作ることは明らかに会社への背反行為である。例えば、設備にしても間接的に、売るための製品を作ると言う目的のために、作っているのである。仕事が分業化し、営業や製造現場、或いは人事総務と言うように別れてくると、会社の製品の売り手先である客先という概念が少し宛て異なってくる。甚だしい例では、当社の製品は非常に優秀で、世界中でもあまり作ってないものである。従ってお客が頼んで売ってくれと言って来たら売ってやる、そうでなければ、こちらから頼んで買ってくれなどとは言う必要はない。当社は長い付き合いの客先があり、そこに製品を納めてきているのだから、一元の客にはそんなに簡単に売るわけにはいかない、などの考えでいる人がいる。
 会社には色々の考え方をするものがいてもある程度仕方ないが、ものを売って儲けると言う事が、理解できない人はこの会社の中に居てはならないのである。
 ものを作ると言う、生産的価値を最優先で考える人でないと、或いはものに付加価値を加えると言う考えの人でないと、この会社では役に立たないのである。芸術的価値や、文学的価値のようなものが大事であると主張する人は困るのである。それほどまででなくても、紛らわしい理屈は、国際的な援助、社会的奉仕、公共の利益などを優先的に考える者である。
営業とは、読んで字の如く業を営むと言う事であって、会社のアクティビティそのものであるが、商売、コマーシヤル、マーケット、販売などと同じ意味に使われることに問題があるのかも知れない。この会社では、営業があっても販売がないと言う事が指摘されるけれども、長年続いた伝統であり仕方がない。しかし考えてみるに、70年の歴史の中で、過去に一度もその組織表の中に、販売課とか販売部と言うような組織の概念がなかったと言うのはどういう訳であろう。何何販売株式会社と言うように、会社の名前そのものに販売という名前を付けている会社があるという時代に、販売を専門にする販売課(部)がまったく無いと言うのは、ものを売ると言うことに関して、その指向性が少ないと言うことでないだろうか。農業、商業、工業いずれを取っても、ものを売ると言う事にその本質がある。即ち、売ると言う事は、販売することであり、ものをお金に換えることである。ものを設計し、材料を購入し、加工組み立てをし、検査試験をして、客に納入し、お金を貰う事が、会社の営業であり、その中で最終のお金を貰うことが販売である。販売の中でも、お客から買いに来る事もあれば、こちらから売りに行くこともあるであろう。買いに来るのが販売で、売りに行くのが営業などと言う具合に区別して使用される事がある。要するに、会社の活動即ち営業の全てが、その会社の製品を売って、お金を儲ける、と言う考えで意思が統一してなければならない。
 この章は、あえて判り切ったことを長々と書いた。即ち判り切ったことが判ってないところに問題があるのであって、筆者が言う会社のそれぞれの活動の、概念の基本がきっちりと理解されているかどうかが、この会社の運命を決めると言っても過言でないとすれば、ここに言う、会社の最終目的が何か、簡単明瞭に理解される言葉で、書いておく必要があるのである。



第15章       販売株式会社の設立について
 前章で述べたように、会社のすべての活動に最優先するものが、その製品を売ると言う事に関連して、この会社に具体的にそれを成すためになにが必要か検討してみる。個々の従業員が、その仕事を進めていく上で今何が障害になっているか、この問題の根源は何かを考えてみるに、この会社に充分な売り上げが不足し、その仕事量が各個人に充分に与えられないことである。自分の仕事のやり方を改善しようにも、その対象とする仕事が無いことが問題なのである。従業員が、そのすべてを懸けてやるに相応しい仕事が、与えられないことが問題なのである。それはこの会社に、どんな不況のときでも、確実に受注して行けるような、営業、乃至販売の体制がないという事である。従って、長い会社の伝統的風土は世の中の流れに靡くばかりで、社会環境の変化に、雄々しく立ち向かって行くという志気が揚がってこないで、いたずらに、景気の回復や、過去の顧客から注文を出してくれるのをじつと待っているのである。
