ほっぷ すてっぷ

精神保健福祉士、元新聞記者。福祉仕事と育児で「兼業」中。名古屋在住の転勤族。

ベンジャミン・フリードマン(2011)『経済成長とモラル』

2011-07-27 00:12:38 | Book

「経済成長は社会のモラルを改善するのに寄与する」
という仮説を検証し、「そのことが諸国にとって
重要であると論じえるように」(序文)することを目的として
書かれた本らしい。
著者は、ハーバード大のベンジャミン・フリードマン。
(ミルトン・フリードマンではない)
彼なりにゴールが示された上での問いではあるにしろ、ちょっと
興味を持って読んでみた。
もちろん、上記の問いに対する本の主張はYesだ。
厳密な経済学の本ではなく、経済思想史の本。
久しぶりにハードな本を読み終えて、こういう類の本はいくつも
頻繁に読まないと読み進まないものだ、と実感し、反省しました。
長いので、2回に分けて紹介します。まずは第1部。

第1部 諸概念、その起源、およびその含意
1 経済成長とは何か 何をもたらすのか
2 啓蒙主義とその淵源からの展望
3 進歩と反動―――改革の時代から現代まで
4 所得の上昇、個人の態度、社会変化の政治学

経済成長が社会のモラルを改善する、といったときの「モラル」は、
具体的には機会の開放性、(移民や黒人、女性に対する)寛容性、
経済的社会的な流動性、公平性、デモクラシーを意味する。
第1部では、1780年代ころ、経済学の始まりと言われる
アダムスミスの「国富論」あたりから、成長とモラルの関係、
経済成長の考え方を紹介する。

1では、経済成長は今、環境破壊や失業などを受けて、
「よい面ばかりではない」「GDPではなく幸福度で計るべきだ」と
マイナスにとらえられかねないが、社会が開放的になる、といった
よい面がはるかに大きい・・・と問いの意義を説く。

2では、18世紀のアダムスミスらが説いた「啓蒙思想」、
すなわち「経済成長が人間の知識を蓄えさせ、人々の態度を変え、
社会が改善する」といった考え方が主流だったことを説明する。
そのプロセスは、スミスの場合、
人口の増加→狩りや採集の生活から農耕へ、商業へ、工業へ→土地や資本などは
限られた資源であり、多様な主体間の調整が必要→社会制度が充実
という感じ。
スミスといえば、工業の生産過程における「専門化」が、飛躍的に生産性を
アップさせることを著したのが有名だが、商業についても興味深い考察を
している。
商業とは「自発的交換」であり、戦争をせずに生活水準を上げることができる
「平和な」施策であること、(交換するためには)2者以上の当事者がいるため
(狩りや採集に比べ)人間の行動は改善され、洗練される。例えば
スーツや革靴など、、という効果を述べている。
つまり、個々の尊厳を高め、権利を保障する制度や、身だしなみや文化など
「モラル」は改善する、と。

3では、経済成長による反モラル的なもの・・・への懸念を紹介。
例えば、スミスは、多くの労働者が従事する単純作業は頭を使う機会がなく、
理解力や困難の解決能力が低下する。大局的な判断ができなくなる。
政府は何か手を打たなければ・・・と。
(しかし、のちに蒸気機関を動力として産業が急拡大していくとともに、
 単純労働者は多くの知識を求められるようになり、「技術者」が
 尊敬される存在となって人々の知識量は蓄えられていく、ので大丈夫だった)
トクヴィルも、労働者に上のような危険性がある一方、経営者はより一層
判断能力が求められ、二者の間は広まってしまうのではないかと
懸念する。
「オリバー・ツイスト」を書いたディケンズは、全ての行為は取引となってしまい、
思いやりや謝意はなくなってしまった、と悲観する。これより少し前だが、
ルソーも、アメリカ大陸にインディアンが発見されたころ、彼らの生活社会が
「本当に幸せなものだ」と羨望したりする・・・という、ロマン主義者もいた。
マルクスは、実はスミスとほとんど現状認識は変わらないのだけど、
「この政治体制である限り、状態は改善されない」と絶望した。
総括すれば、これらの心配は、括弧に書いたように技術社会となっていく
ことで深刻化はしなかった。

4では、もう少し直接的に「経済成長とモラル」の関係の仮説を検討する。
例えば、好景気における就職市場は求職側の立場が強くなり、
企業側は人種や男女、年齢などの条件をいろいろつけにくくなるから、
社会的な流動性は増す、とか。
一番興味深かったのは、「人は、自分たちの現在の生活水準を評価するのに
2つの座標軸があり、それは代替関係にある」というもの。
1つは、「自分は過去に比べて進歩したと感じるか」
2つめは、「人は他の人と比べて勝っていると感じるか」。
経済成長は、多くの人にとって1つめの座標軸での現状を高く評価することになる。
例えば、10年前より所得は上がり、いい家に住んでいるとか、自分の子どものころより
自分の子どもたちによいご飯を食べさせ、よい学校に行かせているとか。
このとき、人は「他人のにとってもよい社会にしよう」という考えに賛同
しやすくなり、その実現に対するリスクをとりやすくなる。
今まで仲良くなかった黒人とも一緒に働くし、既得権益の撤廃も受け入れる。

経済が停滞しているとき、多くの人はこの座標軸で自分を評価できない。
そうすると、2つめの座標軸で考える。このとき、移民の停止や
黒人の拒絶などの反応になりやすい。
もともと金持ちの人は、転落を異常に恐れ、底辺の人たちは、その下は絶望的な
生活が待っているので、暴徒化する。クー・クラックス・クラン(KKK)の
会員も増える。
2つの座標軸のどちらが主流かという問題は、「公的な活動」と「個人的な活動」
のどちらに資源を配分する社会になるか、を決める。

長くなりましたが、以上が第1部の要約。
最後に紹介した2つの座標軸は、非常に納得のいくものだ。
今の日本でいえば、経済成長はしていないが、「被災地に比べて、私たちは
幸せだ」という意識に包まれている。
上の説明の流れとは違うが、この意識が公的な活動への資源配分を容易にする。

このロジックでいうと、財政悪化のための増税などはとても難しいものだと
わかる。
経済成長しておらず、自分たちの生活を肯定できない中では、「公的な活動」に
拠出する気持ちは生まれないことになる。
だからといって増税しなくていいわけではないが。
第2章では、アメリカの歴史においてこれらの考え方を例証していく。

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