ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



幸福の科学って、ほんとに世界宗教になるの? いま、とっても多くの宗教があるけど、その中で、幸福の科学だけが何千年後まで残る宗教になるって言われても、なんだかほかのと区別がつかない感じがするけどなあ。・・・なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『説法自由自在③ 真理の発見』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 やはり時間が評価を定めるところがあります。本物は、時間がたてばたつほど、はっきりしてくるのです。しかし、間違ったものは、時間の流れとともに、やがて馬脚が露(あら)われてくるのです。(中略)
 必ずしも同時代に認められるものではないということです。イエス様も霊示集のなかで、イエス様の評価自体は、結局、死後百年ぐらいまでは固まらなかったということを、ご本人が言っておられるわけです。「私が死んだのち、弟子たちが活躍して、そして弟子たちもみんな死んだあとで、百年ぐらいたって、原始キリスト教の時代に入って、教会制度がいろいろできて、あとを継いでいこうという人が出てきて、だんだん固まってきた。しかし、私が生きていたときから百年以上も評価が固まらなかった。」ということを言ってくれました。それは、私たちに対する大いなる慰めでもあったろうと思います。
 たしかに、キリストのような人生というものを考えてみたときに、これは同時代人から見れば、評価しがたいものであったろうと思います。あれだけの奇蹟を起こしながら、なぜ罪人といっしょに死んでいかねばならなかったのか。神の一人子であるならば、なぜ奇蹟を起こさないで、そんな死に方をしたのか。また、弟子たちはちりぢりばらばらになったり、殺されていったのか。これは、同時代人にとっては解せないことであったろうと思います。しかし、それが、単なる迫害のための迫害であり、魔女狩りのように死んでいったのか、それとも、大いなる伝道のための人生であったのかは、のちの歴史が明らかにしていったわけです。
 すなわち、結局は本物は残って、そして、のちの人が評価するということです。同時代にはわからないことがあるのです。インドの時代にも、宗教家はいくらでもいたわけです。何百人、何千人もいて、それぞれ覇(は)を競っていたわけです。釈迦よりも有名な方はいっぱいいたけれども、その当時の他の方々の名前は忘れられて、釈迦の名前だけは残っているわけです。やはり、同時代においては、わからない部分があるのです。結局、富士山の高さは、裾野(すその)にいてはわからないということです。
(105~107ページ)

いま、私たちは、その富士山よりも高い山のすそ野にいるんだけれども、山に近すぎて、そのものすごい高さは、誰にでも分かるわけではない。

でも、さまざまな角度から考えてみればみるほどに、この山が三千年後まで残っていくことを私たちは深く確信して、ひたすら登り続けているのだと私は思っているのです。

 

『説法自由自在③ 真理の発見』

 大川隆法著

 

 

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