 営業や、販売というものは、会社にとっては戦争の現場である。生きるか死ぬかの切羽詰まった戦いである。それを会社の風土の中に、ぬるま湯に漬かるごとく、おとなしく武士は食わねど高楊枝としているので、果たしてよいものかどうか。ここに改めて記述するまでもなく、全従業員が真剣に受け止めるべき事柄であると思う。唯指摘するだけでは、何もならないことは過去の事実が示しているが、この際この会社の、ものを売ると言う面からの、構造的な問題を考えてみる必要があるのでなからうか。これを単に自分の仕事を進める上では関係のない、営業部や、販売部の問題。或いは会社経営の問題として、逃避して考えるのでなく、もっと前向きに日常の業務から覚醒して考える態度が肝要である。   
この会社の根本構造に触れることに付いて、その批判や問題の指摘をして、徒に混乱を引き起こすのでなく、問題は問題として、真剣に考え、物言う勇気を持たなければ、ともすれば、沈滞化しつつあるこの会社の志気を高めることも、そして未来に脱皮して行く契機ともならない。
次の章から、この会社の将来について、具体的に何をどうしなければならいかを順次述べて行くが、その認識を具体的にするために、筆者が1986年の頃に会社に提案した一文があるのでここに原文のまま再録。ただし会社名は、都合により架空ものにしてある。これが何等かの改革のきっかけとなり、一人でも多くのものが覚醒することを期待してやまない。

          さくら造船販売株式会社の設立について、
 さくら造船を取り巻く経済環境は、円高不況が当社の製品構造(鉄と海に関連する製品)に及ぼした影響について論議するまでもなく、誠に深刻であり、全社を上げての危機突破対策の実行と、90ビジョンに向けての一層の頑張りが必要である。新規事業への発想の転換が、社内の各部署で着々と進められている中で、標題について提起し、その実現を期待するものである。

さくら造船の70年の歴史の中で、およそ『販売』と名のつく部署が正規の会社組織の中で存在したであろうか。旧い先輩に伺ったところでは、かって建設機械部門を合併したときに一度だけあったと聞く。それ以外は営業部や業務部と言った名称の部署しか見当たらない。
 営業活動と販売活動の差異について述べるまでもなく、当社が将来に亘って成長して行くためには、従来のごとく客先から注文を貰って、それを売るという営業主体でなく、当社の持つものを一般ユーザーに販売して行くと言う販売主体の構造改革が目下の急務であると考えます。
 また、長い歴史と優秀な技術を持つ当社には、世の中に売れるものは無限に近いほど持っている。それは製品であれ技術であれ、以下に述べるように発想を一歩別の角度に向けることによって、数限りなくアイテマイズする事が出来る。これらを正当な価格で市場の中に販売して行く活動こそ、当社再生へのとるべき基本戦略と思う。 当社はさくらグループの重工業会社として、永年に亘り、重厚長大の製品を顧客の要求に合致するように、高度の技術を持って誠心誠意これを供給して来た。そして船舶のみならず、産業機械、プラント、鉄構と、それなりの市場を獲得し、業績を伸ばして来た。しかしながらそれらは殆ど注文生産であって、当社の永年に亘って友好関係を保って来た顧客があったからである。
 1970年代以後の産業構造、特にオイルショックや、ドルショック以後の社会経済の変革は、当社と当社を取り巻くそれらに大きな変革を求めて来た。また顧客の態様は当時のそれと大きく変わっている事実を一刻も早く認めなければならない。当社の、ユーザー自体でもそのエンドユーザーのニーズの変化を十分に掴むことができなかった点はあるにせよ、今までのように注文生産を続ける限り、これらの変化に対応する姿勢が遅れるのは当然と言えよう。
 当社が現在のような環境変化による苦境に差し掛かる以前に、すでに社会経済構造の変革は深く進行しており、先進的な企業はそれぞれにその脱皮を急いできているのである。事態は誠に深刻である。しかしまだ遅くはない、これからやるべき決断、取るべき方策は幾つも残されている。
 販売力は企業競争に於ける戦力である。企業でいかに優れた製品を作っても、これを販売することができなければ、生産活動自体が成り立たないことは言うまでもない。更に単に座していて、製品を買いに来てくれる、ユーザーは皆無であることを認識しなければならない。
 一方、ユーザーの中には、新製品を探し求めているものが多数いる事も事実である。旧製品に飽きて、新しいアイデア製品が出現するのを待ち望んでいることを、我々は十分認識し、我々への期待の大きいことに自信を持たねばならない。
