塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

個性を伸ばすというのはたやすい物ですが。

2017-11-18 00:37:34 | 日記
 今でもあるかどうかわかりませんが、僕が進学進学を志していたころは「一芸入試」という試験がありました。

 学力試験だけでは人間本来が持つ個性、味わいが感じられないということで、何かしらの特技を面接官の前で披露し、審査してもらうというもので、他には試験を一本に絞った1科目受験も行われていました。

 僕は当時、西洋史には相当な自信があったので、仮に6大学でこの方式を採用しているところがあれば、西洋史で勝負してみればよかった、と思うことが多々ありました。

 予備校はやはりお金も必要ですし、交通費や再度の受験申込が必要ですからね。

 サッカーでも一芸に特化した選手は存在意義があります。

 ベッカムは現役時代、その外見の美しさが時に揶揄の対象となりましたが、一方で
 
 「彼のプロ根性は素晴らしい」
 「右脚からのクロスは正確無比」

 という評判だけは誰もが抱いていました。

 2008年、当時のイングランド代表監督マクラーレンは、当初代表から外していたベッカムを再度呼び戻しましたし、短期レンタルで2度加わったミラン、半年の在籍でしか無かったPSGでも、そのクロスは大きな武器になったものです。

 2010年のワールドカップ、日本代表も

 「本田圭祐」

 という絶対的な個性を4-1-4-1の1トップに起用して収穫を得ましたし、2002年には中田英寿がいましたね。

 個性を生む、創造することはたやすいことではなく、特に日本のように均一化を求める社会では猶更です。

 誰だって疎外になることは嫌ですし、僕は高校時代、クラスに溶け込めなくて大変でしたから、個性を育むことが周囲の反感や眼差しを我慢せねばならないこともわかります。

 個性が強い選手が自分で育つのか、それとも周囲の手助けが必要か、まずその点を見極める必要があると感じます。
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« Jリーグがカレンダーを欧州... | トップ | プーマ、新作スパイクは靴紐... »

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事