癌と生きる 依存症と生きる

命がある限り希望を持つということ


6度目の3.11

2017-03-11 16:04:45 | 社会・生活
毎年3月11日が近づいてくると
わけもなく不安になり、仏壇に手を合わせて
「どうか今日も一日何事もなく、無事に終わりますように」と祈る。
福島には、今も友人一家が暮らしているから
3.11には関係なく、とにかく二度とあんな大きな災害が起こらないようにと
ただただ日々祈るしかない。

東北は2月の終わりに、久しぶりに大きな地震があって
その後も震度3程度の揺れは続いたらしい。
大きな地震があると「前震じゃないといいんだけど」とメールがくる。
あの地震や津波や原発事故を経験した人にしか分からない
不安や恐怖は今も続いていて、それは多分完全になくなることはない。

現在でも12万人を超える方が避難されていて
福島から県外に避難されているという人も多い。
そんな中で、福島から避難されている人たちが
大人も子供も、いわれのない差別やいじめを受けているという
ニュースに胸が痛むだけでなく、どうしようもない怒りを覚える。

東日本大震災の後も、各地で地震や災害が起こり
その都度亡くなられた方や、避難生活を余儀なくされた方もたくさんおられる。
地震も災害も予測するのは難しいから
どこで暮らしていても、被害にあう可能性は、私たち全てに平等にある。
同様に再稼働が始まった原発も、あれだけ重大な事故が起きた以上
また起きる可能性は、決してゼロではない。

こうして思うことはたくさんあるが、部外者の私に言えることは少ない。
このブログでは、震災と原発事故が発生して以来
いわき在住のジャーナリスト安竜昌弘さんのブログ「いわき日和」をリンクしている。
ここには、あの日、そしてその後何が起こったかがつづられている。
3.11から現在まで続く、貴重な証言だと思う。

「人間は、自分たちが見たいものしかみない」

TVをつけると流れてくる、ハイテンションなしゃべりや
意味不明な笑い声を聞くたびに、首をかしげたくなる。
暗いもの、悲しいもの、辛いものからは目をそむけて
一見明るく、楽しそうに見えるものばかりに目を向けることは
そうでない場所で生きなければならない人間を切り捨てて
まるで存在しないかのように、抹消しようとすることにならないだろうか。

楽しいものをみることが悪いとは思わないが
脳天気で、中身のない悪趣味なバカ騒ぎを、楽しいとは思えない。
作っている人たちは、これを本当に面白いと思っているのか
疑問に思うが、私の感覚が今の時代に合わないのかもしれない。

昨年福島の友人夫婦が福岡に来てくれて
別れ際に、ダンナさんが「福島の人間は、がんばってって言わないんだよね」と
言いながら固い握手をしてくれた。
日々生きている現実の重さには「がんばろう、がんばって」では
きっと釣り合わないものがあるのだ。

一年、また一年と月日が経つほどに
本当は語りたい言葉をたくさん胸の中に抱えていながら
「終わったことだから、復興してるから」と言われれば
それを外に出すことがどんどん難しくなっていくのではないか。

終戦記念日が近づくと、戦争を語り継ぐことが大切だと言われるように
あの震災や原発事故も、当事者だけの問題なのではなく
たとえモニター越しにではあるにせよ
リアルタイムでそれを体験した私たちは、傍観者であっていいわけがなく
その現実の一端を、語り継ぐ必要があるのだと思う。

ランキングに参加してみました。よろしければクリックをお願いします!


にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 依存症へにほんブログ村


にほんブログ村 病気ブログ 乳がん ステージ3・4へにほんブログ村


ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 歯医者さんに通院中 | トップ | ギャンブル依存症に新説? »

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。