 次に以上の観点にたった場合に、そのように販売して行ける製品が何であるかと言う点ついて述べよう。
 当社に販売するものがない現状で販売力の強化を叫んでも意味がないと言う論議がある。長い歴史を持つ、さくら造船において、旧い製品や現在の製品以外に市場に供給すべき製品が全く無いと言う考え方が定着しているのでないか。また市場に供給するには今までとは全く新しい製品を開発し、新しい顧客を探求して行かなければならない、と言う考え方が全社に渡って、あまりにも強すぎるのでないだろうか。
 新規事業の企業化という課題を前にして、真に考えなければならないことは、新製品開発と言うよりも、社会のニーズが何であるか、なにが現在のユーザーによって求められているか、或いはどの様な製品が売れるかと言う発想の仕方である。
 それは技術的に高度のものも低度のものもあり、何も大きな資本を投じて、他の何人も追従できないような、ハイテク製品である必要はない。我々が日常の生活において、日本という国が安全に、平和に、豊かであることに於いて、さらに世界の人類が地球上で平等に、共存共栄出来るような環境において、最小限必要な製品を供給することに、その基本理念を置くならば、さくら造船の従業員がその日々の生活の中から、次々と新しいアイデアを出していけるだろう。そしてその幾つかについて、企業化していくことにすれば、我々の前途はそんなに暗いものでないと思う。新製品はその様なところから、自然の要求に従って、生まれて来るものであって、何も研究開発やプロジェクトチームを組んで物々しくやる必要はない。それが現在のマスコミの影響によって、企業戦争と言うか、技術革新という物凄い過熱によって、世の中はベンチャービジネスやハイテク、あるいは情報産業となって、地球全体が心ある人々の憂慮する方向に進み、止まるところを知らずである。このように過熱した地球環境は、何時かその修正しなければならないときが来るであろう。
 以上のような観点から、さくら造船がしっかりした哲学を持ち、新規事業に進出して行く方策として、販売会社の設立についてもう少し詳しく述べよう。
 先に述べたように、日常の生活の中にニーズを見出だし、それが会社のイメージにあうような製品として供給されるためには、その製品が一般不特定多数のユーザーを持ち、船とか機械とか、プラントと言った企業向けの特殊ユーザー向けでないと言う事だ。すなわち一般社会の人が直ちに使用し、消費するものそれを供給すると言うことでないと、一つの単位が何十億円もする製品ではユーザーが限定されてしまう。また当社がその顧客を通してエンドユーザーに繋がることになり、エンドユーザーの消費傾向、すなわちそのニーズが変化しても、間接的にしか情報が伝わらず常に後手後手に回って、折角供給しようとする製品が新しさを失う結果となる。 もう一つの見方は、さくら造船8,000人従業員が共に生きる会社である以上、8,000人全員の日常生活が即仕事であるべきだ。
 もし先程述べたようなハイテク製品であれば、8,000人全員の知恵や技術が生かされる機会が非常に少なく、極一部の頭の良い技術者や、営業マンによってのみ仕事が進められ、他の一般のものはそれについて行くだけとなる。
 それはその製品がその様な、ハイテクレベルの技術能力を要求しているからである。また8,000人の中には、その技術レベルに達し得ないものが大多数であると言う事だ。造船設計のようなハイレベルの仕事から、溶接、組み立て、配管と言った現場作業まで、あらゆる技術レベルの仕事を包含している場合は、それでバランスが取れているが、これから開発しようとする新製品がハイテクのその様なものであっては、とても全員がついて行けなくなるのは明らかであろう。
 一つの会社の作る製品の技術レベルがその会社で働く従業員のレベルとほぼ等しいと言う事がその条件となる。即ちその従業員もまた自分の生活の中で、その製品のユーザーである場合、その製品の改良、改善或いは次の世代の製品というアイデアが一日24時間の生活の中から生まれて来るのである。
 この考え方は、何も製品に限ったことでなく、サービスやソフトに於いても同じ事が言えるであろう。
