塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

ある種の差別化はむしろ潔いのではなかろうか

2017-03-08 01:35:00 | 日記
 逆説的な発言になりますが、ブランドをあえてブランドらしくないデザインで商品開発することは、面白みに欠けるでしょうか?

 僕は今、小銭入れをロエベ、長財布をグッチと言う形で使い分けでいますが、これはどちらも中古であること、そして一見してブランドと判別できないところが共通しています。

 グッチは「バンブー」「グッチシマ」というように、一目見てグッチ、というデザインがありますが、あえてそうではない印象をあたえることが、ある種の差別化になる。

 そんな気がします。

 こう考えたのは、サッカーのスパイクにあります。

 イブラがアディダスか、それともナイキかと憶測が持たれたのは、彼が両ブランドのスパイクを交互に履き替えているためです。

 これはライオラの助言もあるのかもしれませんし、両社を天秤にかけることで

 「より良い契約を引き出す」
 「契約金だけでなく、引退後の生活も含めて」

 という面があるのでしょう。

 一昔前は契約を終えた選手は、マジックでラインを消して履くのが常套手段でした。

 黒塗りの靴を履いている選手は憶測を呼ぶこともなく

 「新しい契約を探しています」
 「気になるブランドの担当者はご一報を」

 という印だったわけです。

 今は黒塗りでブランドに気遣う方が稀なわけですが、変な憶測を呼ぶよりは遥かに潔いと思うのですがどうでしょうか。
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