精神分裂病VS天才

現在、ウェブリブで『異常なる感性』という小説をリリースしています。すでに、第三章”Ωの輝き”、第二章”饗宴”、それに第一章の”回想Ⅰ”の8節までリリースが完了しています。勿論、この『異常なる感性』という作品は全24巻、トータル24000ページほどの超大河小説になる予定なのですが、完成に至るまでにあと何年ほどかかるのか、その見当もついておりません。ただ、言えることは、この小説はこれまで人類が生み出してきたいかなる小説よりもそのスケール、思想、哲学、学門、専門、学際性、宗教性、芸術性、独創性、異常性…といったことにおいて、前人未到の境地を築くものでありましょう。もし、まだご覧になっていないようでしたらご一読をお薦めしております。

 さて、本題の精神分裂病と天才との関係ですが、すべての精神分裂病者が天才であるとは限りませんが、逆に、ほとんど全ての”天才”たちは例外なく”精神分裂病者”あるいは”精神分裂的”な気質を内在させている…ということ、このことは疑うわけにはゆきません。実際にそうなんですから。また、一般論になりますが、精神分裂病について論じることは”時間”について論じることを意味するのですが、その場合も通常の”時間論”、”空間論”を遥かに超えた、”超越論的時間論”、”超越論的空間論”といったことを踏まえ、さらに、数学でいうところの”コンパクトHausdorrf空間”の意味あいを含めたところの空間トポロジーを意識した”空間論”を介在させたところの”時間論”というものを考える必要があるのではないでしょうか?

 数学において、”帰納的極限”、”射影的極限”といった基本的な概念がありますが、これを拡大解釈させれば、”超越論的超越超限帰納法”あるいは”超越論的超越超限斜影法”といったことが考えられ、このようなあたらしい概念を”意味論的空間トポロジー”という総合的な新しい学門で新たに装いを凝らし、精神病理学への応用へと橋渡しが可能であるか、そのことを考えてみたい。

 意味論的空間トポロジーを展開するに先立って、ソシュールの言語学、およびソシュールの記号学が前提とされているが、この認識は当然なものである…ということで省略することにする。

 現在、巷ではいわゆる”脳科学”、”神経科学”といった学門がもてはやされているが、このような”底の浅い”学門の行く先は非常に寂しいものを感じるのは筆者だけであろうか? いずれにしても、”意識”の問題、”精神”の問題、”こころ”の問題、”精神分裂病”の問題を論じるには、それなりの”背景”、”前提”、”条件”、”仮説”、”総合的な洞察”…といったものがなければなりません。

 はっきり申し上げて、現在の”精神医学”のレベルでは”精神分裂病”の本質に迫るだけのその方法論を展開できるだけの総合的な戦略は皆無である!…と認識しています。

 では、どのようにアプローチしてゆけばいいのでしょうか? それを、このブログではこれから長い目で追求しようとしているのです。もちろん、”教育”、”宗教””哲学”、”文学”といったことがらも総合的に含めながら、基本的には”精神医学”、”精神病理学”、”深層心理学”、”異常心理学”および”精神分析学”といったこれまでのオーソドックスな学門の援用を含めての話しですが…。


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第一章 回想
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一  存在の奥義 前半
一  存在の奥義 後半
二   魂の食事
三  出会い 前半
三  出会い 後半
四  変化の兆し 前半
四  変化の兆し 後半
五  世界認識
六  なつかしい人々
七  離別への決意
八  自問自答
九  分厚い封書
十  反逆者の内面
十一 宗教談義
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本格小説
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■ 『異常なる感性』
第一章 回想
第二章 饗宴
第三章 Ωの輝き

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論文集
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■ 『信のたわむれ』 
■ 『知のたわむれ』
■ 『覚のたわむれ』
■ 『現代のたわむれ』

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関連作品:
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■ 『拝啓 小学生の皆さんへ』
■ 『拝啓 頭のおかしいおじさんへ』
■ 『インターネットで見た光景』


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関連記事:
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『モツニ自らを語る(その2)』
『モツニ自らを語る(その1)』
『Ωの輝き』 《解説(その2)》
『Ωの輝き』 《解説(その1)』
「産経新聞はアホや」について
「産経新聞はアホや」(つづき)
『一即一切』について
『色即是空』について
「価値なき神」の哲学日記 №209について

