ビゼー: 「カルメン」

カルメン: エレーナ・マクシモア
ドン・ホセ; マッシモ・ジョルダーノ
エスカミーリョ: ガボール・プレッソ
ミカエラ: 砂川涼子、他

指揮: イヴ・アベル
合唱指揮: 三澤洋史
新国立劇場合唱団・バレエ団
東京交響楽団
(2017年1月28日 新国立劇場)

 この日一番となったテノールのマッシモ・ジョルダーノが歌うドン・ホセのカルメンへのラブ・ソング「花の歌」(私のお気に入り) が始まると、場内はシーンとなった。ジョルダーノは、明瞭なディクションで一語一語を噛みしめるように丁寧に歌い、次第に感興が高揚してくるに従い、その歌の向けられた先はカルメンから聴衆の方へと変わっていった。このあたりから私は自分の鼓動が高まるのを感じた。このテノールは「花の歌」で、自分の恋心をカルメンに訴えるよりも、何か別のことをを聴衆に伝えようとしている。「これは私がこれまで聴いたどの『花の歌』とも違う」と思った。そして何を伝えようとしているのか分からないままにも、その真摯な歌唱に感動した。

休憩時間にロビーに出ると、壁に張り出したジョルダーノの広報誌へのインタビュー記事を多くの人が真剣な面持ちで読んでいた。そこには次のようなジョルダーノのオペラ「カルメン」解釈が述べられていた。つまり、カルメンの物語をリードしているのは、カルメンではなく、ドン・ホセという男の精神の異常性であること、カルメンは娼婦ではなく、その魔性の魅力によってドン・ホセを破滅に導く夜の女ではなく、正常な昼の女であること、ドン・ホセはカルメンと再会したときに、愛というよりその異常性が現れて殺害という行動に出たこと、そして「花の歌」は、ドン・ホセが刑務所にいてもカルメンにもらった花を持ち続けるという異常な行動と、内に秘めた暴力性を表していること、などだ。
私はそれを読んで、「何だ、今日の出演者でカルメンを一番よく理解しているは、このテノールじゃないか。第3幕はこのテノールに着いていけばいいんだ」と思った。

「カルメン」というオペラは一般的には、カルメンという自由奔放な女性がその性的な魅力で兵士ドン・ホセを誘惑して道を踏み外させて最後には殺される、という風に解釈されている。しかし余程のカルメン歌いに恵まれるのならともかく、それだと物語解釈的には行き止まりで、深いドラマは生まれてこない。そうなると、定石的には原作に立ち返るということになる。
メリメの原作「カルメン」は、物語的にはオペラと大きく違わない。しかし構図的にはかなり違う。
まず、原作の主人公はドン・ホセで、全体がドン・ホセの回想という形をとっているということだ。そのホセは、穏やかさと凶暴性の二面性を持っている。カルメンとホセとの間の情愛を描く場面は少なく、ジプシーの生態にかなりの関心が寄せられている。最後の章はヨーロッパ・ジプシーの解説となっていて、それによれば、ジプシーは不潔、特に髪は汚い。女性は美人が少なく、お金では動かない。集団外の男性とは交わりたがらず、結婚を神聖視しているため夫となった男性には生涯尽くし通す、といった意外な事実が明らかにされている。
テノールのジョルダーノの解釈はこの原作に沿ったもので、イマジネーションに富んでいて真っ当で優れたものと感じた。私は物語的には、現代人にとってみれば、ひたすらカルメンを前面に出すよりは、少なくともホセがカルメンと対等に対峙する方が奥行きがあっていいと思う。
ただビゼーの音楽は、きらびやかな旋律が次々と続くカルメンのパートに対して、ドン・ホセには「花の歌」一曲しかアリアは与えてられていない(この点が残念だ)。だから今回のように、「花の歌」一曲に万感の思いを込めて歌うのだろう。それ以後は、ドン・ホセが会場をリードし、幕切れもかなりの迫力で聴かせた。

歌手では、ミカエラを歌った砂川涼子が出色だった。第3幕のアリアでは、瑞々しい声で不安な少女の心をよく伝えており、どのフレーズも心がこもっていて胸にしみた。声楽的には、この人が出演者の中でトップだろう。カルメンは、踊らないわりにはごく常識的な歌唱。エスカミーリョは声量が足りなく声もこもりがち。全体に日本人歌手の活躍が印象に残った。
指揮者アベルはとてもこのドラマを引っ張っているようには感じなかった。この指揮者は、指揮台に上がると聴衆が拍手をしているのも構わずいきなり演奏を始める。始めは調子のいいテンポでぐんぐん進めるので、エンターテインメント性の高い指揮などと思っていたが、さっぱり盛り上がらない(さすがに幕切れだけは盛り上がりを見せたが)。オケは、弦の柔らかさ、木管の透明さが裏目に出て、とにかく非力。今や新国立の目玉ともなっている合唱団の力強さに押されて負けていた。

いずれにせよ「オペラの中のオペラ」である「カルメン」を楽しんで、改めてこのオペラが、フランス音楽の軽やかさと、ドイツ音楽の重厚さを兼ね備えた、隅々までよく出来た傑作であるという認識を新たにすることが出来た。


 

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