ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

奥州街道を歩く( 18-2:白沢:勝山城 (下野国) 栃木県河内郡 2017.10.17


(写真は、勝山城の空堀)

前回お話ししました様に、白沢宿から氏家宿へ向かう途中、
勝山城に立ち寄りました。

前回のブログが長くなり過ぎない様に、今回は、勝山城見学の
部分だけを切り離してブログにしました。


勝山城は、鬼怒川の左岸の段丘の最北端に位置する、南北
420メートル・東西370メートルの中世の平山城です。

鎌倉時代末期に、氏家氏により築城され(別名:氏家城)、
その後、宇都宮氏の一族の芳賀氏によって強固な城構えが
完成しました。

宇都宮氏一族の北方防衛の拠点の位置づけの城でしたが、
その後、1597年、宇都宮氏が秀吉により改易され、
廃城となりました。

現在は、「勝山城跡公園」として整備されています。





入口の案内板に従い、進んで行くと、上の写真の宝篋印塔が
ありました。

入口の先には、大手口(東側の入口)の木橋が見えます。







上の2枚の写真は、大手口の木橋の上から見た空堀と
櫓台(やぐらだい)跡です。

高い土塁と空堀が巡らされた次頁の写真の「本丸」は、
東西80メートル、南北70メートルの方形で、土塁の
堀底からの高さは7~8メートルもあります。

空堀に架かる大手口の木橋を渡って進むと「本丸」跡があり
ました。

本丸の南西側には、上の写真の「搦手(からめて)の虎口」跡
があり、かっては土橋が架かっていました。

勝山城は、本丸の東に「二の丸」、南に「三の丸」があり、
二の丸と三の丸が、本丸をL字型に囲んでいます。



(二の丸跡)


(本丸北の空堀)



勝山城は、鬼怒川に面した段丘の西端に築かれているので、
眼下には鬼怒川の清流が望め、遠くには日光連山などを
一望することが出来ます。





秋晴れの下、素晴らしい景色に足の痛みも忘れます。

その鬼怒川の清流を望む場所に、次頁の写真の「釜ヶ淵 
雪姫・紅葉姫の伝説」の説明の石碑がありました。

石碑によると、その伝説は以下の通りです。

 ずっと昔、勝山城には、「紅葉姫と雪姫」という美しい姉妹
の姫が居ました。

(紅葉姫と雪姫:インターネットの無料アップロード写真から)

 当時、勝山城を巡る戦いがあり、この戦いで両親を殺された
「紅葉姫と雪姫」は、敵に追い詰められ、勝山城の切り
立った崖の下にある「釜ヶ淵」(かまがふち)に身を投げ
ました。

 時は経ち江戸時代、勝山城跡の近くに住む「源じい」という
 百姓は、網打ちが好きで、よく川に行っては、一日中網打ち
 をしておりました。

 ある夏の夕暮れ、源じいが、勝山城跡の切り立った崖の下に
ある「釜ヶ淵」(上の写真の中央左側に小さく写る池の
辺り)で、網打ちをしていると、舟の周りに、美しく
鮮やかな緋鯉と雪のように真っ白な鯉が現れました。

 真っ白な鯉は、源じいが投げた網にかかると、淵の底に
 引きずり込む様な凄い勢いで網を引っ張りました。

 源じいは、やっとの思いで、真っ白な鯉を船に引き上げ、
 家路につこうと舟を漕ぎ始めました。

 すると、どこからともなく「雪姫、雪姫」と呼ぶ若い女の声
が聞こえ、源じいの舟は、あっというまに転覆してしまい
ました。

(紅葉姫と雪姫:インターネットの無料アップロード写真から)

 船から逃げ出した真っ白な鯉は、鮮やかな緋鯉と寄り添う
 ように「釜ヶ淵」の奥へと姿を消して行きました。

 翌朝、源じいが気が付くと、淵よりずっと下流の岸辺に
 投げ出されていました。
 源じいは夢でも見たのだろうと思いましたが、それっきり
 大好きだった網打ちを一切やめてしまいました。

 今でも、「釜ヶ淵」では、美しく鮮やかな緋鯉と雪のように
 真っ白な鯉が、淵の深くに潜んでいて、時々寄り添って
 水面まで上がってきて、仲良く泳ぐそうです。

(紅葉姫と雪姫:インターネットの無料アップロード写真
 から)



勝山城の土塁の外側を一周して、上の写真の「北限土塁跡」を
過ぎると、次頁の写真の「民家広場」に出ました。



上の写真は、喜連川宿から移築されたという「旧森家長屋門」
です。
民家広場から、元のの奥州街道に戻りました。

城址公園見学の以降については、前回の「奥州街道を歩く
(18-1:白沢)」の後半をご覧ください。

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コメント一覧

ウォーク更家
小倉城も勝山城
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そうでしたか、小倉城が勝山城とも呼ばれていたというのは知りませんでした。

勝山というのは、縁起が良さそうな名前なので、他にもあるかも知れませね。

ええ、紅葉姫と雪姫の伝説も、ファンタスティックで素敵です。
iina
勝山城址跡
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/4075966501ad9210811b201a812715e5
勝山城は、鬼怒川の左岸段丘の最北端に位置していましたか。余計な話ながら、小倉城は勝山城とも呼ばれていました。
案外と整備されています。

「紅葉姫と雪姫」伝説も好いですね。^^


箱根湯本の早雲寺は、ちょうど訪ねたときに銀杏の黄葉の落ち葉が陽に照らされて枯山水石園も映えていました。

ウォーク更家
よく整備された無名の城跡
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
ええ、100選・続100選以外の無名の?城跡にしては、よく整備されていました。

ホントに街道沿いだったので、無名でも寄り道しましたが、足が痛む中で寄り道の価値がありました。

姉妹の鯉の伝説、幻想的で悲しい話なのと同時に、戦国時代の武家の娘の厳しさを感じました。
Komoyo Mikomoti
こんばんは。
http://blogs.yahoo.co.jp/ya3249
よく整備された城跡ですね。
寄り道する価値がありますね。

紅白の鯉にちなんだ伝説でしょうか。
幻想的で、ちょっと悲しいお話ではありますね。
ウォーク更家
稀勢の里みたいににならない様に
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
ご丁寧なお気遣い、恐れ入ります。

確かに、このところの稀勢の里の無理をした後の取り組みは、私の将来を暗示している様な気もします。((-_-;))
hide-san
お疲れ様
http://blog.goo.ne.jp/hidebach
十分気を付けてお過ごしください。

スモウの稀勢の里や照の富士のように無理して本業が出来なくなっては元も子もありません。

どうぞお大事に!
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