ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



日本って国は、教育の制度がおかしいんじゃないの? 文部科学省が教育政策を間違ったから、教育が歪んでしまって、だから信じられないような犯罪を犯したりする子供が出るんじゃないの? うちの子も、おかげでちゃんと育ってないじゃないの。なーんて疑問というか、不満もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『繁栄の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 日本という国は、非常に〝空気″に支配されやすい国であり、何か一つ象徴的なことが起こると、それにかかわる人たちがすべて同じ方向に動いていく傾向があります。日本人は、まだ、ほんとうの意味での個人主義的な考え方ができないのだと思います。
 事件を起こした生徒と個人的な関係のある人が反省するのは分かりますが、そうでない人たちまでが一緒になって総懺悔したり、個人に責任を帰するのではなく、受験戦争などのシステムや制度のせいにしたりするのは、まことに滑稽です。
 原点として、責められるべきは個人であり、家族なのです。(中略)
 宗教においては個人責任が根本であり、集団で責任をとるという考え方はありません。「すべては各人の問題であり、個人の考えや行動の責任は個人に帰する」という考え方なのです。
 たとえば、同じく仏教徒であっても、極楽に行く人もいれば地獄に行く人もいます。それは当然のことです。
 この二千数百年のあいだに仏教徒がどのくらいいたかは分かりませんが、「仏教徒のなかのだれかが地獄に堕ちたら、それは仏陀の責任であり、仏陀も地獄で反省しなければいけない」と考える人がいたならば、その考え方は間違いです。
 仏教には、「仏陀は満月を指し示すが、その満月を見るのは各人である」というたとえがあります。これを「指月(しがつ)のたとえ」といいます。
 教えは説かれていますが、それをどのように学び、実践するかは、あくまでも個人の問題であり、仏の責任とは考えられていないのです。(中略)
 日本では、「制度やシステムの責任」「役所や業界の責任」というようなとらえ方をすることがあまりにも多すぎます。これは戦前からの日本の特徴ですが、物事を集団的にしかとらえられないのは、要するに頭が悪いのです。
 スローガンや空気でしか人びとが動かないというのは、集合霊や軍隊アリのような動き方であり、各人が判断責任を持っていない証拠です。これは人びとの知性がきわめて弱いことと、全体の流れに対して、「いや、私はこう考える」とは言えないような精神的土壌があることを意味しています。
 しかし、個人の責任において判断し、意見を言い、その結果については甘んじて受ける勇気、気概が必要なのです。
(20~23ページ)

勇気、気概をもって、日本の国に真の意味での個人主義を──。

ちょっと厳しいけど、でも、今の日本人の一般的なあり方に、ビシッと喝(かつ)を入れられる教えですね。

厳しさこそが愛であることもある。

その典型が、この教えに見て取れるように思うのですが、みなさんはいかがお考えですか?

 

『繁栄の法』

大川隆法著

 

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