ミセスローゼンの富士日記

チェリストのナサニエル・ローゼンと日本に住んで七年目。音楽仲間と富士山麓に暮し、俳都松山へ通う日々!

納屋掃除蚊取線香湿気て燃ゆ

2017-06-12 15:50:26 | 日記


ベートーベンのミサ・ソレムニスを聞く。ニックは毎週一回くらい聞いてるが、久々に私も一緒に聞く。村上さんの新刊を読み終えたので、これを聞きたい気分なのだ。
ソレムニスとは荘厳。カトリック教会で行われる歌による祭儀「荘厳ミサ曲」である。四人の歌手が大合唱とオーケストラと共に、憐れみを乞い、栄光を求め、私は信じます! と歌い、感謝を捧げ、我らの罪を購ったイエス・キリストを称えて歌う。今並べた言葉以外にも、人が味わう全ての喜怒哀楽や幸福、絶望、苦悩、希望などの思いが歌に込められている。同じソの音を歌っても、歓喜のソと、恐怖のソでは音色が違う。私の娘は子供の頃、音に色が見えていた。ソは青だと言ってた。青にも様々な色合があるように、同じだけ音もカラフルなの、と言ってた。歌手はその彩りを、かくも自然に歌い分ける。ニックが目指すチェロの演奏はこれだ。一音の音程の幅を多彩なビブラートを使って弾き分ける事で、オペラ歌手のように色々なソを歌うのが彼の理想なのだ、と私は思う。(そしてこのカラフルさを聴き分ける耳を持つ観衆が、世界の中でも日本に多いと彼は感じている節がある。日本人の繊細な美意識を知って益々日本に住みたくなったのだ。余談だが、日本の色辞典を見たら、これ納得出来ると思う。)
話が逸れたけど、ここからがキモで、村上春樹の「騎士団長殺し」に通じる話。長くなるが。
ニックがこの様な演奏をするには、イデアを信じる事と、メタファーの助けが必要なんだと思う。イデアとは物事の真の姿。この音楽はこう演奏されるべきという理想。その音はこう歌うべきという信念。オペラ歌手のように歌う為にスケールとエチュードを毎日弾く。テクニックが身についてもまだ駄目だ。理想ばかり見てても理想には近づけぬ。力強く歌いたければ、「力」や「強さ」の顕れを見なければならない。現実の「勢い」を体験しなければ「勢いよく」歌えない。「愛」や「美」や「死」をとことん味わわねば、それらについては歌えない。その為に、メタファー(*)の助けを借りる。リングサイドでボクサーの「力強さ」に接近、氷河滑降の「勢い」を感じ、アレックス・オノルドが命綱無しの素手でエル・カピターノ岩を登る映像を見て「美」と「死」を想う。
村上さんもニックも同じ事に人生を費やしている。画家も俳人も同じ。芸術は一つに繋がる。その事を完璧にクリアにしてくれて村上さんありがとう、と言いたい。この本は村上主義者のバイブルとなる。迷う度にこれを開くとよい。ニックが、ミサ・ソレムニスを聞くように。ああ、村上主義者の同志とこの本の真価について語り合いたいね。(この本に出てくる穴や少女はあの本の穴や少女と同じですね、なんつう類のハルキストのミーハー話でなくね。)
この本を読んで、過去作品の焼き直しとか人気の終焉とか言ってる人達が気の毒。それはまるでニックのバッハを聴いて、揺らぐ音程や原典と違う弓使いに文句ばかり言って楽しまない人達みたい。一つ一つの音色の持つ意味や祝福や、メタファー映像満載の(例えば1番プレリュードのエンディングは滝が流れ落ちて虹がかかる風景画をニックは音で描いている。)バッハを享受出来なかったんだもん。それは損だと思う。この本にもお得なお楽しみがぎゅっと詰まってる事を、何とか知らせてあげたいのだがなあ。ネタバレ出来ないので今はこれしか言えない。

(*)メタファーとは暗喩のこと。ある物事を表現するのに、全く別の物事を取り合わせ、理解する助けとする。俳句における二物衝撃はメタファーだと私は思う。
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