塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

日本と諸外国で異なる価値観

2013-04-08 22:41:02 | 日記
 中南米とアジアと比較した際、支配する側にいた西欧は比較的安定した暮らしができましたが、スペインのフランコとポ
ルトガルのサラザールのように、サッカーを政治に利用した支配者もいました。

 前者はレアル・マドリード
 後者はベンフィカとエウゼビオ

 この蜜月が他の地域から反発を招き、その政治的背景が現在のバルセロナやアスレチック・ビルバオ、つまり中央集権に
対しての否定に繋がります。

 しかし西欧諸国でマリーシアが生活でもサッカーでも取り入れたのは、やはり移民の受け入れがあり、様々な価値観、宗教
や食生活が混在し、やはり出し抜く、言い換えれば生き抜く術を求められたためだと感じます。

 ドイツならばトルコ
 フランスならばアルジェリアにベトナム

 これらの国ではコミュニティが枝分かれしており、他にも中国から諸外国に転居した方は大勢います。

 日本もブラジルに多くの方が移民しましたし、パラグアイもそうですね。

 サッカーではこの移民の力、ジダンはアルジェルア、メスト・エジルはトルコ、という形でうまい具合に利用している反面、
やはり本国に暮らしている生粋のフランス、ドイツの人々は穿った見方をすることがあります。

 日本は「基本的には」単一民族であり、方言は除くも日本語のみで暮らしますから、やはり競争する、相手を陥れる、騙す
ということしていては、暮らしが成立しませんでした。

 諸外国の方からすれば、昭和の風景

 「味噌、しょうゆを近所で貸し借りする」
 「自分の家の前だけでなくご近所さんの家の前も掃除する」

 という事を目の当たりにしたら、相当の違和感を感じたでしょうね。

 しかし日本もここにきて、競争、言い換えれば知恵を使い生き抜くことが現実味を帯びてきましたが、彼の国では初等教育
から実践しているこの習慣。

 日本人からすれば世知辛いものかもしれません。
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過去、マリーシアが日本に無かった理由

2013-04-08 22:31:01 | 日記
 カリブ海では野球が、それ以外の地域ではサッカーがその国の思想と国民性を映し出すと言われています。

 インドではクリケット、オーストラリアではオージーボールやラグビーの方が今なお盛んですが、いずれはサッカーが主役
となる日が来るかもしれません。

 日本サッカーはプロ化してからも、外国籍選手から度々

 「日本のサッカーにはマリーシアが無い」

 と言われ続け、選手も記者もその指摘を念頭に置いたうえで、代表戦とリーグ戦をこなすようになりましたが、僕はこのサ
ッカー独特の風習、今までの日本サッカーに馴染みが無くて当然の代物だと思います。

 むしろ、無かったことが日本社会が健全であることを示しています。

 諸外国、特に南米と東南アジアは米国の一方的で傲慢な政治の介入、軍事政権やクーデターなどで政権が次々と変化し、農
民は搾取され手板敷が長かったですね。

 1978年のアルゼンチン・ワールドカップは軍事政権下で行われましたし、ブラジルも同様の時期がありました。

 西アジアではロシアとアフガニスタン、イランとイラクが戦争で疲弊し、ヴェトナムも戦禍に苦しむ過去が存在したもので
す。

 ですから人々は極端な話

 「人を出し抜くことで水と食料を得る」

 形になり、生活の知恵とも言えるマリーシアが普及した背景はあると思うのです。

 マリーシアを生活の知恵、サッカーでは「出し抜く」と捉えるならば、時間を費やして90分を88、89分に短縮する事
は可能でしょうし、1997年日本と戦ったイランが

 「主力の故障者が出た」

 と発表したのもマリーシア、相手を出し抜いてでも勝つ!という意思表示でしかありません。

 つまり、戦後の日本は様々な批判を受けながらも政権が自民党のみで運営され、大きな政局の混乱が無く僕たちも両親も、
安定を享受することが出来ていたのです。
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サッカー選手に見る身だしなみの大切さ

2013-04-08 19:48:07 | 日記
 服装が大事なのは携帯電話のそれよりも大事だと思います。

 と言いますのも、携帯電話をいじる時間よりも服装を見られている時間の方がはるかに多いためです。

 歩きながら、上司と行動を共にしながら、車を運転している最中に当然ですが携帯電話を操ることはできません。

 ところが僕は以前自転車に乗りながら携帯をいじっていた女子高生の自転車に、信号待ちをしていた時に突っ込まれて
痛い思いをしたことがありますが、ぶつかった方はさほどでもない様子で去っていきました。

 自転車でこれなのですから、車なら死んでいたかもしれません。

 例えばあなたが上司で、お得先に新入社員を紹介しようと朝待ち合わせをした際に、髭をそっていなかったり、どう考
えてもスーツに不釣り合いな肩掛け鞄やスポーツ・ジャンパーを羽織って彼らが現れたら、