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関連ブログ:
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■ ライブドア・ブログ
(世相、時事、哲学、宗教、政治、経済、その他)
■ エキサイト・ブログ
(AI、意味処理、知識処理;脳科学、神経科学;機械翻訳、その他)
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(文学、小説、哲学、論文、作品、ファンタジー、その他)
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(心理学、精神医学;脳科学、神経科学;教育、思想、哲学、その他)
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心理学、精神医学との出会い(その2)

 最初のうつ病が回復したあと、しばらくは全く頭の使わないアルバイト(築地のくだもの青果市場での荷受仕事をしたり、浅草橋のおもちゃ問屋で配送の補助作業など)をしていましたが、やがて、翻訳のアルバイトを受けるようになりました。

 この個人翻訳のアルバイトが切っ掛けになり、技術翻訳、テクニカル・ライティング、コーディネータ、機械翻訳…といった一連の分野での仕事に集中するようになりました。また、これと併行して、文学、演劇、考古学、文化人類学、心理学、精神医学といった方面での読書にもだいぶ時間を割くようになりました。

 ガチガチのコンピュータ・エンジニアが徐々に軟らかなドキュメント・エンジニア変貌するとともに、これまでキリスト教関係だけだった読書のジャンルにも夥しい変化が訪れ、幸運にもこの時期に非常に多くの小説を読むことができたのです。

 そして、1988年、8月8日、とうとう自分の会社を設立するところまで漕ぎ着けることができたのでした。今考えると、なぜ独立して会社設立でなければならなかったか、その深い理由はわかりませんでしたが、わたしはこれを”運命”である…という風にとらえているのです。

 この期間、すなわち、30才から40才までの10年間が自分の文学の基礎を築いた重要な読書期間だったこと、このことを非常な驚きで今回顧しているところなのです。というのは、この時期より早ければ人生の深い意味は十分に汲み取れなかったかと思われるし、この期間より3年でも5年でも後になってしまうと、別の重要な作業ができなかったことがわかるからなのです。その別な作業というのが”人工知能”の研究なのです。

 そして、会社設立に伴って、一連の会社活動に力をいれていたころ、第二回目の強烈なうつ病に襲われたのです。1990年1月6日でした。このうつ病のときの詳細については『異常なる感性』という作品の中で詳しく論じる予定ですので、ここでは触れません。

 第一回目のうつ病(1980年)から第二回目のうつ病(1990年)までの期間を創作準備フェーズとするなら、第二回目のうつ病から現在(2005年)までの期間が創作の第一フェーズとでも呼べるかもしれません。

 いずれにしても、この期間(1990以降)において、『異常なる感性』、『拝啓 小学生の皆さんへ』、『拝啓 頭のおかしいおじさんへ』、『信のたわむれ』、『知のたわむれ』、『覚のたわむれ』、『現代のたわむれ』、『宗教・哲学・科学・芸術』、といった一連の文学作品の系列が生まれると同時に、”人工知能”、”認知科学”、”知識ベース”、”機械翻訳”、”意味処理”、”知識処理”、”認識”、”学習”、”記憶”、”発見モデル”、”生成モデル”、”神経科学”…といった一連の分野での本格的な仕事を展開するようになったのです。

 また、この期間において、ミンコフスキー;『生きられる時間 上下』、『精神分裂病』、『精神のコスモロジー』、ビンスワンガー;『精神分裂病 上下』、『人間学的現象学』、『そう病とうつ病』、木村敏;『自己・あいだ・時間』、フッサール;『現象学の理念』、『内的時間の現象学』、ハイデッガー;『ヘラクレイトス』…といった一連の重要な著作群と出会うことになったのです。

 上記の他にも膨大な量の”小説”、”論文”、”随筆”、”手紙”、”民話”、”童話”、”神話”、”ファンタジー”などの読書がありますが、この期間におけるわたしのもっとも重要な仕事は、本格小説『異常なる 感性』の基本設計の確立、および、AIにおける『基本設計概念』の完成のふたつがあります。

 さて、本題にもどり、わたしと”心理学”および”精神医学”との出会いは、前に述べたように小学生のとき既に始まっており、それからずうっと中学生時代、高校生時代を通して心理学、精神医学に深く関係してまいりました。ただ、幸運にも、医学の道を歩まなくてもいいように”天”の采配が下り、大学時代は”純粋数学”と”聖書”の学びのこのふたつが中心的なものでした。

