ウォーク更家の散歩 (東海道を歩く、中山道を歩く)

「東海道五十三次を歩く・完全踏破の一人旅」
(http://www.minedayo.com/)

日光街道を歩く(20-1:今市:宿場町) 栃木県日光市

2017-05-13 23:17:09 | Weblog

(写真は、日光名物”日光みその「たまり漬け」”)


早朝に、JR横浜駅から、上野東京ラインで、JR宇都宮駅へ向かいます。

JR宇都宮駅で、JR日光線に乗り換えて、上の写真のJR今市駅で下車します。
前回のゴールだったJR今市駅の近くの「追分地蔵」へ向かいます。

「今市宿」は、1868年の「戊辰戦争」の兵火により町並みのほとんどが焼失してしまい、
江戸時代の宿場町の雰囲気は何も残っていません・・・

「日光街道」は、「追分地蔵」のあるここ「追分」で、「例幣使(れいへいし)街道」と合流します。

(追分地蔵は赤丸印、日光街道は赤色線、例幣使街道は水色線、国道119号は黄色線、
 日光街道の杉並木は上の2本の茶色線)


「例幣使街道」は、朝廷の勅使が日光社参するための街道で、中山道の倉賀野宿が起点で、
この追分が終点です。

一外交官の見た明治維新〈上〉 (岩波文庫)
アーネスト サトウ
岩波書店

幕末の英国外交官だったアーネスト・サトウは、著書「一外交官の見た明治維新」(岩波文庫:上下各840円)の中で、「例幣使(れいへいし)」について以下の様に書いています。

 例幣使の家来達は、僅かな権威を笠に、自分達に敬意を払わなかったという口実で、金銭を強要するのが常だった。
 例えば、品川宿で、敬意の表し方が足りぬと、18人の人々を捕らえて罰金を科した。
 例幣使は地位が高く、大名すら駕籠からおりて土下座しなければならず、庶民はもちろん、下級武士ですら例幣使の通る道筋を避けていた。

 その様な状況下、アーネスト・サトウに、警護の侍が、「この先で、”野蛮人ども(例幣使一行のこと)”に遭遇するかも知れません」と警告します。
 すると、その夜、宿場の宿屋に、例幣使の家来が、”毛唐を出せ!”と叫んで乱入し、アーネスト・サトウを切ろうとしますが、警護の侍に撃退されます。

 この撃退劇を聞いた宿場町の人々は、手を叩いて喜びました。 
 例幣使が如何に人々に嫌われていたか、よく分かります。
 その後、この英国外交官の殺人未遂事件について、幕府は、英国大使からの強硬なクレームに対処せざるを得なくなり、この例幣使の家来を死刑に処する決定をします。
 サトウは、処刑に立会って確認するかと幕府から聞かれますが、その必要はない、幕府を信用している、と処刑の立会いを断ります。

 この殺人未遂事件については、後日談があります。
 このとき、サトウを守った警護の侍は、会津藩士・野口富蔵でしたが、サトウは命の恩人として、野口を4年間ロンドン大学に私費で留学させました。
 この事件後、間もなく明治維新を迎えたため、サトウが遭遇した例幣使一行は、歴史上、最後の例幣使となりました。



例幣使街道との追分には、写真の「追分地蔵」が祀られています。 

追分地蔵は高さが2メートルもあり、石のお地蔵様では関東一の大きさです。

この地蔵は、元々は東照宮の付近に祀られていたのですが、大洪水で、今市まで流されて、半分埋もれていました。

石工が、地蔵の肩を叩いたところ血を流したので、彫り出して今市の如来寺に祀りました。
しかし、毎晩夜泣きしたため、故郷を見渡せる現在の場所に移したところ泣き止んだそうです。