蛇足ながら、もしさくら造船が船を造り続ける限り、従業員はその船を使用して荷物を運ぶことがない限り、従業員の側から、その船の改善改良のアイデアは生まれて来ず、いたずらに船の性能や運行の効率の向上にのみに努力を傾注することになり、他の運行手段である航空機のようなものに、ユーザーが移り変わって行く現象に気づく事が非常に遅れるであろう。これに対し自動車の場合はどうであろう。自動車会社の従業員は、自動車のユーザーの一人として、日常の生活がその製品の改良改善に直結している。さらに、ほかの例はどうであろう。農業の場合、農民は自分の作る産物は、即ちそれの消費者であり試験者である。 さくら造船の従業員の中の一人一人を取った場合には、非常に優秀で、活力に満ち満ちている。この人達が一日24四時間、フルに生きがいを持って精魂を打ち込める製品を持ったらどうであろう。
 今の新しい世代の人間は、その様に活気に溢れているが、残念ながら、たとえ彼等がその様な新しい製品を見付けても、それをいかにして設計し、製造し、流通し、そして販売するかの具体的方法が分らないのである。 技術者集団の色合いの濃い、さくら造船にあって、新しいアイデアに基づく製品の企業化に於いて、その製造はなんとかやり遂げても、それの販売となるとまったく力のないのが現状である。換言すれば、立派な製品を作ることには自信があるが、それを販売すると言う事では、いつも大きな不安を抱いている。過去に幾つかの優れた発明や考案があった。それらが企業化されなかった最大の原因は、販売力の乏しさでなかったかと思う。
 もしも自分達の作った製品の販売を一手に引き受けてくれる部署があったら、多くのさくら造船の従業員は多いにハッスルするだろう。そしてユーザーに直接つながり、販売出来る製品が何であるかが分れば、大抵のものは技術的に製造することは可能であろう。
 もとにかえって、営業と販売の違いについて以下にのべよう。

 営業も販売も、言葉の上での差であって、元々はものを売ると言うことでは同義であって、ここで論議をするまでもない。ただ日本語の言葉として、殊更にこれらを対比させただけである。営業と言うと注文を受けて売るのに対して、販売はこちらのものを売ると言うことであれば、受動的と能動的の差がある。またこれらの対象とする、ユーザーの性格が変わって来る。
 販売方式の意味を、製造の段階に於いてそのユーザーが特定されず、販売の段階に於いて初めて、ユーザーが決まると言う方式であるとすれば、生産や製造の概念が営業の場合とまったく変わって来る。従来の製造方式であれば、受注から引き渡しまで、その仕様はすべて注文主の要求に合致してさえいればよい。一方販売方式となると、ユーザーが特定できないために製造中と言えども、あらゆる場合を想定して、その仕様が決められ品質が保たれなければならない。今これを書いているボールペンを例にとってみると、普通の場合特別注文でない限り、ボールペンは、マスプロによって一般向けに製造される。その場合、ユーザーは多種多様であり、筆圧、ペンの重さ、長さ、色、装飾、と言った具合にその要求は千差万別である。これらのすべてを満たすための仕様と言うことになると、一般ユーザーの共通の平均の要求を満たすか、ある程度その仕様を、グループに分けてそのグループごとに作るかの方法に分かれるであろう。その場合重要なことは、その仕様の決定権は製作するものの側にある。製作する側の判断の根拠は言うまでもなく、それは売れる売れないの点に冷厳に決められてしまう。
 売れない製品、ユーザーのない製品を作ることは絶対に有り得ないのであって、良いものを作っておれば、或いは作る体制にしていれば、いつかは、ユーザーが現れて来ると言う期待は、現在の世の中では全く通用しない。 もちろん芸術品のような場合は作る側の意思によってその全ての内容が決められ、それを購入する人は不特定であっても様子は少し違う。芸術品の場合はその製作の目的が、元来販売することにあるのでなく、むしろ製作そのものにあるのである。
 一般向けに製品を作りそれを販売していくという方式の場合、もっとも重要な要素は何かと言うと、それは販売そのものである。販売の仕方そのものによって、その製品が売れたり売れなかったりする。それは必ずしもユーザーのニーズによってのみ、決まるものでなく、品質や、性能と言った要素の他に、値段と言う大きな要素がある。
 値段が販売戦略の大きな要素となることは、ここに述べるまでもないが、注文生産の場合の値段と、またその持つ意味が多少違うことにも注目しなければならない。
 いずれにしても機能に対する価値としての、値段が決まるのが販売生産の場合の特徴である。