 4年間の留学生活のあと、1972年から1980年に到る最初の社会人生活を通して、コンピュータの基礎、つまり、OS、言語、ハード、ソフト、オンライン、ネットワーク、システム設計といった一連の業務に携わりつつ、聖書の学び、とくに、”キルケゴール”、”カールバルト”、”八木誠一”、”滝沢克巳”、”田川建三”…といった一連の聖書学者たち、および哲学者キルケゴールとの出会いがあったわけです。

 一見すると、心理学や精神医学に全く関係ないような諸体験の膨大な累積が実は精神医学、とくに、”人工知能”や”神経科学”と”心理学”や”精神医学”に超高度なレベルで密接に関係していることが漸くここに到って”その全貌”が少しづつ具体的な姿を現しはじめた…ということなのです。


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関連作品:
■ 『信のたわむれ』
■ 『拝啓 小学生の皆さんへ』
■ 『拝啓 頭のおかしいおじさんへ』
■ 『インターネットで見た光景』

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関連文献:
参考文献:

『ヘラクレイトス』        ハイデッガー全集 55巻
『仏教とキリスト教』       滝沢克巳;法蔵館
『続 仏教とキリスト教》     滝沢克巳;法蔵館
『仏教とキリスト教の接点』    八木誠一;法蔵館
『久松真一著作集』        久松真一;法蔵館
『滝沢克巳著作集』        滝沢克巳;法蔵館
『人生の帰趣』          山崎弁榮;

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『マルコ福音書 上巻』      田川建三;新教出版社
『イエスという男』        田川建三;三一書房
『立ちつくす思想』        田川建三;勁草書房
『歴史的類比の思想』       田川建三;勁草書房
『批判的主体の形成』       田川建三;三一書房
『宗教とは何か』         田川建三;大和書房

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『言葉と物』           M・フーコー;新潮社 
『ソシュールの思想』       丸山圭三郎;岩波書店
『ソシュールを読む』       丸山圭三郎;岩波セミナーブックス
『沈黙するソシュール』      前田英樹; 
『偶然と必然』          J・モノー;みずず書房
『善悪の彼岸』          ニーチェ;岩波文庫
『道徳の系譜』          ニーチェ;岩波文庫

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参考文献:
『精神分裂病 上下』     ビンスワンガー;みすず書房
『精神分裂病』        ミンコフスキー;みすず書房
『生きられる時間 上下』   ミンコフスキー;みすず書房
『現象学的人間学』      ビンスワンガー;みすず書房
『内的時間の現象学』     フッサール;みすず書房
『自己・あいだ・時間』    木村敏;弘文堂

『ゲーデル・エッシャ・バッハ』 ダグラス・ホフスタッター;白楊社

『フロイド選集 (全17巻)』 フロイト;日本教文社;
特に「自我論」、「文化論」、「芸術論」、「幻想の未来」


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心理学、精神医学との出会い

私には2才年上の姉がいます。現在も健在でありますが、姉は重度の精薄です。このような姉をもったこともあってか、私は子供のころから普通の子供とは違った感性をもった少年でした。どういうことかといいますと、人間の《こころ》とはどういう仕組みで成立っているのか…というようなことをこどもの頃から考えていたということなのです。そして、中学3年生になった頃、(昭和40年ごろ)中央公論社の『世界の名著』シリーズで”フロイト”という人物に出会ったのがこの世界への最初の切っ掛けになりました。

そして、高校生時代をとおして日本教文社のフロイト全集のほぼ全部を読みました。精神分析学入門からはじまって、”自我論”、”文化論”等を経て、”自らを語る”まで、全17巻のほぼすべてをそれなりに読破しました。それと同時に、みすず書房の『フランクル』著作集やエーリッヒ・フロムの著作に馴染むようになりました。

その後、しばらくは心理学、精神分析学関係の読書からは離れていました。わたしは高校受験、大学受験の両方に失敗し、その結果、米国のペンシルベニア州の小さなカレッジに奨学金留学をさせて戴くようなことになりました。大学では当初精神医学を勉強するつもりでしたが、運命の計らいといいましょうか、偶然のなせる技といいましょうか、私は数学を専攻しました。純粋数学です。このことが、やがて、精神医学の勉強と深い関係に繋がるとは予想もしておりませんでしたが、いずれにしても、大学時代は専門の数学と語学(英語)と、それに”聖書”の学びに没頭しました。