 多分を頭を抱えてしまうと思います

 サッカー選手が身だしなみを大切にするのは、取材の方に失礼が無い服装をするのは当然ですが、自分を「正確」に
報道してもらうには、折り目正しい服装が大切だと、誰もが認識しているためです。

 最新号の「メンズEX」の表紙は長谷部誠ですが、サッカー選手がファッション誌にインタビューされることは、彼の
着こなし、服装が

 「長谷部誠」

 を語っているからです。

 それは彼の代表遠征時の着こなし、そして発言が素晴らしいと周囲が認めている点も大きいでしょうが。

 ですから携帯電話にお金をかけられる方ならば、ある程度身だしなみを整えないと、最新機種と外見が正比例しない、と
ても残念な形になります。

 サッカー選手は高給取りですが、皆が皆高級品を身に着けているわけではないでしょう。

 洗顔、髭剃り、爪切り、そして的確なサイズの服を着る。

 僕も含めて今一度、自分を見つめなおしたいものです。
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日本人男性の服装、サッカーにおける攻守のバランス

2013-04-08 19:36:11 | 日記
 今日は休日で長野まで出かけたのですが、電車内で見かけた男性の多くがちぐはぐな恰好をしていました。

 お世辞にも僕が優れた服装をしているとは思えませんが、少なくとも

 1・スーツやブレザーにスポーツブランドのウインドブレイカーやリュックは合わせない
 2・例え革製品であってもスニーカーは絶対に着用しない
 3・ペイスリー、プリントなどのネクタイは休日用にする

 という、スーツの原則は知っていますし、必ず守っています。

 凄い高性能の携帯電話をしゃかりきにいじっている、そんな男性の多くが薄汚れた靴やスポーツジャンパーを羽織り、妊婦
や怪我を負っている方の優先席に率先して腰掛けている姿を見ると

 「日本は大丈夫か?」

 と思います。

 ファッション誌では確かにスーツにニューバランスの靴を合わしている方を見かけますが、「あえて」本道から外れている
ことを忘れてはいけません。

 どんな服装にも、相性の良しあしは間違いなくあると思います。

 例えばサッカーも同様で、攻守のバランスは非常に大事な要素です。

 2000-01シーズン、フィオレンティーナはトルコ皇帝と讃えられたファティ・テリムを新監督に迎え、その攻撃的サ
ッカーがファンの大喝采を浴びるも、余りに

 「攻撃的すぎる」

 と言う理由で、その座を追われます。(20節で解任)

 テリムが唱えた布陣は2-3-3-2、実質4-1-3-2で中盤のセントラル・ミッドフィルダーとストッパーのふたり、
そしてGKのフランチェスコ・トルドが守備を担っていました。

 攻撃の軸はふたりのポルトガル代表、ヌノ・ゴメスとルイ・コスタ、そしてイタリア代表のキエーザが素晴らしい動きをみ
セルも、テリムは攻守の均衡を保てるまでには至らなかったのです。

 ファンは

 「守備的すぎる」

 と批判し、かさにかかって攻撃をすると今度はそこでも批判を浴びる。

 サッカーには的確な評論など存在しないのかもしれません。

 
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レイソルの工藤は代表招集に値すべきではないだろうか

2013-04-08 00:48:26 | 日記
 J1のダイジェスト映像を見ていますと、勿体ないなあと思うことが多々あります。

 それはどう見ても代表招集に値すると思われますが、海外リーグの選手たちが数多く重用されているという現実があるため
です。

 それは僕とザッケローニ監督の主観が異なるためでもありますし、単に監督が選手に求める資質と役割と適合していない面
もあるのでしょうが。

 僕は以前からサガンの豊田は代表に値すると考えており、幾度かこのブログに記したこともあります。

 柏レイソルの工藤壮人もFWとして代表招集をうける、旬の素材になり得ると思うのですがどうでしょうか。

 あくまで僕の印象ですが、工藤は特にこれという肉体的な武器を持ち合わせていない変わりに、ドリブルでの切り替えしと
視野の確保、そしてシュートの正確性に秀でていると感じます。

 今季のサッカー・ダイジェスト選手名鑑によれば、

 「北嶋秀朗が残した9番を引き継ぎ、新たな覚悟で挑む」

 と書かれており、自分の働き具合ひとつがJ1とチャンピオンズ・リーグの結果を左右すると考えているのでしょうね。

 また自分が不出来あればネルシーニョ監督だけでなく、前任者の北嶋にも示しがつかないという良い意味での緊張感が、
今工藤の脳裏を支配していると思います。
 
 またレッズを牽引するDFふたり、槙野と森脇も現在の調子を維持できれば当然代表復帰が見えてくるはずですし、少
なくとも吉田が

 「カード累積、負傷」

 のいずれかに相当した際の補いは、今から考えるべきですね。

 そうしますとベルデニック政権以降、失点が極端に減ったアルディージャの守備陣からも、代表招集の声がかかってお
かしくは無いと思うのですが。
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