 次に当社の製品が、何故販売生産でなければならないかの理由について触れよう。
 冒頭に述べたように、当社の組織の中に今日まで販売と言う名の付く部署がなかったと言う事は、当社の製品が殆ど注文生産であったと言う事であり、当社の基本姿勢が特定顧客に結び付いた、身動きのならない非常に制約された生産形態を、過去において採用して来たと言うことである。
 それは当社の長い歴史の中で、それだけの基本的な理念に基づくものであって、簡単にそれの当否を論議することは慎まなければならないと思う。
 また先に述べたように、当社を取り巻く顧客の中には、そのような生産形態を持つ当社と長い友好関係を持ち、それなりに当社の発展へ引き立ててくれた事実があったことを忘れるべきでない。
 しかし過去にそうした不動の理念があったからと言って、それをそのまま次の世代まで、踏襲しなければならないと言う考え方が成り立つであろうか。
 世の中は急速に変化しており、当社の外部環境は年々厳しくなりつつ在り、さらには、当社と友好関係を保って来た顧客そのものが、この急速な変化に戸惑いを持っている現状を黙するわけにはいかない。
 具体的表現をすれば、当社は優秀な船を造り、立派な船主をもち、今日まで発展して来た。しかし造船不況はすなわち海運不況と同じサイクルで招来し、現在の当社の顧客である船会社自体も、大変苦しい状況に置かれている。このことは機械についても、プラントについてもほぼ同じ現象である。
 当社がこのような現実に立って、なおかつ座して動かずか、或いは大きく転進すべきかの判断は、ここにきて、営業、販売の違いの論議を提起するまでもなく明白なことと思う。ここで重要な問題が二点発生する。その一つは、当社におけるその様な新しい考え方に対する従来からの習慣的な抵抗であり、他の一つは、販売形態への転換そのものが、全く有利で問題無し、と断言できない点である。
 社内的な抵抗の問題は、今まで述べて来たように、従来の当社の基本方針を覆すと言う点に於いて、変化を好まぬ側の人達から反論されるところであろう。
 かってこの様な考え方が、過去に於いてあったかどうかかは別として、今まで全く考えなかったような問題に対する判断基準がない状態では、相当の抵抗があるのはやむを得ない事である。
 次に外部問題として、営業方式が環境変化によって行きづまったからと言って、販売方式に切り替えるのだと言う事では、問題が解決しないと言う事である。
 世の中には過去何十年も、ここに言う販売方式を続づけて来た会社があって、その会社自身も最近の経済不況に苦しんでいるのである。すなわち自動車産業、電気産業も現在苦しんでいるのは誰しも認めるところである。販売方式が必ずしも当社の将来を約束するものと断言できない理由の一つは、現実のその様な販売方式を取る会社に於いても、非常に苦境に立っている会社が多数あるということである。
 以上のように考えてみると、物事は大変悲観的になるが、それでも現実の厳しさは更に慎重に受け止めなければならい事を示している。
 
 以下に今まで述べて来たことを要約し、さくら造船の現実に照らした具体的な論議を進めよう。販売方式が受注方式に比べて、ユーザーの変化、即ち世の中の変化に早く対応出来る点を述べ、これからの時代は、変化への応答の速度によって、その優劣が決定されることを強調したい。
 そしてその変化の情報を早く捕らえるために、販売株式会社を設立し、さくら造船とさくら造船販売株式会社を並立させる事が最も望ましい姿であることを述べたい。
 その一例として、プラント建設をあげよう。プラントは一般にエンジニアリングコンサルタントがプロジェクトのディファインディグを行い、当社の顧客に当たるプラントオーナーがプラント建設することを計画する。そしてそのプラントの仕様を決め、生産物の販売供給を計画する。エンジニアリング会社である当社は、この仕様に対して引き合いに応じ見積もりをしプロポーサルを出して、これの激しい受注競争の結果、これを受注する。受注に至までのコスト見積もり及び営業交渉は、並大抵のものでなく、非常な労力と費用を要し、また受注するためのコスト競争と、そのリスクの大きいことは、今更述べるまでもないが、それはさて置き、プラントの仕様は客先が決め建設に対する色々の要望が定められる。プラントのオーナー側は、そのプラントによって生産される生産物が市場へ出して売れることがまず重要であって、次にそのプラントが信頼性を持ち、効率的に稼働することに大きな関心が有る。