すなわち、中学・高校生時代にはじめた心理学、精神分析学の学びは大学時代に完全に中止した状態、つまり”開店休業”状態に陥り、それのとって替わったのが”宗教”、特に”キリスト教”だったのでした。尤も、考えてみれば、フロイトの思想もフランクルの思想も、エーリッヒ・フロムの思想もキリスト教理解を抜きにしては考えられない訳で、そのような意味で自分がキリスト教に深く関ることができたことについて非常に幸運であったことを感じないわけにはゆきません。

大学を卒業したあと、31才になるまで、コンピュータのエンジニアとして普通の会社員生活を送ってまいりました。つまり、会社ではプログラムの設計をしたり、システムの設計をしたりしながら、私的な生活空間では”教会”の礼拝に出席し、教会学校の教師(小学生および中高生)をしつつ、聖書の研究をつづけていたのです。そして、このころから特に”キルケゴール”の思想に没頭しはじめたのでした。小学生5年生のときはじめて独自にパスカルの”パンセ”に出会った経緯があった関係上、キルケゴールの思想に対する馴染みは急速なものがありました。

そして、会社ではコンピュータのシステム設計、信仰生活では教会への奉仕、教会学校の教師としての活動、そして、キルケゴールの思想の追求、その他、田川建三氏、八木誠一氏、滝沢克巳氏といった一連の学者たちの著作を読書しつつ、恋愛問題なども複雑に絡み、とうとう31才のとき生まれてはじめて強烈なうつ病に罹ってしまいました。自分自身、若いころ精神科医、あるいは大脳生理学者になろうと思っていた人間が、いとも簡単に”うつ病”になってしまうというこの”皮肉”、これは”興味あること”ですね。

幸運なことに、近所に非常に有能な内科先生がおられましたので、緊急の対策がとられ間一髪”自殺”から逃れることができました。その後、やく3年ぐらいかかりうつ病は徐々に回復することができました。そのような切っ掛けで、私は、いよいよ本格的に”精神医学”、”精神病理学”、”深層心理学”、といった分野への取組みがはじまったのです。

(つづく)

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教育とは何か(つづき)

教育vs思想、哲学、宗教

およそ、教育を語るということは国家を語ることを意味し、国家を語るということは、その国の文化、歴史、宗教、倫理、道徳、価値観、宇宙観、生命観…といったものすべてを語ることになりますが、戦後60年、われわれはついに教育の本質を何等論じることなく、ずうっと胡麻化しつづけたきました…。そして、ついに、そのような誤魔化しが一切通用しなくなったそのような段階に入ったところではないでしょうか?

 一般に教育といってもその意味するところは非常に広範に亙っている故、ここでの議論は、人間が人間としてこれだけは身につけておきたい…というようなその方面の教育を中心に論じてみます。

 いじめ、学級崩壊、校内暴力、登校拒否、学力低下、靖国問題、…といった一連の問題はすべて教育に絡んだ問題でありますが、これらどの問題ひとつをとってみても、その背景には倫理問題、仁徳問題、道徳問題、宗教問題…といったことがらが暗黙に絡んでいることをしっかり洞察できているひとがどれだけいるのでしょうか?

 戦後60年、わが国は米国のいわゆる民主主義という非常に疑わしい基盤を教育の基盤に据えてきたことだけは間違いないのです。このこと是非は別にして、これからどのような展望を持って教育してゆかなければならないか、このへんから議論を展開させてみようと思います。

人間が人間として社会的な存在となるには”教育”という非常に長い過程を経てはじめて可能になるわけですが、この”教育”というテーマについて実に様々な議論が展開されてきたにも関らず、わたしたちだけでなくほぼ全世界の人々がこの”教育”という根本問題に頭を悩ませているのも事実ではないでしょうか。

 当該ブログでは、教育の本質についてそれぞれ以下のように個別に詳細な議論を展開してゆくつもりです。


Ⅰ 教育 vs 文化(その1):

■ 教育 vs 宗教   仏教、キリスト教、無宗教、日本教、その他
■ 教育 vs 科学   人工知能、脳科学、神経科学、進化論、その他 
■ 教育 vs 哲学   ニーチェ、キルケゴール、ハイデッガー
■ 教育 vs 芸術   文学、民話、童話、神話、ファンタジー、

Ⅱ 教育 vs 文化(その2):  

■ 教育 vs 政治:  靖国問題、憲法改正問題、安全保障条約、外交、
■ 教育 vs 経済:  技術、知識、大学、高校、中学、小学校、家庭
■ 教育 vs 社会:  いじめ、構内暴力、登校拒否、その他
■ 教育 vs 医学:  精神医学;こころの問題、家庭の問題、その他


