塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

おらがまちにサッカークラブがある風景を思う

2017-05-11 00:50:19 | 日記
 ニューヨークには過去、ブルックリン・ドジャースとニューヨーク・ジャイアンツと呼ばれる、大リーグの球団がありました。

 前者はジャッキー・ロビンソンを登用したことで知られていますが、1947年当時米国で最も西に位置したのはセントルイス・カーディナルスで、ニューヨークから2球団が西海岸に移転すること。

 それは大リーグの更なる拡大を目指したものでした。

 インターリーグでドジャースがニューヨークに遠征しても、ブルックリンの方は

 「彼らはLAドジャースなんだよ。私には関係ない」

 と言い、1Aであるブルックリン・サイクロンズこそが我らの球団と声援を送ります。

 ここにブルックリンの持つ矜持があるわけですが、一度失うもの、移転することはファンの苦痛を考えると、得策ではない面の方が大きいと言えます。

 面積が広い長野県
 観光資源に恵まれている長野県

 ですから過去、山雅とパルセイロが一つになればよいという意見が出たことは、サッカー好きでなければ納得できたのでしょう。

 スポンサーも多くつき、信濃毎日新聞とテレビ局の支援も含めれば、財政基盤も安泰するだろうという目論見なのですが、今ではこんな意見は出ないと思います。

 どちらかが消滅すれば、もはやそこに

 長野県の持つ矜持

 これがひとつ、失われることになります。

 ウイリアム・サローヤンはアルメニアから米国へ移住しましたが、その作品の中にしばしば、ニューヨーク・ジャイアンツとブルックリン・ドジャースを登場させました。

 パルセイロの個性と山雅の個性を今後、作家が引用するかもしれませんし、同時に長野県にこれだけの財産があると知られるようになったのは、嬉しいことと思います。
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