ウォーク更家の散歩 (東海道を歩く、中山道を歩く)

「東海道五十三次を歩く・完全踏破の一人旅」
(http://www.minedayo.com/)

とびしま海道 (1/4)(下蒲刈島:広島県呉市) 

2016-10-15 15:31:03 | Weblog

(写真は、朝鮮通信使の船が上陸したという「長雁木」)

職場の先輩だった”離島巡りの達人”の「原人さん」に同行して、瀬戸内海の「とびしま海道」
へ行って来ました。

日本には約”420”の有人島がありますが、原人さんは、これまでに”140”の有人島を
踏破しています。

原人さんに同行しての離島巡りは、今年4月の五島列島(長崎県)に続いて3回目です。

離島巡り当日の天気予報が気になりますが、原人さんの当初のプラン通り、自転車を借りて
「とびしま海道」をサイクリングすることになりました。



とびしま海道は、昔から海上交通の要所で、村上水軍の城砦も築かれていたそうなので楽しみです。


羽田空港(7:00)→(8:25)広島空港

リムジンバス(9:00)→ (9:15)JR白市(9:27) →JR山陽本線 →(10:03)海田市(10:06)→ JR呉線 → 広(10:43)

→広駅前(11:20) →さんようバス (とびしま海道) →(11:42)下蒲刈島


羽田空港で、7時発の飛行機に乗ると、8:25には、もう広島空港に着きました。

空港からリムジンバスで、最寄り駅のJR「白市」駅へ向かいます。

リムジンバスの車窓から見える上の写真のオレンジ色の鉄塔は、山奥にある広島空港の誘導灯です。


(白市駅)

(白市駅)

(山陽本線)
白市駅から、「山陽本線」の岩国行き列車で「海田市」駅まで乗車、そこから「呉線」に乗り換えて、
終点の「広」へ向かいます。

(海田市駅)



呉線は海岸線を走り、呉の造船所を通り過ぎて行きます。





丁度、昼食時に広駅に着いたので、駅前に2軒ある食堂のどちらかで食事をしようとしますが、平日の
昼間だからかどちらも閉店しています。

仕方なく、駅舎のコンビニでオニギリを買って駅の待合室で食べます・・・

広駅に着いたあたりから、いよいよ雨は本降りになりました・・・

今回のサイクリング車でのとびしま海道巡りを断念、駅前から貸自転車店にキャンセルの電話を
します。
急遽、「ぶらり?路線バスの旅」に計画変更です!

雨が激しくなる中、前途多難な旅のスタートです・・・

広駅前から、とびしま海道方面に行くバスに乗ります。

バスの本数が少ないので、どこでバスを途中下車して見物するか、真剣に車窓の景色を眺めながら進みます。


上の写真の「安芸灘大橋」周辺は、余り見るものが無さそうな感じだったので、バスを降りずに「安芸灘大橋」
を渡り、「下蒲刈島」(しもかまがりじま)へ向かいます。

下蒲刈島に入ると、「朝鮮通信使」の看板が目に付いたので、通信使行列に興味のある私は、看板のあった
「三之瀬」バス停で下車してみます。

先ず、次のバスまで、約2時間あることを確認してから見学を開始します。

この「下蒲刈島」は、古くは伊予水軍が進出していましたが、江戸時代には、広島藩が、海駅としてここ
三乃瀬を整備して、海本陣・茶屋などを置いたそうです。



小雨が降り続く中、「下蒲刈島」の「蒲刈大橋」の下にある「松濤園」(しょうとうえん)を見学します。(関連施設も含め1,680円)

「松濤園」の中の建物は、全国各地の建造物を移築したものだそうです。






次に、同じ「松濤園」の中にある「番所跡」を見学します。









番所跡の高札には、
”男女が一緒にいてはいけない。”
”海上から見える庭は綺麗にしておくこと。”
等と書かれています。

更に、同じ「松濤園」の中の「朝鮮通信使資料館」の中に入って見学します。(写真撮影禁止)



(「朝鮮通信使資料館」の内部:資料館のパンフレットから)