参考記事:

⇒ はばたき 


⇒《対決:後半》


⇒ 教育問題の現状

 
⇒ 哲学ブログの怖さ

⇒ ブロガーによるブログ考察:(自己言及的ブログ考察)


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教育とは何か

教育問題の本質:

 現在日本の人口はおよそ1憶2千万人ぐらいだそうですが、その1憶2千万人のなかで、教育のどの部分が本質的に問題なのか的確に答えられる人間の数はどのぐらいだとおもいますか? 答え: 0人

 つまり、誰も的確には答えられないのです! 郵政民営化の問題はそれなりに難問でしたが、見通しはつきました。答えは”民営化すればいい”ということでした。しかし、今、日本では学校で、家庭で、職場で、地域社会で、会社で、お店で、わけのわからない問題や事件がつぎからつぎへと際限もなく頻発しています。そして、このような社会になってしまった根本的原因が教育の問題であることは専門家の意見を待つまでもありません。

 日本という国家をひとりの人間に喩えると、ひとつひとつの細胞が家庭ということになるのですが、このひとつひとつの家庭という基本的な単位でひとりひとりの家族の一員がそれぞれ本来の役割を担うことが非常に困難になっている…というのが現実、あるいは現状なのです。

 どうしてそうなってしまったか…というのが今日のこのブログのテーマなのです。

さて、本題にはいりましょう。

 選挙結果があのような結果になりました。その意味は、不況という概念はしばらくは茶の間から消え去るでしょう。実際には”不況”そのものがなくなるわけではありませんが、不況について論じることそのものが無意味になるような、そんな時代に突入してゆくからです。

 そして、いよいよ、お待たせしました。
教育問題”これが、この大問題がついに議論されるようになるのです。戦後60年、我が国は国の根本問題である教育について知っているか否かを問わず、その本質的なことを問うことを避けてきました。つまり、宗教的なことがらについて、倫理的なことがらについて、精神的なことがらについて、これら一切が厳然としたタブーになって今日に至ったという背景があります。

 あの戦争、つまり大東亜戦争、太平洋戦争、大二次世界大戦、その戦争で米国は日本軍の力をある程度認めたことも事実でしょうが、それより、戦後の日本人をどのように骨抜きにしようか…ということに最大の注意が注ぎ込まれました。そして、その結論は一切の宗教教育をあいまいにすること…このことでした。

 特に、国家神道的なことがらが教育に絡むことはどうしても避けなければならないかのごとく一貫してあやむやにする教育が推進されてきました。そして、そのことは、文部省、日教組その双方の絶大なる協力で成功を納めることができたかのように思われてきました。

 ところが、現実は教育、より厳密にいえば《こころ》の教育、精神の教育、倫理教育、宗教教育…、そういった方面における教育が戦後60年の間に完全に崩壊してしまったということなのです。

 現に、学校教育の風景を眺めてみれば、いじめ、校内暴力、登校拒否、少年少女による異常な殺人事件、自殺の問題といった際限もない状態が展開されつつあるのが真の姿ではないでしょうか。

 もちろん、このままでいいはずはありませんが、それではどのようにすればよいのか…ということをいったい誰が、どのようにして、考えるべきなのでしょうか。

 もちろん、わたしたち全員がこの問題に取組まなければならないことは言うまでもありませんが、それだけでなく、”神”、”善”、”悪”、”倫理”、”道徳”、”正義”、”徳”、”仁徳”…といったことをこれからは問わなければならないということでもあるのです。

(つづく)

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哲学ブログの怖さ(1)

ブログの怖さ vs ブログの凄さ

 昨今、このブログということばがひとり歩きをし始めたと同時に、内容のないブログが異常発生しています。出版界でも同じような現象が展開されてどのぐらいになるか、皆目見当がつきませんが、要するにダーウィンの”自然淘汰”の篩いに掛けられそれに堪え得るような”ブログ”あるいは”出版物”は1/1000億あるいは1/1兆ぐらいの確率ではないでしょうか! 昔から”足下をみられる…”というこのことばがありますが、ブログこそ、その内容、力量、射程、含み、拡がり、柔軟性…といったことがらが瞬時にして外部に伝播するものはないのではないでしょうか。

