ミセスローゼンの富士日記

チェリストのナサニエル・ローゼンと日本に住んで七年目。音楽仲間と富士山麓に暮し、俳都松山へ通う日々!

山法師笑ふやうなる風の山

2017-06-18 12:32:46 | 日記

瀬戸大橋を渡って、月の一度の松山レッスンへ。

でまた瀬戸大橋を渡って、本州へ帰る。

これ絶対ローゼン作ってるやろ、と思うかもしんないが、実際に起こった事である。高校生以下のお子さんには見せないで下さい。中学生以下、でいいか。

「おじさんあるある」
潮風は揺れるので、本も読めないしパソコンも見れないから、椎名林檎を聞きながら海を見て過ごし、岡山で祭り寿し買って、がらがらに空いた新幹線ひかりに乗り替えて、しばらくは仕事の続きをしてた。つい面白くて午後2時までやって、もう昼飯にしようと祭り寿しを開いたところで、ああああ、ああああ、と明らかにエロ声か、指圧されてる女のような声が横から聞こえてきたので見ると、白髪のおじさんが、がっくりと首垂れて寝入って、イヤホンがiPadの根元から抜けてた。もしかしたらエロじゃなくて指圧シーンのある映画かもしれないと思ったが、とにかく祭り寿し食べるBGMとしては無理なんで、すいません、イヤホン抜けてます、と肩を揺すってイヤホン入れてもらった。新幹線でエロ映画見ながら寝ちゃうおじさんあるある。
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脚上げて鳥歩きをる植田かな

2017-06-17 15:08:43 | 日記

まだ雪がある。

夏休みの生徒達がチャイナから来る事になった。CCは音楽院に晴れて合格が決まり、意気揚々と友達も連れてやって来る。ご父兄も入れて総勢7名の民宿の予約を頼まれたが、同じ週末(7/16)がどうにもどこも満室。七月は富士登山のシーズンだしな。我が家から近い宿から順に当たってゆき、平野に一軒見つかった。ニックは子供達とアフターレッスンに富士急ハイランドに行くのも楽しみにしてるようだ。やれやれ。嗚呼。
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レコード盤裏表聴き梅雨に入る

2017-06-16 06:36:04 | 日記

皇居二重橋。

昨日の一句。
緑陰へレコード盤を提げて行く
この「へ」について考えた。「へ」は方向を表わす助詞だから、具体的な場所(緑陰へ)を指す場合も、漠然とした事柄(平和へ)にも使える。句に広がりが出る。俳句は短いので、助詞一文字でも無駄はできない。省エネ効果の高い一語を使いたい。この句の場合、私が見たシーンは、レコード盤を提げて日向を歩く老人(まあニックなんだけど、本人がもう俺は70代に入っとると言うのだから、例え69でも老人と呼んでいいやろ。)の姿。
老人は緑陰を目指して歩き、緑陰へ消えた。だから「へ」を使った。老人と緑陰までの間の距離感があったから。だがそれがどれほど面白いだろう? 例えば、
緑陰やレコード盤を提げて行く
とすれば、上五緑陰の世界がまず眼前に開け、ホビットみたいな人がレコード盤を大事に提げて森の中を歩くような場面が想像され、その方が面白くなる。「緑陰へ」ならば、緑陰へ入る人を背後から見送ったらそれきりだが、「緑陰や」ならば、その人と同じ視線で森の中を歩き、これから何処へ行って、レコードをどうするのだろう? だれと聞くのか? という小ミステリーも生まれる。
こういう他人が見たらもうほんと、どうでもいい事を考えるのって本当に面白い。だから俳句は面白い。ところで、やっぱレコード盤はいいね。音がいい、裏表あるのが楽しい。CDは味気ないね。
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緑陰へレコード盤を提げて行く

2017-06-15 15:05:15 | 日記
普通の日。犬の散歩。自転車で湖一周。帰りに魚勝に寄り、鯛を半身、浅利、葱、小松菜、田舎味噌、納豆を買う。ランチはボンゴレ。ディナーは鯛と小松菜とライス。除湿剤が山ほど届いたので、ニックの舞台衣装とスーツのポケットにある、既に湿ってぶよぶよの物と新品と交換する。家中の水取りゾウさんを取り替える。三台の除湿機をフル稼動して、除湿剤年二回取り替えたら大変な出費でごいす。靴の中にもそれぞれ水取りゾウさん靴用要るしね。午後嬉しいお客さんが来て、スリランカ土産のマサラチャイを一緒に飲んだら美味しかった。戸棚に置いとくだけで素晴らしい芳香がするし、飲んだらさらに美味しい。さすが本場物は違うと思った。お隣でクレンゲル(ピアティゴルスキー先生の先生)作曲デュオを聞いてから、ニックと私の車それぞれ修理を頼んでたのを取りに行くと車社長が居て、緑茶を一緒に飲んだ。車社長、君はいい手をしている、ボクサーみたいな手だ(これ褒め言葉)、ボクサーみたいな顔だ(これ褒め言葉?)、俺の手なんかごく普通のつまらん手だ、とニックが本気に褒めたら、社長はやや照れて、「こんなの赤子みてえな手だ。鶏の手羽先みてえな手だ」と言った。車社長かっこいい。ニックの車の前が(又ぶつけて)外れかけてたのと、私の軽がギーギー言ってたのをうまいこと直してくれた。まだまだ乗れる。ありがたい。
普通の日に発見した普通の事。
かぼちゃんは、例えば魚を焼いてる時にドッグフードをあげると、ぺろっと完食する。焼魚の匂いだけでご飯三杯いける、みたいな。魚も肉も好きなだけ上げたいのだけれど、あげるとその後で手が痒くなって可哀想なことになるのであげられないのだ。あげても一口だけ。でも匂いだけでも食欲が増すよね確かに。
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納屋掃除蚊取線香湿気て燃ゆ