 しかし世の中の事情で、その生産物のユーザーが何時までもそれを購入してくれるかどうかに対しては、余り介入することができない。即ちモデルチェンジやプライスダウンをして常にユーザーにアトラクティブにしておくくらいである。これはエンドユーザーの動向を確かに掴むことができない事情から来る。まして、そのプラントの建設業者である当社には、その反応が響いて来るには相当の時間的ずれが生れる。と言う事は当社はこの変化の時代に、生き延びて行くことが難しくなるのは明白な事を示している。この点については、今までにも何度も強調して来たところであるが、プラントのような大きな、プロジェクトのエンジニアリングや、プロキユアメントやコンストラクションをやることに於いて、単品生産を続けると言う事は、一つの営業形態としては成り立つが、一時的な流行があっても、社会の変化、環境の変化がある以上その順応に劣る故の衰退は免れ得ないであろう。 このような企業形態のときの、営業活動はプロジェクトの受注量を増加することや、世界各地で計画されるであろう、プロジェクトを他より早く見付出し、受注競争に打ち勝ち、契約していこうと努力し、且つその受注を安定させていくために、なるべく有利な顧客との、友好関係を保つことに目が向けられることになる。従って、営業活動は、ものを売ると言う性格でなく仕事を貰うと言う受動型になる。
もしも当社と友好関係にある、プラントのオーナーがエンドユーザーと良く直結していて、安定状態にあるときはそれでも良いが、プラントオーナーが何等かの理由で、プラント建設を縮小または廃棄したときは、全面的にその影響をこうもり、当社の仕事量は完全に無くなる。
 一方、当社の中で創造されたものを積極的、能動的に売っていこうとする販売方式に例を取るとどうであろう。8,000人従業員が会社に出勤して仕事するかぎり、それが可視、不可視のいずれであっても、働いただけその従業員が創造する製品の付加価値を生んでいると言えよう。一例として、当社勤続20年のベテランが持つ手帳を取り上げたとき、その人の持つ手帳は、新品を購入したときの価値以上の価値を、その内容において各種の工夫に於て、少なくとも毎日使用されることにより、付加せしめられることであろう。ここで強調したいことは、そのときの付加価値を我々は積極的に売っていこうと言う事である。この様に8,000人従業員が、それぞれの持つ情報と、当社に於ける永年の勤務からくる経験を活かして、一人一人のアイデアが誕生し、それが製品化されて、市場に販売して行くとしたら、個々のアイデアごとに非常に大きな販売網が生まれることだろう。
 個々の従業員は非常に優秀であり、それぞれが日常生活や、勤務の中から創造するアイデアは、その数に於て、質に於て物凄く多いものがあることは、今更言うまでもないことである。これらのアイデアの企業化、事業化の計画を行い、具体的に販売活動を実現していくことが、今最も緊急且つ重要な課題であると思う。
 無限に近い数々のアイデアを持ち、またそうしたアイデアをこれから次々に創造することの出来る潜在的な当社の能力を顕在化する。その最も大きな原動力が、販売力にあることは繰り返し述べるまでもない。そしてそれはまた、従来のごとく受動姿勢の営業活動では達成されないことも明らかであろう。

 終りに販売力の強化の向うべき方向、および具体策について述べよう。
営業活動の限界に直面した今、当社改革への起爆剤的な思考は、或いは厳しすぎるかも知れないが、一つの技路たった決断が必要である。それは現形態を根本的に見直し、社内風土と従業員の質的構成に合致した販売型製品へと変革せしめることである。それがためには、以上述べたような、新生さくら造船への施策として現在の営業活動と、質的に異なった新しい発想に基づく、さくら造船販売株式会社の設立が最適である。さくら造船とさくら造船販売株式会社の両輪に於て、今まで述べて来た理念が具体的に実現するような新しいうねりの誕生を期待する。
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« T-式仕事法全編(2) | トップ |   
最近の画像もっと見る

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。