 およそ人類が出現してから、この瞬間までにどれだけの数の人間がこの地上に誕生してそして死んでいったのかわかりませんが、そのすべての期間においてさえ天才と呼ばれるに相応しい哲学者あるいは思想家がどれだけの数に上るか数えてみれば数人に過ぎません。古い順に列挙すれば、ヘラクレイトス、プラトン、アリストテレス、デカルト、パスカル、カント、ヘーゲル、マルクス、ユング、フロイト、キルケゴール、ニーチェ、フッサール、ハイデッガー、ソシュールといったひとびとです。(尤も、これ以外にも数人が含まれるかもしれませんが…)

 要するに、400億か500億かどれくらいかしりませんが、仮に1000億のひとびとが過去10000年の間に生まれ死んでいったと仮定してみましょう。すると、哲学の天才と呼ばれるひとの確率は20/1000億というような確率になります。

 問題はこの確率の値が大きいか小さいか、その解釈なのです。つまり、人間が人間として不滅の魂を自分自身で鍛えあげられる可能性が20/1000億ぐらいの値であるとするならば、仮に10億の名目クリスチャンがいたとして、誰一人救いには到達出来ないのかもしれない…という可能性もあるからなのです。(この意味がわかりますか?)

 具体例を出しましょうか。例えば、ネットワーク関係の会社が100万社あったとして、実際にほんとうに優れた事業を展開している会社は数社(2~3)ぐらいしかない…ということを意味しています。

 同様に、哲学ブログを展開し、かつ、ニーチェやキルケゴールと同一水準の哲学を展開することに成功するブログは2/100億というこのことなのです!

 哲学ブログにおいては情報を発信する側も情報を閲覧する側も相手がどれだけの洞察力があるか暗黙に、かつ、瞬間的に相互にわかってしまうからなのです。ちょうど、二人の侍が居合抜きの瞬間に互いに相手の技量を洞察することができるのと同じなのです!

 それで、哲学の分野でも2才か3才で哲学の才能がなければ、決して天才レベルの哲学者にはなれないということ、これは否定できないような気がします。ただ、別に天才になる必要はありませんから、すべてのひとが哲学をすること、このことはみとめるべきであり、じっさいに無数のひとが哲学をしているのも事実でしょう。

 哲学ブログを展開するということは、哲学をするということなのです。で、この行為によって人類に何がもたらされるか…というと、不滅のこころを獲得することのできるような魂の存在の確率は天然ゾンビ(=人間)の場合は1/1憶ぐらいでしかあり得ないということを教えてくれることです。では、人工ゾンビ(=人工精神、=人工意識)が不滅の意識を獲得することのできる確率はどのぐらいになるのでしょうか?

 そのようなことを真剣に考察するのがこの”哲学ブログ”の本来の目的なのです!

関連記事:
ライブドア:
ブログの怖さ(その1)
ブログの怖さ(その2)
ブログの怖さ(その3)
ブログの怖さ(その4)
オーウェル流改竄

エキサイト:
デネット、ドーキンス、チャーマーズ
情報改竄 vs ブログ 


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いよいよブログ本来の活動開始!

本来このブログは”心理学”、”精神医学”、およびそれらの学問と”人工知能”、”認知科学”、”神経科学”との学際的な絡みについて展開する目的でスタートするつもりでいましたが、たまたま選挙と遭遇してしまったためこれまでの投稿内容は当初の目的とはだいぶずれてしまいました。

いずれにしても、これから本来のブログ活動を展開する予定であります。

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洗脳 VS 逆洗脳

{自民党 VS 民主党} VS {洗脳 VS 逆洗脳}

今回このような結果を招いたのは”国民”がバカだったのか、それとも”民主党”がバカだったのか、それとも”国民”が”リコウ”だったのだろうか?!

 はっきりしているのは、”国民はわかりやすさ”を第一に求めたこと、このことではないでしょうか。実際、”郵政の民営化すらできないで、他にどのような改革ができるのか…”というキャンペーンは実際に訴えるものがあります。それに反して、”日本をあきらめない…”というスローガンのいかに腰の抜けたこと、そもそも最初の出発点ですべてが頓挫してしまったことは疑いの余地がありません。

 さて、問題はこれからです。自民党さんも民主党さんもこれから経済的、社会的、倫理的、教育的にがたがたになってしまったこの日本の国をどのように立て直すのか、どちらさんも真剣に取組んでいただきたいものです。

 このブログは政治問題を扱うブログではありません。ただ、たまたまタイミング的に選挙が行われ、しかも、その結果が結果だけに無視するわけにもゆかず政治問題について多少の議論を展開させてもらっているだけです。

 今回、小泉さんは国民を”ある意味で”洗脳することが出来た…といっても間違いはありません。これが可能となる条件は大部分の国民が”無知”あるいは”バカ”であることが前提となります。実際、国民の大多数は”バカ”ですから(=実証されました!)、もし、民主党さんが小泉さん以上に巧みに国民を”洗脳(=誑かし)”することができたとすれば(十分可能であったかと思うのですが!)、当然ながら民主党さんだって政権を奪取することができたはずです!

