塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

90年代インテルの最大の失敗

2009-10-18 21:00:28 | 日記
 2005-06シーズンの棚ぼた式のスクデット戴冠からリーグ4連覇。今インテルは名実共に1960年代に続く、第2の黄金時代を迎えています。近い将来チャンピオンズ・リーグを手中におさめることも夢では無いでしょう。
 しかし90年代のインテルは、本当にだらしのないチームで、今再び黄金時代を迎えているのが不思議なくらいの体たらくでした。宿敵ミランが我世の春を謳歌している中、インテルは3度のUEFAカップ獲得で我慢する他ありませんでいた。
 実をいうとインテルはミランから派生して出来たチームです。母体となるミランが、外国籍の選手の参入を認めなかった為、その決議に異を唱えた関係者がインテルを創立したのです。インテルという呼び名は、「インテルナツイナーレ・ミラノ」という正式名称を略した形になります。その名の通り、90年代のインテルにも数多くの外国人選手が在籍し、やがて旅立っていきます。
 1例を挙げてみますね
 DF ロベルト・カルロス(ブラジル代表)
    ジョスリン・アングロマ(フランス代表)
 MF アーロン・ヴィンテル(オランダ代表)
    チリアコ・スフォルザ(スイス代表)
    ポール・インス(イングランド代表)
    ヴィム・ヨンク(オランダ代表)
    イゴール・シャリモフ(ロシア代表)
 FW デニス・ベルカンプ(オランダ代表)
    ルベン・ソサ(ウルグアイ代表)
    ユーリ・ジョルカエフ(フランス代表)
    ダルコ・パンチェフ(マケドニア代表9
 ざっと思いつくまま書き出してみましたが、南米と欧州のワールドカップ常連国、もしくは当時旬の選手をインテルは獲得しています。しかし外国人イタリア人問わず、当時のインテルは選手の出入りが激しく、毎年毎年選手の顔触れが大幅に変ってゆきます。これではチームに一体感が生まれるはずはありません。
 また90年代は、インテルのオーナーが前任者のペジェグリーニから、今のマッシモ・モラッティに移るという移行期でもあり、チームの周辺は随分慌しかったことも事実です。第一最大のライバルであるミランが、黄金期を築いているのですから、インテルのファンが我慢なら無いのも無理はありません。
 加えて招聘した指揮官も、短期間でその座を追われてゆきます。オズワルド・バニョーリ、オッタビオ・ビアンキ、ロイ・ホジソン、そしてルイジ・シモーニ。短期間でくるくるかわる監督と選手。そしてスクデットはおろか、コパ・イタリア(日本で言う天皇杯です)すら手にできない国内タイトル。
 でも僕は混沌に溢れた90年代のインテル最大の失敗は、スクデットを1度も獲得できなかったことではないと思っています。
 僕の90年代のインテル最大の失敗は、デニス・ベルカンプの能力を活かせなかったことにあると考えています。その話は次回に行いたいと思います。
 
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