2017-06-12 15:50:26 | 日記


ベートーベンのミサ・ソレムニスを聞く。ニックは毎週一回くらい聞いてるが、久々に私も一緒に聞く。村上さんの新刊を読み終えたので、これを聞きたい気分なのだ。
ソレムニスとは荘厳。カトリック教会で行われる歌による祭儀「荘厳ミサ曲」である。四人の歌手が大合唱とオーケストラと共に、憐れみを乞い、栄光を求め、私は信じます! と歌い、感謝を捧げ、我らの罪を購ったイエス・キリストを称えて歌う。今並べた言葉以外にも、人が味わう全ての喜怒哀楽や幸福、絶望、苦悩、希望などの思いが歌に込められている。同じソの音を歌っても、歓喜のソと、恐怖のソでは音色が違う。私の娘は子供の頃、音に色が見えていた。ソは青だと言ってた。青にも様々な色合があるように、同じだけ音もカラフルなの、と言ってた。歌手はその彩りを、かくも自然に歌い分ける。ニックが目指すチェロの演奏はこれだ。一音の音程の幅を多彩なビブラートを使って弾き分ける事で、オペラ歌手のように色々なソを歌うのが彼の理想なのだ、と私は思う。(そしてこのカラフルさを聴き分ける耳を持つ観衆が、世界の中でも日本に多いと彼は感じている節がある。日本人の繊細な美意識を知って益々日本に住みたくなったのだ。余談だが、日本の色辞典を見たら、これ納得出来ると思う。)
話が逸れたけど、ここからがキモで、村上春樹の「騎士団長殺し」に通じる話。長くなるが。
ニックがこの様な演奏をするには、イデアを信じる事と、メタファーの助けが必要なんだと思う。イデアとは物事の真の姿。この音楽はこう演奏されるべきという理想。その音はこう歌うべきという信念。オペラ歌手のように歌う為にスケールとエチュードを毎日弾く。テクニックが身についてもまだ駄目だ。理想ばかり見てても理想には近づけぬ。力強く歌いたければ、「力」や「強さ」の顕れを見なければならない。現実の「勢い」を体験しなければ「勢いよく」歌えない。「愛」や「美」や「死」をとことん味わわねば、それらについては歌えない。その為に、メタファー(*)の助けを借りる。リングサイドでボクサーの「力強さ」に接近、氷河滑降の「勢い」を感じ、アレックス・オノルドが命綱無しの素手でエル・カピターノ岩を登る映像を見て「美」と「死」を想う。
村上さんもニックも同じ事に人生を費やしている。画家も俳人も同じ。芸術は一つに繋がる。その事を完璧にクリアにしてくれて村上さんありがとう、と言いたい。この本は村上主義者のバイブルとなる。迷う度にこれを開くとよい。ニックが、ミサ・ソレムニスを聞くように。ああ、村上主義者の同志とこの本の真価について語り合いたいね。(この本に出てくる穴や少女はあの本の穴や少女と同じですね、なんつう類のハルキストのミーハー話でなくね。)
この本を読んで、過去作品の焼き直しとか人気の終焉とか言ってる人達が気の毒。それはまるでニックのバッハを聴いて、揺らぐ音程や原典と違う弓使いに文句ばかり言って楽しまない人達みたい。一つ一つの音色の持つ意味や祝福や、メタファー映像満載の(例えば1番プレリュードのエンディングは滝が流れ落ちて虹がかかる風景画をニックは音で描いている。)バッハを享受出来なかったんだもん。それは損だと思う。この本にもお得なお楽しみがぎゅっと詰まってる事を、何とか知らせてあげたいのだがなあ。ネタバレ出来ないので今はこれしか言えない。

(*)メタファーとは暗喩のこと。ある物事を表現するのに、全く別の物事を取り合わせ、理解する助けとする。俳句における二物衝撃はメタファーだと私は思う。
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