この追分の少し先で、街道を右折して、細い道に入り、「二宮尊徳」を祀る「報徳二宮神社」を参拝しました。



徳次郎宿で説明しました様に、二宮尊徳は、小田原藩で財政再建に手腕を振るいました。

更に、その後、諸国の農村を再興させたことにより、老中・水野忠邦に認められて幕臣となり、1852年に
日光神領であったこの地に赴任しています。

そして、日光での農村復興のため力を尽くしましたが、1856年、ここ今市宿で70歳でその生涯を閉じました。

尊徳は、”墓石は建てるな”との遺言を残しましたが、尊徳を慕う人達によって、境内に上の写真の
「二宮尊徳の墓石」が建てられました。

報徳二宮神社に隣接して、日光社参時に将軍が休息した下の写真の「如来寺」があります。

また、如来寺は、先程説明しました様に、日光から洪水で流されて来た追分地蔵が最初に祀られた寺でもあります。



上の写真は、街道沿いの「今市宿市縁ひろば」です。

この広場には、食堂や、日光市観光協会の観光案内所などがあり、土産物も販売しています。

お昼過ぎだったので、ここで「日光ゆば蕎麦」(1,250円)を食べました。


上の写真は、街道沿いに設置されている「いまいちの水」で、”ご自由にお飲みください”とあります。

”今市の水は美味しい”と言われ、この様に数カ所に水が飲める場所があります。



いまいちの水の先の左手に、大きな杉の玉を下げた1842年創業の上の写真の「渡邊佐平商店」がありました。


上の写真は、街道沿いの名物”日光みそのたまり漬け”を売る「上澤梅太郎商店」です。

私はこの店で、お土産に写真のたまり漬けの詰め合わせを買いました。


上の写真は脇本陣跡で、玄関の前に、フクロウの上に猫が乗っている像が立っています。



更に街道を歩いて行くと、宿場町の外れに、今市宿の総鎮守の「瀧尾神社」があり、
江戸時代には、ここに今市宿の出口の木戸がありました。

瀧尾神社は風車を祀る神社でもあり、写真の様に、奉納された風車が並べられています。

瀧尾神社の辺りから、日光街道の最後の宿場町である「鉢石(はついし)宿」へ向けて、
再び、長~い杉並木が始まります。

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10 コメント

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興味深い (hide-san)
2017-05-14 05:46:34
日光街道も、更家さんの説明でどんどん引き込まれて行きます。

今腰痛に悩まされておりまして動きが取れません。
更家さんの日光街道に連れられて日光まで行きましょう。
腰痛 (更家)
2017-05-14 08:20:36
腰痛が早く回復する様にお祈りします。
私も以前に酷い腰痛に悩まされていて、飲み薬や貼り薬やコルセットを続けていましたが、いつの間にか治りました。

私の街道歩きのお師匠様であるhide-sanさんの分まで頑張って歩きます。
 (更家) さん へ (iina)
2017-05-14 09:21:14
今市宿は、イマイチな宿場かと思いきや、いろいろと面白い町でした。
「例幣使」の一件なんて不届きな輩がいたのですね。


>「マッチを動かして」  非常に面白い問題なので、覚えておいて何かの時に出題して鼻タカになりたいと思います。
数件ありますので、マッチがえないよう解いてください。   こんなものもあります。 ↓
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/ab0b65e15ae80f68a887f31b371eaeca

イマイチでない宿場町 (更家)
2017-05-14 09:47:32
そう、”今市”宿は、歴史的な遺構の面では、”イマイチ”ではなくて、色々と面白い宿場町でした。

ええ、「例幣使」は、ホントに不届きな輩の集団だった様で、”不届きな出来事”の例示には事欠きません。
どうも気になる (hide-san)
2017-05-14 13:39:03
何回見ても、どうも気になります宇都宮日光市の表題。
更家さんのPCが文字を覚えてしまったようですね。
宇都宮日光市 (更家)
2017-05-14 14:34:18
度々、ご指摘、すみません。
ありがとうございます。
毎回コピーしているコピー元の住所を間違えていた様で・・・
アーネスト・サトウ (Komoyo Mikomoti)
2017-05-17 21:42:44
アーネスト・サトウのこの話は、印象に残ってます。
ところでサトウと言えば、「日光学 聖地日光へ アーネスト・サトウの旅」という本を見つけて読みました。
日光とサトウの関わりを焦点にした本で面白かったですよ。

もう東照宮も目前ですね。
日光街道のゴールは東照宮でしょうか?
アーネスト・サトウ (更家)
2017-05-17 22:14:30
そうですね、アーネスト・サトウのこの話、強烈な印象でした。
お薦めの「日光学 聖地日光へ アーネスト・サトウの旅」、面白そうなので読んでみます。

次は最後の宿場町へ向かいますので、東照宮も目前です。
ええ、東照宮は日光街道のゴールの宿場町の隣りなので、東照宮は最終日にゆっくりと見物します。
アーネスト・サトウの日記 (tadaox)
2017-05-22 21:57:53
遅ればせながら、日光街道の旅を読ませていただいております。
ここ数日暑い日が続いておりますが、楽しみながらのウォークなら苦でもないのでしょうね。
現在はどのあたりを歩いているのでしょうか。

さて、アーネスト・サトウの紹介、興味深く拝見いたしました。
丸谷才一の『ウナギと山芋』という本で、日記文学の名作として取り上げられていて、図書館の地下の書庫にあるところまでは調べたのですが、20数巻の大部だと聞かされてビビってしまいました。

皆様のコメントで関連の本があることを知り、今度こそ読んで見ようと思いました。
日記文学の名作 (更家)
2017-05-22 22:45:26
コメント、ありがとうございます。
実は、既に日光街道を踏破しております。
従いまして、この日光街道のブログも、あと2~3回で終了予定です。

現在は、「日本の街道」(三省堂)を読みながら、次の街道踏破に思いを巡らせているところです。

この日記は、明治維新の立役者達の人物像や、当時の日本の風物・習慣などを生き生きと描いており、貴重な歴史資料であると同時に、確かに日記文学の名作だと思います。

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