塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

監督に、パーティ慣れは必要か

2016-10-16 00:06:10 | 日記
 ベッカムが社交的かどうかは判別がつきにくいと思います。

 なぜかと言いますと、彼は多くのスポンサー行事に出席せねばなりませんが、彼は常に「輪の中心」にますから、相手にされない、気まずい思いをする、ことがまず無いためです。

 彼の天性ともいえるほほ笑みと服装のマナー、そして完璧ではない英語の発音が、ベッカムの佇まいを愛らしくしているといえます。

 一方でパーティやスポンサー行事とは無縁といえるのがマルセロ・ビエルサ、のように思います。

 ビルバオでもマルセイユでも、彼がスーツを着ていることは見たことがりませんし、後者ではアディダスが支給したトラックトップを着ている姿を見たことがあります。

 正直、スポンサーの受けは芳しくないでしょう。

 しかし、彼はそんなことは微塵にも感じないでしょうし、どうすればサッカーが上達するだろうか、この1点のみに神経が注がれています。

 シメオネにしてもグアルディオラにしてもビエルサを敬愛しているのは、真摯にサッカーに取り組む姿勢こそが監督の資質と感じているからではないでしょうか?

 ホルヘ・サンパオリもビエルサを敬愛し、以後のチリ代表を率いましたよね。

 一方で監督がパーティやクラブの行事でうまく振る舞うことも必要なのでしょう。

 今クラブは独自でテレビ番組を持ちますし、昔は30億円もあれば相当な名手が獲得できましたが、いまはそうも行きません。

 監督のマン・マネージメントの中に、戦術やフィットネスだけでなく

 選手を人間として尊重できるか
 スポンサーを前に上手くふるまえるか

 という要素も必要のように思います。

 僕のように人望がなく、パーティで話しかける人間からすれば、ベッカムは別次元の方です。
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