ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



子供が素直でなきゃいかんのはよく分かるけど、でも大人は違うよね。世間で生きていくためには、大人の態度というのが必要なことが多くて、子供みたいに素直なだけじゃ、生きていけないしね。・・・なーんてこと考えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福への方法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 イエスも、「心清き人は神を見るであろう」(「マタイ福音書」5・8)ということを聖書のなかで言っています。しかし、クリスチャンたちは、その聖句を長いあいだ見つづけながら、なかなか神を見ることができないでいます。それは、その言葉のほんとうの意味をよくつかみとっていないからだと思います。
 「心が清くあれば神を見ることができる」というのは、ほんとうにそのとおりです。「幼子のごとくでなければ天国には入れない」(「マタイ福音書」18・3)という言葉もありますが、まったく同じです。
 私は現在、高級諸霊と話をすることができます。なぜそれができるのか、他の人とどこが違うのかを考えてみると、結局、「素直な心」があるということだと思うのです。別の言葉でいうと、「純粋さ」でもあるでしょう。
 それは、「この世のいろいろな思い、しがらみに染まらずに、純粋な理想のようなものを持っている。あるいは、透明度の高いガラスのような心を持っている」ということなのだと思います。
 要するに、このガラスの透明度が低いと、仏神の声は聞こえないのです。
 普通の人でも、四歳ぐらいまでの小さい子供のときには、ほんとうに天使のような心を持って純粋に生きています。
 しかし、だんだん物心がついてくると、反抗期に入ったり、友達といっしょに悪いことを考えたり、いじめをしたりされたりと、いろいろなことがあって、心がしだいに歪んでいくのです。
 実社会に出てからは、それがもっと激しくなります。(中略)この世的なやり方にいろいろと染まって、本来の純粋な心を忘れていくようになるのです。
 もちろん、この世の中で身を処していくためには、処世術というか、いろいろなことを知らなければいけません。(中略)
 ただ、そうしたものを学んでいくときに、それらが自分の心を覆う鎧のようになってはいけないのです。この世的な知識が、自分の心をまったく覆ってしまう鎧のような役割を果たして、仏神の御心が分からない自分になってはいけないということです。
 仕事がらどうしても、この世的な知識をわきまえなくてはいけないこともあるでしょうが、「純粋な心を忘れまい。素直な心を忘れまい」という気持ちを、常に持っていることが大事なのです。
 そして、いったん仕事を離れたならば、とらわれのない、明るく透明度の高い心を、すぐに取り戻せるようにすることです。
 心というものは、きれいなガラスの容器に入ったダイヤモンドである──そうしたイメージを持っていなくてはいけません。
(96~101ページ)

「心が清くあれば神を見ることができる」というのは、ほんとうにそのとおりである。

この世的な知識をわきまえなくてはいけないことがあっても、純粋な心、素直な心を忘れまいという気持ちを、常に持っていることが大事である。

心というものは、きれいなガラスの容器に入ったダイヤモンドである、というイメージを持っていなくてはならない──。

うーん、だからこそ、毎日毎日、きちんと反省して、この輝くダイヤモンドが見えるように、ガラス容器を磨かなきゃいけないってことだったのだと、改めて私は思うのです。

 

『幸福への方法』

 大川隆法著

 

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