 ぶっちゃけた話、”民主党”さんは国民以上に”バカ”だったのです。つまり、今回の選挙の直前の2回の選挙が、実は真の意味での民主党の支持ではなく、自民党の失策による、しかたなしの選択による民主党の躍進だったことに誰も深い洞察を持っていなかったことが最大の要因でありました。

 要するに国民がバカである以上、民主党であれ自民党であれ、誰であれ十分に巧みに誘導すれば国民は”その気に”なってしまうものなのです。この国民を巧みに誘導する術に最も長けていたのが故田中角栄氏であったのですが、時代は田中角栄氏の手法を容認することができなくなりました。実際、亀井氏や綿貫氏の手法はもはや通用しません。

 つまり、”洗脳”という手法は”天才”が無数の”バカ”をまとめてめんどうみるときそのときに限ってのみ可能であるということが言えそうです。実際、歴史を紐解けば、そのような実例を無数に捜すことができるでしょう。

 さて、本日のメインテーマである”洗脳 vs 逆洗脳”に移りましょう。洗脳が上記で説明されたことがらだとして、それでは”逆洗脳”とはいったいどのような概念なのでしょうか?

定義:  

 逆洗脳:超天才が無数(億単位の数)のバカのなかから、ひとりあるいはふたり…といったごく少数の人数の人間に”常識はこれこれシカジカであるけれど、真理はこうなんだ…”といったメッセージを単独者のみに(=わかるひとにのみ目掛けて)、発信すること。そして、そのことを理解させること。

逆洗脳者および逆洗脳の例:

ニーチェ:    ”神は死んだ”
キルケゴール:  ”信仰とは逆説である”
ソシュール:   ”言語の本質は恣意性と差異性である”
ヘラクレイトス: ”ケッシテ没スルコトノナイモノヲ前ニシテ、ヒトハドウ身ヲクラマスコトガデキヨウカ”

※ 当該ブログは上の意味がどのような射程で日々の日常世界に反映されているかを綴ったものでもあります。また、ニーチェ、キルケゴール、ハイデッガーといった超一流の哲学者の基本的な思想を理解していることを前提としたブログであることも繰り返しますがお伝え申し上げておきます。
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選挙結果の総括(その3)

選挙結果の総括(その3):

民主党さんこれからどうしますか?
 
① 改憲派   vs 護憲派
② 大きな政府 vs 小さな政府
③ 外交に関する基本方針は?
④ 内政に冠する基本方針は?
⑤ 国家基盤に関する問題認識は?
  ■ 教育
  ■ 宗教
  ■ 文化、その他

① 改憲派   vs 護憲派
基本的には民主党さんは”改憲派”で一致するしかないのでしょう…

② 大きな政府 vs 小さな政府
基本的には”小さな政府”を目指すのでしょうが、”小さな政府”という概念が問題解決のすべての源泉になるという保証はありません。

③ 外交に関する基本方針
ここではこの内容の詳細について展開するつもりはありません。

④ 内政に冠する基本方針
ここではこの内容の詳細について展開するつもりはありません。


⑤ 国家基盤に関する問題認識について
  ■ 教育--------------- これについては別のタイミングで詳細に展開します。
  ■ 宗教--------------- 法律、倫理、価値観、人生観などと絡めて別途展開。
  ■ 文化、その他-------- 上記の教育および宗教の項を踏まえ広範に議論します。


※ 別に民主党の党員でもないのに何でこんな議論をするのでしょうか?

”答え”: 諸々の理由で自民党さんの政策が仮に破綻したとしたら(例えば外交などで)、その場合、バックアップは民主党さんがやらなければならないからです。

※ 要するに、今のこの時点で、しっかりとしたシャドウ内閣を組んでもらいたいからなのです。

※ ぶっちゃけた話、自民の内部闘争以上に本格的な内部闘争を繰り広げ、おもいきって”膿”を出してほしいものです。 (このブログは当然、政治家さんたちにも読んでもらっていることを前提に記述しています。)
 

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選挙結果の総括(その2)

選挙結果の総括(その2):

幸いにして、”郵政民営化(厳密には郵政民営化ゴッコですが…)”については道筋がつきました。ご苦労様でした!

