「日本文学の革命」の日々

「日本文学の革命」というホームページを出してます。「日本文学の革命」で検索すれば出てきますので、見てください

電子同人雑誌の可能性 132

2017-08-08 06:10:41 | 日本文学の革命
大分長い事書けない状態が続いたので、ここでちょっとこれまで書いてきたことを思い出してみよう。

『電子同人雑誌の可能性』という本を書くに当たって、そもそもの始まりは「賞取りシステム」に対しての疑問にあった。なぜこんなシステムによって今の日本文学は支配されているのだろう、という疑問と憤懣であった。ずいぶん前に出した「日本文学の革命」というホームページにも『賞取りシステムの弊害』というタイトルで作品を書こうとして、取りあえず草案だけは載せて置いた。
賞取りシステムとは、出版社―マスコミ―大衆社会という戦後発達した三つの力が組み合わさったところに成立したものである。その本質はマックス・ウェーバーの言う「カリスマの日常化」現象である。つまりかつて存在した真正のカリスマを(この場合戦前の日本文学者たちのことである。賞の多くに「芥川賞」など昔の日本文学者たちの名前が冠されているのもそのためである)、“人工的に”再現しようとして行われる社会現象のことである。出版社による新しいカリスマの“指名”と、マスコミやそれに煽られた大衆の“歓呼賛同”を通して、カリスマ的な流行作家たちを人工的に製造してゆくというものである。
しかし今や出版社もマスコミも大衆社会も衰亡ないし変質してきて、またかつては存在していた戦前の日本文学者たちのカリスマも失われてしまった。そのため賞取りシステムも衰退してきて、かつてはカンフル剤のように日本文学の存続に役立ったものの、今やその効果も失い、このままでは日本文学そのものを滅ぼしかねない「弊害」と化している…といった内容である。
いろいろ他にやることがあって作品として書かず、長いこと放置してきたが、基本的に今でもこのように考えているし、いずれ『電子同人雑誌の可能性』の一章として書きたいと思っている。

このような戦後から今に続いている制度「賞取りシステム」に対して、目を転じて戦前の日本文学を見てみると、そこには全く異なる制度が存在していたのである。それが「同人雑誌」なのであった。戦前はこの「同人雑誌」こそが作家たちの輩出機関となっていて、綺羅星の如き優れた作家たちを数多く生み出してきたのである。日本文学を築き、本当に発展させてきたのは、この「同人雑誌」から出て来た戦前の作家たちだと言っていい。
この「同人雑誌」は独特のネットワークを持っていた。「同人内―同人間―文壇」のネットワークである。このネットワークこそが様々な多彩な作家たちの自由で自主的な活動を可能にし、彼らの才能を磨き彼らを育て、また強力で多元的な発掘機関として優れた才能を発見し、彼らを一躍スターダムに押し上げたのである。

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