上の絵は、通信使船が、岡山藩の小舟に曳かれて、瀬戸内海を航行する様子を描いたものです。(資料館のパンフレットから)


上の写真は、朝鮮通信使への豪華な供応料理です。(資料館のパンフレットから)

江戸時代に正式な外交があったのは朝鮮だけだったので、幕府は朝鮮通信使をこの様に丁重に処遇しました。


(朝鮮通信使:資料館のパンフレットから)


(朝鮮通信使:資料館のパンフレットから)




(本陣の前の朝鮮通信使行列:資料館のパンフレットから)


(朝鮮通信使の船の模型:資料館のパンフレットから)


(徳川秀忠が通信使から接受した国書:資料館のパンフレットから)


松濤園を出て、海岸沿いの道を「長雁木」へ向かいます。


上の写真は、福島正則が幕命により築いた「長雁木」で、「雁木(がんぎ)」とは、 階段状の船着場のこと
です。

朝鮮通信使は、ここで船から上陸して、道路の向いにある「三乃瀬本陣」(海本陣)で休息したそうです。


写真の「三乃瀬本陣」跡は、朝鮮通信使が来訪していた当時の本陣の建物の外観を復元したもので、内部は
美術館になっています。

「三乃瀬本陣」跡から、「三之瀬」バス停まで戻り、路線バスで、本日宿泊する「大崎下島」へ向かいます。
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6 コメント

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まれな離島めぐり (hide-san)
2016-10-15 17:38:30
なかなか訪ねることが出来ないところへ能く行かれますね。
脱帽です。
先だっての五島列島の離島めぐりのツアー見つけました。

時間と日程を考えて挑戦してみようと思っています。
付いて行くだけの離島めぐり・・・ (更家)
2016-10-15 17:46:08
確かに、なかなか訪ねることが出来ない所への旅ですが、脱帽と言われるとお恥ずかしいです・・・

離島めぐりが趣味の「原人さん」が計画して、私はただ付いて行くだけなので・・・

五島列島は、個人で計画するのは大変なうえに、個人旅行は割高になるので、団体の五島列島の離島めぐりのツアーの方がお薦めです。
瀬戸内海 (iina)
2016-10-16 10:43:32
「とびしま海道」は、まさに飛び石のように島が点在しています。海賊や水軍が活躍したのですね。
瀬戸内海の島々の景観に魅せられたことでしょう。

>彦根城は、今年4月、中山道踏破の際に、立ち寄ったばかりなので、凄く懐かしいです!・・・雨が激しくなり断念・・・
(更家)さんは雨に祟れることが多いようですね。お天気は時の運ですからどうしようもありません。

今度の旅の天気予報は、前半2日間雨で道中は降られたものの、歩いているときは傘をさすことはありませんでした。

彦根城の直ぐ近くに佐和山城があるとは、あんなところに石田三成がいたのですね。

瀬戸内海に飛び石のように点在 (更家)
2016-10-16 16:07:27
ええ、「とびしま海道」は、その名の通り飛び石のように島が点在、島影からいきなり船が現れたりするので、海賊や水軍も活躍出来たのでしょうね。

波静かな瀬戸内海の島々の景観、のんびりとした気分になれて良かったですよ。

そう、石田三成の佐和山城が、彦根城の直ぐ近くなのは意外でした。
朝鮮通信使 (Komoyo Mikomoti)
2016-10-20 23:01:10
滋賀県で朝鮮人街道というのを知ってから、
一時期、朝鮮通信使に興味を持って、何冊か本を読みました。

朝鮮通信使は、瀬戸内海は海路、
私の鉄道沿線のルートとはなかなか重ならないので、
今のままでは朝鮮通信使関係の史跡に行く機会がありません。
でも、機会を作ってでも行きたいと、この記事を読んで思いました。
とびしま海道の朝鮮通信使 (更家)
2016-10-21 04:41:40
そう、私も、中山道・滋賀県の朝鮮人街道で、朝鮮通信使に興味を持ち始めました。

とびしま海道で、朝鮮通信使の生々しい史跡に遭遇して驚きましたが、嬉しかったです。

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