ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



受験の失敗とか、就職の失敗、大病で仕事ができなくなった、大好きな彼にふられた、結婚生活がうまくいかなくなったなどなど、人生の苦難とか困難っていろいろあるけど、どうしてそんな体験しなきゃいけないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福の原点』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 みなさんは、幼いころより、釈尊の仏像を見たり、十字架上のイエスの姿を描いた絵などを見たりして、いろいろと宗教的なものに接したことはあっても、それらはすべて、自分の外にあるもの、窓の外、カーテンの外にあるものといった感じが強かったであろうと思います。
 しかし、人間は、ある時点で仏神と出会うように仕組まれているのです。
 仏神との出会いの契機として、一つには、この世で人間として成長していく途中における、大きな失敗、挫折ということがあるでしょう。大きな病、受験や就職の失敗、恋愛や結婚の失敗など、さまざまなかたちでの失敗、挫折が、人間を仏神のほうへと深く深く向き直らせる契機となっているのです。
 苦難や困難、失敗、挫折というものは、世間では悪いことの象徴のように言われていますが、必ずしもそうとは言い切れない面もあるわけです。「失敗のなかに成功の因があり、また、悲しみのなかに喜びの種がある」という、ものの見方が非常に大事だと思います。
 世の中を非常に単純に、二元論的に見る人は、「仏神が存在するなら、世の中には、なぜ不幸があるのだろうか。なぜ辛酸をなめるような経験があるのだろうか。なぜ死というものに出会う悲しみがあるのだろうか。なぜ別離という悲しみがあるのだろうか。なぜ貧乏という名の苦しみがあるのだろうか」ということを感じます。
 しかし、そのような苦しみや悲しみは、単なる苦しみのための苦しみであったり、悲しみのための悲しみであったりすることはありません。苦しみや悲しみと見えるものは、実は、姿を変えた、仏神の大いなる愛であることが多いのです。
 仏教では、さまざまな試練を観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)の方便であると言うこともあります。いろいろな試練と見えるもの、砥石(といし)と見えるもののなかに、実は、仏神との出会いがあるのです。
(115~117ページ)

人生は、ある時点で仏神と出会うように仕組まれている。

人間として成長していく過程の大きな失敗、挫折が、仏神との出会いの契機となっている。

「失敗のなかに成功の因があり、また、悲しみのなかに喜びの種がある」という、ものの見方が非常に大事である──。

苦難・困難は、実は、姿を変えた仏神の大いなる愛であり、観世音菩薩(観音さま)の方便であると考えるべきだということです。

だから、苦難や困難に負けてちゃいけないのはもちろんですし、それだけじゃなくって、もっと前向きに積極的に受け止めて、これを学びの材料としていかなくてはならない、と教えていただいたのだと私は思っているのです。 

 

『幸福の原点』

大川隆法著



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