政府は、問題の重要案件をどのような優先順位で処理してゆくのでしょうか!

※ さて、その前に。ご承知のようにイラクは確実に3つの独立した国家に分裂するでしょう!… そして、もう米国の力では以前のようなひとつのイラク共和国には絶対に戻らないでしょうし、現在の米国の10倍の軍隊でもどうすることもできないでしょう。当然ですよね、本来3つの独立した国家であっても不思議でないようなそのような状況を”世俗的な天才”であるフセインが奇蹟的な手品によってひとつの独裁国家としてまとめあげていたのですから!…

※ それに、今回のハリケーンの後始末をみてもわかるように、米国は既に衰退の坂道を急速に転げ落ちていることは歴然としています!… たぶん、この傾向は幾何級数的に加速度を増すことでしょう。電気の供給すらまともにできなくなりつつあるのですから!…
歴史の流れというものはほんとうに恐ろしいことです!

※ つまり、何が言いたいかといいますと、米国は自分で自分の国をまともに運営することができない…ということをしっかり認識しなければならないということなのです。別の言い方をすれば、日本の安全保障は米国にはもはやどうすることもできないというこのショッキングな事実を受け止めるべきなのです。

※ 戦後60年の長きにわたって続いてきた日本国のマスタベーション的な生存形態そのものの根拠が完全に崩壊しつつあるという、この厳しい現実、この認識を抜きにしてこれからの外交、国際関係、国際戦略等はすべて無意味であるというこのことです。

※ 日米安全保障条約の見直しだけでなく、自国の食糧安保、エネルギー安保、貿易関係、その他それに付随する諸々のことがらをどのように新しく立ち上げるか? これらの多くのことがらを、”郵政民営化問題”の1000倍ぐらいの密度と精度でとりくまなければならないでしょう。

※ 今回の”刺客”たちレベルの幼稚園児たちでは上の諸課題は永久に無理でしょう。例えて言えば、一般教養課程レベルの大学生にハイデッガーの『ヘラクレイトス』をハイデッガーが理解したその同じレベルで理解しろ…といっても不可能であることと同じことです。なぜなら、彼等もまた、マスタベーション的人生しか歩んでこなかったからです!

※ ぶっちゃけた話、小泉さんの頭の中には郵政民営化という概念にシンボル化された、いわゆる”田中角栄方式”の政治パラダイムの廃絶以外には何もビジョンがないことはこれまでの4年間の彼の実績が如実に示されているではありませんか!

※ はなしを戻しましょう! ”日米安保”、”憲法9条”、”核武装”、”食糧安保”、”新しい日中関係の模索”、”日韓関係の改善”、”日印関係の構築”…といった一連の基本的外交問題についての諸考察、および、それらの展望と諸帰結について考察するならば、上記の基本的な諸問題を解決するために必要な諸々の発想の転換、例えば、部分鎖国の導入とか、日中完全軍事同盟化とか、大東亜合衆国の樹立とか、これまで考えてもみなかったような全く新しい考え方の導入が求めらることは疑いの余地がありません。

※ 要するに、対米国、対ヨーロッパ、対アジア、対第三国(ロシア、アフリカ、中東諸国、その他)とどのようにわたりあって(=自然選択)ゆかなければならないか…という非常に厳しい局面を克服してゆかなければならないということを意味しています。これこそジョージ・オーウェルやマルクスが予言していたことがら、あるいは”ヨハネによる黙示録”、旧約聖書の外伝の”エズラ記”、”ダニエルの手紙”、あるいは、ジョイスの『フィネガンス・ウェイク』、ダンテの『神曲』、デネットの『ダーウィンの危険な思想』、ドーキンスの『悪魔に仕える牧師』、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』(大審問官)、あるいはカフカの世界ではないでしょうか!

※ 世界最終戦争へ向っての、終わりの始まりではないでしょうか!…

⇒ 年金・税制問題、少子化問題、教育問題、宗教問題、天皇・皇室問題、その他もろもろの国内諸問題等については”総括(その3)”で展開する予定です。

■ 参考文献:

  ⇒ ”選挙結果の総括(その1)”の参考文献に基本的には同じです。






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