私の知人所有のしょぼいプロレスマスクコレクション等です。 どうぞ、お暇なら見て笑ってやって下さい。とほほ…

マスカラスのマスクが欲しくテレビ局へ応募
タイガーマスクの四次元殺法に狂喜
休刊した週刊ファイトの元愛読者の彼

【売却済】 ザ・コブラ 本人使用

2017年09月18日 20時29分50秒 | マスクコレクション

イナゾーファクトリー製 ザ・コブラ 本人使用済みです。
現時点でのザ・コブラのラストマッチ 平成16年(2004年)7月10日 PWCプロモーション 博多スターレーン ザ・コブラ、初代タイガーマスク組対維新力、折原昌夫組戦でオーバーマスクとして本人使用
タグ、直筆サイン入り、着用写真付き。

ジョージ高野(ジョージたかの、1958年6月23日 - )は、福岡県北九州市出身のプロレスラー、元大相撲力士。本名は高野 讓治(たかの じょうじ)。大相撲時代の四股名高野(たかの)。覆面レスラーとしては「ザ・コブラ」と名乗った。プロレスラーの高野拳磁は実の弟、全日本プロレスに短期間在籍した高野直樹は従兄弟。

来歴

新日本プロレス入門前

父は岩国基地に所属していたアメリカ海兵隊員で、隊内のボクシング王者にもなっている。父はアメリカに帰国してしまい、母親も苦労し、肌の色が浅黒かったため大変な差別やイジメを受け苦労する。 大相撲の大鵬部屋に15歳で入門し、高野の四股名で1974年3月場所で初土俵を踏む。しかし1976年1月場所では番付外となり、そのまま廃業する。最高位は序二段34枚目。

新日本プロレス在籍時

大相撲廃業後、1976年8月に新日本プロレスへ入団。1977年2月10日、日本武道館での佐山聡戦でデビュー、時間切れ引き分け。

デビュー前からTV特撮番組『プロレスの星 アステカイザー』に主人公のライバル役として出演した。この時、菅原文太の誘いで本格的に芸能界入りを目指したが、プロレスへの情熱が断ち切れず、1978年6月に再び新日本へカムバック。1978年10月13日に平田淳二戦で再デビューする。前田日明ヒロ斎藤平田淳二(現平田淳嗣)らが入門しており、彼らと同期とされる事もあるが、実際には佐山聡と同期である。黒人とのハーフであるため抜群の運動能力とハンサムな顔立ちで若手の注目選手となり、その人気に前田日明も強く嫉妬した。ドロップキックで190センチを超える前田の頭の上を蹴ってしまい自爆するなど驚異的な運動神経からポストアントニオ猪木の最有力候補に挙げられ、若手時代には前田に一度も負けておらず、前田は「新日本プロレスの歴史上、最も素材が良く素質もあったのは間違いなくジョージ高野だ」と言う。初代タイガーマスクの「スペース・フライング・タイガー・ドロップ」の開発者はジョージであり、ムーンソルト・プレスを開発し初めてリングで披露したのもジョージである。

1982年1月にメキシコへ遠征。二年連続最優秀外国人選手賞を受賞するなどメキシコマット界で活躍の後、翌年カナダカルガリースタンピード・レスリングに転戦。自身のヒール志向の実現のため覆面レスラーザ・コブラとしてダイナマイト・キッドらと抗争を展開する。1983年夏の初代タイガーマスクの突然の引退によって、ジュニア戦線の後継者として凱旋帰国を促されるも一度は辞退。その後、師匠アントニオ猪木の説得により帰国を決意、11月3日の日本デビュー戦でNWA世界ジュニアヘビー級王座を獲得した。その後もザ・コブラとして、ジュニア戦線のトップとして活躍した。しかし、ハンサムな顔にマスクを被せ、猪木と同等の体格であるのにジュニアヘビー級戦士にするのは無理があり、コブラへの転身がポスト猪木の最有力候補だったジョージのレスラー人生を狂わせた。

Wikipediaより





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