ウォーク更家の散歩 (東海道を歩く、中山道を歩く)

「東海道五十三次を歩く・完全踏破の一人旅」
(http://www.minedayo.com/)

日光街道を歩く(20-2:今市:杉並木) 栃木県日光市

2017-05-18 21:36:02 | Weblog

(写真は、戊辰戦争のときの官軍の砲弾が当たった跡が残る「砲弾打込杉」)

今市宿を抜けて、日光街道・最後の宿場町である「鉢石(はついし)宿」へ向けて、長~い杉並木を歩き始めます。


上の写真は、今市宿の外れの杉並木の入口で、左端は杉並木と並行して走る国道119号です。

ここから、杉並木と東武日光線の間に挟まれた「杉並木公園」が、1キロにわたって続きます。


「杉並木公園」の道の横に沿って、とても綺麗な小川が流れています。





公園の入口近くには、上の写真の「朝鮮通信使 今市客館跡」の碑がありました。
朝鮮通信使の日光社参の際に接待するために、ここに館を設けたのだそうです。


更にその奥には、「大水車」や、そば粉を挽くための「水車小屋」もありました。





「杉並木公園」の左側には、写真の杉並木が続きます。





そして、公園の更に奥には、上の写真の名主の家(旧江連家)が復元されていました。



杉並木公園が終わると、瀬川村に入ります。



瀬川の集落を抜けると、左手に、写真の「瀬川の大日堂」がありました。




  
ここでは、信仰の厚い村人によって、念仏供養や庚申が盛んに行われたそうです。




日光街道は、行けども行けども巨木の杉並木で、荘厳さに圧倒されます!



更に、杉並木を歩いて行くと、右手に「砲弾打込杉」の案内板がありました。

戊辰戦争のときに、日光へ退却する大鳥圭介率いる幕府軍と、この地まで追撃して来た谷干城率いる官軍とが、この地で熾烈な戦闘を展開しました。

この激戦の際に、官軍の砲弾が当たった跡が杉に残っています。

更に、美しい杉並木が続きます。

所々に、車の通行ができる区間もありますが、ほとんどが歩行者専用で安心して歩くことができます。


やがて、右手に、写真の「野口の薬師堂」がありました。




  

  


ここは、竜蔵寺跡の薬師堂で、上の写真の大きな石の釣鐘が地面に置いてありますが、これは、奉納されたときに
龍頭が壊れてしまったために、現在まで放置されたままになっているそうです。



上の写真は、ここ七里村の総鎮守の「生岡(いくおか)神社」と生岡大日如来の道標で、生岡神社はここから奥に
入ったところにあります。

やがて、日光街道は、国道119号線に合流すると、車の量が多くなる上に、歩道は狭くて歩きにくくなります。



間もなく、右手に、杉並木の中で、一番大きくて姿が美しい、と言われる「並木太郎」がありました。

胴囲5メートル余り、高さ38メートルの巨杉ですが、これまでに見て来た他の杉も巨木なので、飛び抜けて大きい、という印象は受けません。


並木太郎から杉並木を暫く歩くと、写真の「明治天皇七里御小休所跡碑」がありました。

明治9年の東北巡幸の帰途の小休所だそうです。


更に、国道119号線を進んで行くと、日光連山と東武鉄道の線路が見えてきます。


JR日光線のガードをくぐり、再び杉並木の歩道に入ると、間もなく、下の写真のJR日光駅に到着しました。

JR日光駅の先には、東武日光駅があります。

東武日光駅の前に広場があり、この広場の辺りに、次の「鉢石(はついし)宿」の「木戸」がありました。


今晩は、JR日光駅の前の下の写真の「日光ステーションホテルクラシック 」に宿泊します。(1泊2食付き:16,500円)

この日光街道踏破を通して唯一の宿泊です。


 

    

 

このホテルで、今晩、日光街道踏破の前祝いをしてから、明日、最後の宿場の「鉢石宿」と「日光東照宮」を見物する予定です。
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8 コメント

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頑張りました (hide-san)
2017-05-19 10:58:39
杉並木は何キロくらいあるのでしょうか、ずいぶん長いですね。
車だとあっという間ですが。

駅前が大木戸跡とは、やはり山の中ですね。
凄い長さの杉並木 (更家)
2017-05-19 13:02:32
車だとあっという間ですが、今市宿から鉢石宿へ、途中の集落の人家部分を除くと、その間の約8キロのほとんどが杉並木だったので凄い長さです。

ええ、駅前が大木戸跡で、もう近くに日光の山々が迫っていました。
巨木 杉並木 (iina)
2017-05-20 08:02:23
日光に行くときは、いつも巨木な杉並木を見ながら進みます。
いつも通過するばかりですから、戊辰戦争の弾痕を知りません。
 (更家)さんの日光街道踏破は、目の前ですね。


> 見事な藤の花です! ・・・ 藤の幹の太さも立派です。是非、この場所で、この満開の藤の花の実物を見てみたいです。
15日アップの藤は妖精たちのメルヘンですが、実在する藤ではあります。 どこど?でお借りしました。

巨木杉並木の戊辰戦争跡 (更家)
2017-05-20 09:11:45
そう、車で通過するのとは異なり、歩き旅だと、巨木な杉並木の中の戊辰戦争の弾痕跡など、じっくりと見物出来て歴史を感じます。

ええ、日光街道踏破は、もう目の前です!
Unknown (しいなたけし)
2017-05-20 17:03:02
このコメントをする頃には
東照宮にお参りを済まされたでしょうね、
お疲れ様です!

砲弾打込杉、似た話を船橋大神宮で聞きました。
戊辰戦争の始めの争いが
船橋あたりであったようです。
各地にそういったものが残っているのは
戦争の重みを考えさせられます。
戊辰戦争・船橋の戦い (更家)
2017-05-20 20:32:12
ええ、既に、無事に東照宮のお参りを済ませました。

そうですか、船橋辺りでも激戦だったんですね。

江戸は無血開城だったのですが、その後の戊辰戦争は大変な激戦だった事を、宇都宮、日光辺りで実感として知りました。

戊辰戦争は、新しい日本の誕生のための生みの苦しみだったのでしょうか。
おはようございます。 (Komoyo Mikomoti)
2017-05-21 09:42:48
日光だけは特別?
日帰りではなく、泊旅行だったんですね。
前祝いの夕食、豪華でおいしそうです。

どこまでも続くかのような杉並木、本当にすばらしいですね。
この杉並木を守り通した先人の努力も大きかっただろうと想像します。

谷干城というと西南戦争では、熊本城を守り通した人ですよね。
戊辰戦争でも大きな役割をはたしていたんですね。
延々と続く杉並木 (更家)
2017-05-21 11:29:58
そう、日光だけは特別に、日帰りではなく、1泊旅行にして、前祝いの夕食で祝杯をあげました。

やはり、実際に歩いてみて、延々と続く杉並木の荘厳さに心を打たれました。
この杉並木を守り通した先人の努力に敬意を払います。

谷干城、よくご存じですね。
私は、小学校の頃に郷土史で、西南戦争で熊本城を守り通した谷干城を教わりましたが、戊辰戦争での役割は知りませんでした。

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