「日本文学の革命」の日々

「日本文学の革命」というホームページを出してます。「日本文学の革命」で検索すれば出てきますので、見てください

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

電子同人雑誌の可能性 92

2016-11-05 13:42:52 | 日本文学の革命
電子同人雑誌はテレビに匹敵するほど豊かで多彩で面白いものに成り得る。たとえば先に述べた5人の購読者にテレビを見るのと自分が購読している電子同人雑誌を読むのとどちらが面白いかと尋ねたら、まず間違いなく電子同人雑誌だと答えるだろう。もし彼らが自分でも電子同人雑誌の制作や活動に関わったら、その面白さはさらに何倍にもなるだろう。

電子同人雑誌という構想やヴィジョンが築かれ、その具体的な制作方法やノウハウも提供され、さらに電子同人雑誌が活躍できる舞台(具体的には雑誌のアップロードができ課金システムも整った総合サイトの存在である)も整ったら、数多くの電子同人雑誌が続々と作られてゆくだろう。特に電子同人雑誌の中でいくつか社会的に成功を収めるような雑誌が現われて来たら、それこそ我も我もと雨後の竹の子のような勢いで電子同人雑誌が生み出されて来るだろう。またたく間に数万、数十万を超える電子同人雑誌が創刊されてもおかしくない。前に述べたように電子同人雑誌の創刊には特別の資金や資本の出し手など必要ではなく、数名の人間の手弁当で十分運営できるので、ヴィジョンとノウハウと舞台が用意され、またそこに雑誌制作者のやる気とアイデアが加われば、いとも簡単に電子同人雑誌が創刊されるのである。
一番難しいのは同人集めだろうが、しかしそれはその雑誌が本当に発行されるほどの価値を持っているのかどうか、人々の心や魂に訴えかけられるものを持っているのかどうか、かつてのホームページのような下らない垂れ流しで終わるものではなく真の社会的なメディアになれるのかどうか、それを計るための試金石でもあるのである。同人を集められるということはその雑誌がある程度のクオリティーにまで精錬されたことを意味するのであり、個人の無責任な垂れ流しを超えた段階に達したことを保証するのである。また創刊当初なら個人でもいいのであり、そこから徐々に同人を獲得していってもいいのである。

数万数十万を超える電子同人雑誌が発行されたとしても、社会的話題になったりマスコミ的トップに立ったりするのはごく少数だろう。だがそれでいいのである。電子同人雑誌は身近な人々との交流(それは実際に身近である人々に限らず、心や魂が近く感じられる人々・心の交流ができる人々も含んでいる。むしろこちらの方が多いであろう)のメディアであり、そのようなものとして生活の一部を形成するメディアなのである。
それは買い物をする店の人々との交流であり、趣味を共有する同好会の人々との交流であり、何かを共に目指し実現するための社会的な交流でもあり、またご近所付き合いの延長的な交際であり、身近なもの同士の助け合いでもあり、そして広い意味での人間的な魂の交流のメディアなのである。
マスコミのトップに立ち社会全体の大意識に影響を与えることは、たしかに価値のある行為だろう。しかし身近な人々と交流し互いに人間的な心の共感をすることは、一人の人間としての個人にとって、同程度に重要であり、価値ある行為なのである。マスコミ的に見ればそれは底辺の末梢的な活動に見え、また何の影響力も発揮し得ない活動に見えるだろう。しかしそれは同じ人間同士の豊かで現実的な交流であり、魂の交流にも発展できるものであり、またその当事者である人々同士にお互い深い人間的な影響を与え合うのである。(マスコミ的影響力に関して言えるのは、それは確かに広い影響を及ぼすが、同時に薄いものなのである。それが現象として表れるのが、マスコミの内容がすぐに「忘れられる」というものである。昔の超人気番組『世界まるごとハウマッチ』だとか『兼高かおる世界の旅』とか言ってもほとんどの人間が名前すら忘れようとしている。芸能人の忘れられ方も激しく、かつては華やかに輝いていたのだが、テレビ画面から消えるようになるとすぐに「あの人誰だっけ?」と忘却の淵に沈むことになる)

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 電子同人雑誌の可能性 91 | トップ | 電子同人雑誌の可能性 93 »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

日本文学の革命」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL